オオサカジン

  | 高槻市

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2014年10月24日

6代目「グリコ看板」




代替わりした道頓堀の名物グリコの看板が最新式のLEDに変わって昨23日よる点灯されました。
物好きを自認する”むかご”としては、早速大阪へ出たついでに見てきました。
この看板は1935年に設置され、今回で6代目とか、ランナーの原型は保たれているものの、高さ20m、幅10.38mの看板には約14万4千個のLDEが使われており、背景に様々な動画を映しだせるようになっています。
昼間のこととて、背景に複雑な動画は映されていませんでしたが、明るさと鮮やかさで、新しい道頓堀の名物になること疑いなしです。
若いころにくらべ道頓堀界隈に出向くことは少なくなりましたが、行くたびにいろいろ変化していて、大阪の活力もまだまだ捨てたものではないと感じました。

整備された道頓堀川畔


賑わう道頓堀通り



  

Posted by むかご at 18:38Comments(0)

2014年10月22日

里山とビオトープのある工場



三木市にある食品会社ミツカンの工場を見学しました。
酢の醸造は行ってなく、加工食品と納豆の二つの工場があり、完全な衛生管理と自動化された工場は僅か50人ほどの人員で操業されています。

三木工場でつくられる製品

緑に囲まれた工場敷地内には、昔の姿が残る里山があり、、自然の生態系を保護するビオトープも設けられていて
食品工場にふさわしい環境が整えられています。

敷地内の里山


ビオトープ



  

Posted by むかご at 10:57Comments(0)

2014年10月20日

ある日の万博公園

19日の日曜日、万博公園ではA新聞社主催の親子自然教室が開かれました。支援者として入園した午前8時の芝生広場は静まり返っていました。

無人の芝生広場



親子自然教室

花の丘ではコスモスが満開です。



  

Posted by むかご at 13:02Comments(1)

2014年10月18日

行くなら今!秋の「神峯山の森自然園」

高槻市北部郊外の神峰山の森自然園では、名物のアサマリンドウや今では珍しくなったセンブリ、森を明るく照らすような黄色いツワブキの花などが満開を迎えています。

自然園の道


満開のアサマリンドウ


センブリ


ツワブキ

10月25日(土)、26日(日)の両日いろいろな趣向を凝らして、市民観察会が予定されていますが、今年は例年に比べて花の開花が一週間ほど早くなっており、、その日では満開は過ぎているおそれがあります。
静かな雰囲気の中で、花と緑を楽しむにはぜひお急ぎを。
  

Posted by むかご at 20:34Comments(0)

2014年10月12日

阿倍野新風景


天王寺公園から


大阪市美術館で開かれている(こども展」を見に行きました。
美術館は有料の天王寺公園内にあり、園内から見える阿倍野新名物のハルカスは、公園内の風景と溶け合って、市街地から見るのとは異なった景色になっていました。

旧黒田藩大坂屋敷門から



慶沢園西門から


  

Posted by むかご at 09:36Comments(0)

2014年10月10日

見事な夕焼け


10月10日、阪神高速空港線をバスで大阪へ向かっていた午後5時半すぎ、西の空が真っ赤に夕焼けていました。
ちょうど渋滞で減速していた車窓から撮った2枚です。
大形の台風19号が日本を襲うのが決定的と予想される中での不穏な気配がする真っ赤な空でした。


  

Posted by むかご at 21:21Comments(0)

2014年10月09日

茶臼山・やっと建った記念碑


天王寺公園の一部となっている茶臼山は、異説もありますが、5世紀にこの地の豪族のために作られた墓といわれ、大阪市内でも最大級の前方後円墳となっています。
茶臼山が知られているのは、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で茶臼山一帯が、徳川家康の本陣となり、翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となったことです。
そんな歴史的な場所であるのに、茶臼山には「史跡茶臼山・河底池」というそっけない石碑があるだけで、大坂の陣の跡であったことを示す記念碑はおろか説明板すらありませんでした。不思議なことですが、大坂人として負け戦の舞台になった場所は思い出したくもないということかと思ったりしていました。
その茶臼山に今年初めて大坂の陣の記念碑が建ったというので見てきました。

記念碑は高さ2.5m、円形の「大坂の陣史跡茶臼山」冬の陣徳川家康本陣、夏の陣真田幸村本陣」と刻まれた円形の碑が、波をデザインした台座に載っています。波は群雄割拠の戦国時代を、円形の碑は天下統一と平和を象徴しているといいます。
この碑は、大阪府内各地でおこなわれるイベント「大坂の陣400天下一祭」に協賛して、すぐ近くの一心寺さんの寄付によるものです。

以前からある石碑と大坂の陣400年祭ののぼり

茶臼山に記念碑建立はよいとして、どうして「大坂の陣400天下一祭」が、豊臣家が滅んだ年に行われるのか、大阪人としては少々解せないところです。
  

Posted by むかご at 16:45Comments(0)

