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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2019年01月26日

絵本作家「田島征彦」展


会場風景


氏の著作と原画

偶々街中で出会った知人の案内で絵本作家田島征彦氏の原画展へ行ってきました。
氏は、京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)染色図案科を卒業され、1976年型絵染による絵本の出版を開始、現在まで数々の賞を受けられるなど、その力強い画風とメッセージ性で読者を魅了しています。

会場の田島先生

身内に幼児がいなく、名前も存じあげなかった氏の展覧会でしたが、強い印象を受けて帰りました。
ちなみに会場は高槻市北園町の町屋を改造したアートデアート・ビュー、展覧会は1月26日17時までです。

新刊・そうべえときじむなー


  

Posted by むかご at 10:16Comments(0)

2019年01月22日

雪の道南ツアー③

雪の道南ツアー第3日は、前日登別地獄谷を繰り上げて済ましたので、ホテル出発もゆっくりめで、途中一軒物産館へ立ち寄っただけで、新千歳空港へ向かいました。

晴れ上がる新千歳空港

3日前まで豪雪で閉鎖となり大勢の旅客が夜を明かしたという空港も、この日は晴れて除雪も終わり正常な運航に戻っていました。
搭乗前、早い目の昼食に、添乗員お奨めの”北海道ラーメン道場”内にあるエビ味の店へ行きましたが、少々こってりが強く、残念ながら好みではありませんでした。

空港内のラーメン道場

「ふっこう割」というこの道南ツアー、往復とも飛行機が昼便で、日程的に実質少し短めでしたが、大阪~北海道の通常航空券は4万数千円のところ2泊3日、宿もまずは一流とあってで2万9,800円では文句も言えず、これで少しでも震災復興のお手伝いになったのであればと、大いに満足の旅となりました。
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Posted by むかご at 08:26Comments(0)

2019年01月21日

雪の道南ツアー②

雪の道南ツアー第2日は早朝の函館朝市で始まりました。

海産物店の店頭で


店頭の床に蟹を並べ客をひく

函館駅のすぐそばにある函館朝市は30,000ヘクタールもの敷地に、北海道近海で水揚げされた魚介など新鮮な食材を販売する魚介類専門店から、北海道産農産物の直売所、飲食店まで約280店舗が軒を連ねています。
ツアー会社とタイアップしているらしい店舗に案内されたツアー客は、時間の関係もあってその店だけでしこたま買い物をするだけで朝市訪問は終わりました。

大沼国定公園

凍結した大沼と北海道駒ケ岳

渡島半島南部に位置し、函館市の北約16kmの距離にある大沼公園は、火山の北海道駒ヶ岳とその火山活動によってできた大沼、小沼、蓴菜(じゅんさい)沼の湖沼からなり、中でも大沼には大小126の小島が浮かび、四季を通じて様々なアウトドアースポーツを楽しむことができます。
江戸時代まで、約5,000年間活動を休止していた駒ケ岳は、1640年(寛永17年) 噴火にさきがけての大規模な山体崩壊によって、大量の土砂が直下の噴火湾に流れ込み、大津波を発生させました。火砕流は全方向に流れ行き、ほぼ山全体を覆って、かつては富士山型の山容で標高も1,700m あったものが、この大噴火により山頂部が磐梯山のように崩壊し、今のように2つの峰になり、馬蹄形カルデラと呼ばれる凹地ができ、崩れ落ちた土砂が折戸川を塞き止め、大沼、小沼などの湖沼が形成されました。
沼ではワカサギ釣りを楽しむ人たちを、沼の畔では、歌の発にゆかりがあるこの地を記念した、「千の風になって」のモニュメントを見ることができました。

