2020年01月28日
旧平安宮の名残りを残す「神泉苑」
願いを心に渡れば叶うという法成橋
昨日の記事、二条駅界隈に平安宮遺跡を訪ねるにも取り上げた神泉苑ですが、旧平安宮の諸施設のほとんどがその後の歴史的変遷で地中にうずもれてしまっている中で、当時の平安宮の片鱗が今も地上の形となって存在しているという意味では興味のある場所といえます。
神泉苑は、延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑でした。もともとここにあった古京都湖(古山城湖)の名残の池沢を庭園に整備したものと考えられ、当初の敷地は二条通から三条通まで、南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ、池を中心とした大庭園だったと伝わります。
天長元年(824)弘法大師空海が祈雨修法の際、勧請された善女龍王社を祀り、池にかかる 法成橋は、空海が法力を成就させたことから『一願成就』の橋としても知られます。東寺真言宗の寺院があり、本尊は聖観音・不動明王・弘法大師です。
境内に「恵方社」として「大歳神:歳徳神(としとくじん)」を祀り、毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きを変える「大歳神」があり、日本国内で毎年向きを変えるは唯一ここだけに見られる祀り方であると伝割ります。
史料に初めてその名が見られるのは『日本紀略』の記事であり、延暦19年7月19日(800年8月12日)、桓武天皇が行幸したという内容があります。季節を問わずまたどんな日照りの年にも涸れることのない神泉苑の池には竜神(善女竜王)が住むといわれます。
貞観5年(863年)に都に疫病が流行り、神泉苑で御霊会が行われ、貞観11年(869年)には神泉苑の南端(現在の八坂神社三条御供社の位置)に66本(当時の律令制度の国の数)の鉾を立てて祇園社から神輿を出したのが、現在の祇園祭の元になったとも言われています。
中世以降は荒廃し、慶長8年(1603年)、徳川家康が二条城を造営した際には神泉苑の敷地の大部分が城内に取り込まれて著しく規模を縮小し、神泉苑の水源も城の堀の水源の一つとして奪われました。
現在の神泉苑は、龍頭鷁首の舟を浮かべた法成就池中心に本堂、善女竜王社、辯財天社、恵方社などが配置され、義経と静御前があった場所との伝説もあって、恋愛のパワースポットとして人気が出ているといいます。
観音様を祀る本堂
法成橋のたもとの鶴石、亀石
竜頭鷁首の舟が浮かぶ池、右に善女竜王社
池の東部から善女竜王社
二条城南の道路一本隔てた所にあり、入苑自由(無料)、おすすめスポットです。
Posted by むかご at 09:39│Comments(0)