2014年10月06日

武田薬品薬用植物園 


正面玄関

武田薬品薬用植物園の一般公開日に参加しました。
この薬用植物園は、1933年『京都武田薬草園』として創設され、薬用植物の基礎研究を開始しました。天然物由来の新しい医薬品の創出や薬用植物の品種改良の研究をスタートしたのち、1994年研究部門の移転に伴い、名称を『京都薬用植物園』として、薬用植物の収集・保存・栽培を中心に活動する施設となっています。
原則一般公開はせず、年4回特定の日のみ人数を限って一般向けに園内案内を行っています。
植物園は比叡山の山懐、名刹曼殊院のすぐ隣にあり、面積9万4千平方米の敷地に、薬用植物を中心に約2400種の植物を栽培し「生きた薬草の博物館」となっています。

京都市街を見下ろす園内


園内はさながら庭園

また、ツバキ園には、各地に伝わる古い品種を中心に、約560品種のツバキを植栽しています。
園内の一角に目立つ古風な展示棟は、明治41年(1908年)、神戸市東灘区に野口孫市氏が設計した建物で、1995年の阪神・淡路大地震後に、当園に移築、再生したものを生薬の標本を中心とする展示館に用いています。

展示棟

さすが武田薬品と思わせる瀟洒な玄関棟では、飲物のサービスもあり、園内は少数のグループに分かれて、係員の丁寧な説明を聞くことができます。
さながら庭園のような景観に包まれて、薬用植物を学ぶ約2時間の園内見学は時間を忘れさせる充足感がありました。
  

Posted by むかご at 07:40Comments(1)

2014年10月03日

伊賀上野城 

9月末ごろ三重県立上野森林公園へ植物観察に行った帰り、伊賀上野城(別名白鳳城)へ立ち寄りました。

筒井古城本丸跡より見た大天守と小天守


筒井古城後の石垣


筒井古城後の石垣


筒井古城後の石垣


筒井古城城代屋敷跡


有名な打ち込みはぎ工法による高石垣(高さ29.7m)

この城は天正13年(1585)筒井定次が築城した平山城ですが、その後慶長13年(1608)築城の名手と謳われた藤堂高虎が拡張したものの、大暴風や、豊臣家滅亡で 必要性が薄れ城普請は中止されました。
現在、天守台にある3層3階の天守は昭和10年、地元国会議員川崎克氏が私財を投じて建築した模擬天守です。

俳聖殿


俳聖殿内部の伊賀焼の芭蕉像

上野公園となっている城址一帯には、上野が生んだ俳聖松尾芭蕉を顕彰した俳聖殿などもあり、市民の憩いの場となっています。

  

Posted by むかご at 17:51Comments(0)

2014年10月01日

西山天王山駅付近ぶらり歩き

残暑がぶり返した9月最後の日、グループで阪急西山天王山界隈を散策しました。主目的は最近人気だが、値段の点で家庭の冷蔵庫には入れてもらえないS社のプレミアムビールの試飲を醸造所で楽しむことでしたが、せっかくのこととて、西国街道を経ていくつかの史跡などを巡りました。


右よど、左やなぎ谷の道標

西国街道は京都南部の東寺口から摂津西宮へと至る江戸時代の街道で、いまも歴史を感じる建物や道標が点在し、国指定の有形文化財に登録されている中野家もあります。

中野家

地名ともなっている勝龍寺は大同元年(806)は、弘法大師の開基になる名刹で、もとの名が恵解山清龍であったのが、大旱魃の際に住職が祈祷して竜神に勝ち雨を降らせたとして、「勝龍寺」と改名したと伝わります。境内にはぼけ封じ観音が安置されているということで、高齢者であるグループの面々は真剣にお祈りをしていました。

勝龍寺

勝龍寺に近い勝龍寺公園は、明智光秀の娘お玉(ガラシャ)が、細川忠興にお輿いれして、新婚時代を過ごした勝龍寺城の跡を、公園として整備したもので、山崎合戦に敗れた光秀が逃れたという北門跡が残っています。

勝龍寺城公園

国指定の史跡となっている恵解山(いげのやま)古墳は、古墳時代中期(約1600年前)に造られた前方後円墳で全長128m、後円部の直径78m、前方部の幅76mで、乙訓地域最大の規模を有しています。古墳の周囲には幅約25mの浅い周濠(しゅうごう)があり、周濠を含めた古墳の全長は約180mにとなっています。現在市によって古墳公園として保存整備工事が進行中です。


古墳に続く丘陵の北側は、現在の霊園になっており、不思議な対照をなしています。

S社の醸造所では、工場見学のあとお目当ての新タイムとなり、出来立てのプレミアムビールで、2杯もお代わりして散策で乾いた喉を潤したことでした。
  

Posted by むかご at 12:43Comments(0)