ワカサギ釣り


千の風になってモニュメント


大沼から見る駒ケ岳は、爆裂後残った峰が片側に一つ見えますが、方角を変えて裏側から見ると二つに割れた山容が眺められ、山体崩壊のすごさを教えてくれます。

反対から見た駒ケ岳


昭和新山

昭和新山

昭和新山は、支笏洞爺国立公園内にあり、有珠山の側火山で、粘性の高い溶岩により溶岩円頂丘が形成され、標高398mになっています。
有珠山の麓にあった平地に火山が形成されたもので、山肌が赤色に見えるのは、かつての土壌が溶岩の熱で焼かれて煉瓦のように固まったからだそうです。
昭和新山は1943年(昭和18年)12月から1945年(昭和20年)9月までの2年間に17回の活発な火山活動を見せた溶岩ドームで、当時は第二次世界大戦の最中であり、世間の動揺を抑えるために当局により、噴火の事実は伏せられ、公的な観測を行うことができませんでした。。そのような状況下で、地元の郵便局長であった三松正夫氏は、新山が成長していく詳細な観察記録を作成し、後に「ミマツダイヤグラム」と命名され貴重な資料として評価されました。また、三松はこの世界的に貴重な火山の保護と家や農場を失った住民の生活の支援のために、山になってしまった土地を買い取ったので、昭和新山は三松家の私有地であり、世界でも珍しい私有地にある火山となっています。
今なお表面に熱や噴気ががあり、私有地であることなどで、今は立ち入りが禁止されています。
雪景色の中ここだけがむき出しの昭和新山は、時折射す午後の陽に照らされて、妖しい赤色に染まっていました。

昭和新山を観測する三松正夫像


車窓から観光という洞爺湖はうまく撮影できず、僅かに昼食会場の窓からエゾマツ越しにとることができました。

洞爺湖瞥見

昭和新山から登別へ向かう高速道路から樽前山が見えました。
樽前山は、北海道南西部にある支笏湖の南側、苫小牧市の北西部に位置する活火山で、標高は最高点の樽前ドームで1,041m、支笏洞爺国立公園に属します。風不死岳、恵庭岳とともに支笏三山の一つに数えられており、 車窓から長い間雪を頂いた優美な山容を眺めることができました。今回の北海道ツアーは好天に恵まれ、車中から白銀を頂いた山々を見ることができたのは幸運でした

樽前山


登別地獄谷

夕暮れの地獄谷

支笏湖洞爺国立公園にある登別地獄谷は活火山「俱多楽」の西麓にあり、大湯沼や日和山とともに後カルデラ火山の「登別火山」を構成しています。地獄谷の直径は約450 m、面積は約11 haあり、高温の噴気・熱水活動が続き、登別温泉の源泉になっており、支笏洞爺国立公園の「特別保護地区」に指定されています。
約15,000年前に「俱多楽」西麓で始まった火山活動により日和山に溶岩ドームが形成され、約8,000年前から水蒸気噴火を繰り返したことにより地獄谷が形成されました。あちこちから蒸気が噴煙のように吹き上がるさまは、草木の生えない荒寥とした赤茶けた景観は生きた火山そのもので、事実(平成27年)10月1日から噴火警戒レベルの運用が開始されています。
第3日の予定だった地獄谷を2日目に繰り上げたことで、この夜は登別温泉でゆっくり過ごせることになりました。
  

Posted by むかご at 10:58Comments(0)

2019年01月20日

雪の道南ツアー①


トラピヌス修道院入口

正月早々北海道復興割適用という函館湯の川、登別の二大名湯に泊まる3日間というツアーに参加しました。
昨年9月6日に発生した北海道胆振東部地震による被災地の復興を支援するというツアーで、義援金を上積みするのではなくて、逆に1万円の補助が出るという被災地道南を対象にした格安ツアーです。
第一日の函館は、雪景色に冬日が射して穏やかな風景です。
トラピスチヌ修道院
空港にほど近い厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院を訪れました。
ここは、日本初の女子修道院で、厳律の名の通り現在も厳格な戒律のもとで修道女が祈りと労働を中心とした自給自足の生活を送っています。厳しい男子禁制でもあり、修道女は年に一度ここで修業を続けるかどうかを尋ねられnoなら出ることができyesなら修行を続けられますが、9年目にyesと答えたら一生この修道院を出ることが許されないといいます。
前庭部分は一般開放されていますが、もちろん内部までは入れません。前庭の一角に資料館と売店が一緒になった建物があり、修道女の勤労の成果という品物が販売されています。寄進のつもりで手作りのクッキーを買いました。

トラピヌス修道院


修道院前庭の一角

五稜郭
北方防備の目的で造られた、日本初のフランス築城方式の星型要塞で国の特別史跡に指定されています。幕軍と官軍の最期の戦いである箱館戦争の舞台となったことでも有名です。
明治元年(1868)8月,品川沖を脱走した榎本武揚が率いる旧幕府脱走軍艦隊は、五稜郭を占拠し、戊辰戦争の最後の戦いとなる箱館戦争がはじまります。一時は榎本武揚を総裁とする蝦夷地仮政権が樹立されましたが、やがて新政府軍の反撃が開始され、最大の戦力だった軍艦開陽を失った榎本軍は次第に形勢不利となり、ついに新政府軍に降伏します。榎本武揚はその才覚を評価した新政府黒田清隆によって助命されのちに明治政府の要人として活躍しますが、元新撰組副長の土方歳三戦は終盤の戦いで戦死しています。
公園となっている五稜郭跡は、春ともなれば1600本ともいわれるソメイヨシノが咲き誇るといいますが、高さ107mの五稜郭タワーから見下ろした雪の五稜郭もまた歴史上の大事件を思い起こさせる景色となっていました。

タワーから見た五稜郭跡パノラマ


五稜郭内部のサクラ園


タワーから見る函館市街と横手山


タワーから見た函館山(臥牛山)と立待岬(左端)

函館山の夜景
標高334mの函館山からの夜景は、神戸摩耶山、長崎稲生山とともに日本三大夜景の一つとして有名です。
もっとも今では新日本三大夜景選定としてある団体が新たにランキングを発表したりしていますが、函館山の夜景は両側に海を抱えた独特の地形もあって、夜景の名所として名に恥じないものがあります。

函館山の夜景



  

Posted by むかご at 14:41Comments(0)

2019年01月14日

大嘗祭に向けて最初の儀式、亀卜に使う波波迦採木式を参観


採木される波波迦の株元

今年は御代替り、一連の儀式の一つで、大嘗祭で供える新穀を作るための東西の斎田を選定(斎田点定の儀)する「亀卜」で使われる「波波迦」(現在名ウワミズザクラ)を宮内庁に献上するための採木式が、1月13日天の香久山の山麓にある「天香山神社」で厳粛に斎行されました。
古事記上つ巻「天の岩戸」の節に、「・・・天の香山の真男鹿の肩を打ち抜きに抜きて、天の香山の波波迦を取りて、占合(うらへ)まかなわしめて・・」とあるところから、天香山神社の祭神は天櫛真智命といい、神意を占う神様で、国家の大事を判断する亀卜や、今回のように天皇即位の大嘗祭に行う斎田卜定にかかわる神さまとして重んじられて来たのです。古事記では鹿の肩甲骨で占う太占(太占)ですが、斎田卜定では亀の甲を焼いて占う亀卜がおこなわれ、今上天皇即位の時も同様に天香山神社で採木が行われています。
使われるウワミズザクラは、バラ科ウワミズザクラ属の落葉高木で、 和名は古代の亀卜(亀甲占い)で溝を彫った板(波波迦)に使われた事に由来し、ウワミゾがウワミズに 転訛したものされ、漢字では上溝桜と書かれています。
採木式は、神事にかかわる人のほか、地元住民を主とした多数の参観者が見守る中で行われました。
御代変り最初の儀式というのにマスコミ関係者の姿はなく、そのことがまた、この儀式が地元住民の手で行われてきた長い歴史や、地域と神の結びつきを感じさせるものでした。
践祚がない限り行われることがない何十年に一度の儀式。もう2度と見ることができない採木式を参観できたのは幸運でした。案内して頂いた地元の友人に感謝です。

天香山神社一の鳥居


神事が行われる拝殿


採木の準備も整って


今上天皇の即位時の採木式の記念石碑


拝殿に向かう神職


続く巫女さん


拝殿では神事が執り行われている


一般参加者もお祓いを受ける


神職たちが採木場に移動




右、太い枝が切り落とされる瞬間


切り揃えられる波波迦


伐られた波波迦は神前に供えられ報告される




ウワミズザクラの花

















  

Posted by むかご at 15:00Comments(0)

2019年01月06日

七草粥

明日は7日、正月七日に食べる七草粥は、新しい年を平和に暮らせることを願い、邪気を払う意味で食する古い風習ですが、今ではこの風習もだんだん薄れてきているというのは淋しいことです。
本来春の野に出て摘むのが春の七種でしょうが、今ではスーパーで七草のセットが販売されているというのも味気なく、中にはホトケノザとして、外来のシソ科ものが入っているとかの悲しい話もあります。

そんな中、我が家では、歩いて5分のところで、野菜となっている大根(すすな)、蕪(すずしろ)以外の5種を自分で摘むことにしています。

写真の左上から時計回りで芹(セリ)、薺(ナズナ)、ごぎょう(ハハコグサ)、はこべら(ハコベ)、ほとけのざ(コオニタビラコ)の5種です。
  

Posted by むかご at 12:11Comments(0)

2019年01月04日

遥拝?で終わった京の初詣

3ケ日の締めで京都へ初もうでに出かけました。
1.護王神社

賑わう護王神社門前

主たるお目当ては、亥年にちなんで「猪神社」の名で知られる護王神社です。ご祭神は和気清麻呂と姉の広虫で、清麻呂は宇佐八幡の神託を受けて、称徳女帝の寵愛のもと天皇の座につこうとした僧道鏡の野望を阻みます。このため天皇の不興を買い、大隅の国(鹿児島)へ流されます。さらに命も狙われ、足が不自由になった清麻呂が宇佐八幡宮に立ち寄る途中、300頭もの猪が現れ護衛し、参拝後歩けるようになった------そんな記述が歴史書「日本後記」に残ります。このため護王神社は猪を有難い生き物としてまつっており、足腰の健康にご利益があるとされています。
神社に近づいてみてびっくり、参詣客が境内の外まで長蛇の列、整理のガードマンに聞くと、拝殿までは2時間半から3時間かかるとのこと、やむなく烏丸通を隔てた御苑側から遥拝?させていただきました。

境内の外まで続く初詣の長い行列


やっと撮れた猪像


2.菅原院天満宮神社

菅原院天満宮神社



護王神社のすぐ南に菅原院天満宮神社がありました。ここは道真公の先祖代がお住まいになった地で、菅原道真とその父是善、祖父清公が祀られています。
烏丸の天神さんとも呼ばれるこの社には、菅原道真が初湯に用いたという「初湯の井戸」が残っており、今も湧水しています。

菅公産湯の井戸

ここではそれほどの混雑もなく、10分ほど並んで無事賽銭を納めお祈りできました。

3.千本釈迦堂(大法恩寺)本堂
北野天満宮への途中、千本釈迦堂(大法恩寺)へ詣でました。師走の8日には大根炊きで賑わうこのお寺ですが、正月3日のこの日は参詣客もまばらで、静かな雰囲気のなか、ゆっくりとで般若心経をお納めすることができました。
応仁の乱で京の主要な建造物が祝融に遭う中で、ここの本堂だけが残ったことで、お寺の本堂としては珍しく国宝に指定されています。
本堂建築で棟梁を務めた大工高次は、重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎた際、枡組で補えば良いと助言して、窮地を救いながらも「専門家でもない女性の知恵で棟梁が大仕事を成し遂げたと言われては夫の恥」と上棟式を迎える前に自害した愛妻「おかめ」の像があり、本堂の前には、お亀桜と命名されたみごとな枝垂れ桜が春を待っていました。

千本釈迦堂(大法恩寺)

4.北野天満宮
ふだん通りのような東門から入った北野天満宮も、境内に入れば予想にたがわず初詣の客であふれています。行列に並ぶのはあきらめて、本殿脇から拝ましていただきました。賽銭箱には近づけませんでたが、心を込めてお祈りしたので、ご利益はいただけるものと信じることにしました。

北野天満宮本殿前

5.車折神社
嵐電の北の白梅町から車折神社へ周りました。

車折崎神社入口

ここまでくれば比較的楽にお参りできるとの予想は全く外れて、車折神社でも本殿のある境内にすら入れず、柵外からの参拝となりました。
祭神は平安時代末期に高倉天皇の御進講を務めた清原頼業(よりなり)で、ここに頼業の廟所がありました。鎌倉時代の後嵯峨天皇が嵐山に来られた時に、この神社のあたりで牛車の棒が折れた事から、この名前がつけられたといいます。この神社には二つのご利益があり、境内にある小石(神石)を持ち帰って願い事が叶ったら、身近な石を一つ添えてお礼に奉納する事。もうひとつは、頼業の名にちなんで、金の「寄り」が良くなり、商いが「成り」という事で、近年はパワースポットとして人気を集めているそうです。
境内の摂社芸能神社は全国でも珍しい芸能上達等の神を祀っているので、芸能人の信仰も厚く、朱色の玉垣板に墨色で多くの芸能人の奉納名が書かれているのを眺めるのもたのしいことです。

車折神社本殿


芸能神社と芸能人の名が入った玉垣


TVでおなじみの名前がずらり





  

Posted by むかご at 12:44Comments(2)

2019年01月01日

謹賀新年


明けましておめでとうございます。
雲ひとつなく晴れ上がった今年の元朝、啄木ならずとも何か良い年になりそうな予感です。
大晦日に夜更かしするのでいつも初日の出は見られません。昨年末、家から歩いて15分の常行寺の庭から初日の出の前撮り?をしておきました。ちょうど高槻市中心部から太陽が昇りました
。  

Posted by むかご at 11:24Comments(0)