オオサカジン

  | 高槻市

新規登録ログインヘルプ


スポンサーリンク

上記の広告は、60日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  
Posted by オオサカジン運営事務局 at

2013年02月27日

「遠の朝廷(みかど)」大宰府 







1)大宰府政庁跡
ほっこり九州4日間というツアーでの大宰府滞在時間は昼食を含めてわずか2時間。太宰府天満宮参詣をそこそこにして、タクシーで、わが国の西の守り、外国との交渉の窓口となった大宰府の史跡を巡りました。
大宰府政庁跡(都府楼跡)は、平城京、平安京に次ぐ、大きな規模で、南北22条、東西24坊の都市計画があったともつたわります。万葉集には"遠の朝廷(みかど)"と詠まれました。
いまは公園となっている広大な敷地にはその大きさを偲ばせる立派な礎石が残り、そこを中心に門や回廊などの役所跡が復元されています。
公園の一角には紅白の梅が今盛りです。
天平2年(730)正月13日大伴旅人、山上憶良など32人の役人が集まって梅見の宴を催したのもこのあたりと思われます。
わが園に 梅の花散るひさかたの 天より雪の 流れ来るかも(大伴旅人:5ー822)





2)水城跡
博多から大宰府へ入る前に、道路や線路を横切る木立に覆われた大きな堤が続きいています。
664年、白村江の戦いで敗れたあと、唐と新羅連合軍の攻撃に備えて築かれた防衛施設の水城跡です。
その規模は全長1.2kmにわたり、基底部で幅80メートル、高さ13メートルを越える人工の土塁(堤防)を築き、その博多湾側に幅60メートル、深さ4メートルの堀をつくり、水を貯えたといいいます。
今も残る水城跡を見ていると、当時の国の危機感が如実に感じられ、中・韓など近隣国との緊張が高まっている今の日本の防衛意識がこれでよいのか考えさせられる史跡です。




3)戒壇院
奈良時代に、大宰府観音寺に戒壇院が置かれました。
戒壇院とは僧尼として守るべき戒律を授けるところで、ここで戒を受けなければ正式の僧尼とは認められませんでした。
戒壇はここのほか奈良の東大寺、下野の薬師寺に置かれ、単価の三大戒壇院といわれました。
本尊の廬舎那仏は平安時代末の作で重要文化財です。
  

Posted by むかご at 13:48Comments(0)

2013年02月25日

梅満開:大宰府天満宮  


満開の飛び梅

延喜3年(903年)2月25日、その2年前、藤原時平の讒言で大宰府へ左遷された菅原道真は、都の空を想いつつ、この地で死去します。
菅公の命日の前々日の2月24日、大宰府天満宮は受験祈願と梅見の参詣客でたいそうな賑わいでした。
本殿の右の樹齢千年という立派な白梅は有名な”飛び梅“で丁度今満開です。
”飛び梅“は、主を慕った梅が京より大宰府へ一夜で飛んだという伝説のものでが、実際には部下の伊勢国度会郡の白太夫が旧邸から密かに持ち出した苗木を献じたものを、時平をはばかって梅が飛んだとしたなど様々な説もあります。
ところで、この“飛び梅”今では白梅ですが、もともとは紅梅だったことは、大宰府天満宮も知らんふりをしていることもあり、ほとんど知られていません。
道明寺天満宮の宝物殿にある古い太宰府天満宮の絵図では飛び梅は明らかに紅梅が描かれていますし、実際にも道真は紅梅を愛好し、その屋敷も“紅梅殿”といわれていたことを考えると、飛んできたかどうかは別として、当初は紅梅であったことは疑いようがありません。
何代か植え変わるうちにいつの間にか紅梅は白梅に姿を変えたと考えられます。清廉潔白な菅公のイメージとしては紅梅より白梅が好ましいと考えてのことでしょうか。
閑話はともかくとして、全国4千社ともいわれる天満宮の元締めである太宰府天満宮はさすが規模も大きく、参詣客は6千本といわれる満開の梅を楽しんでいました。

賑わう門前通り



心字池に架かる太鼓橋


  

Posted by むかご at 07:02Comments(0)

2013年02月18日

高槻でナラ枯れ防除



近年、本州の日本海側を中心に発生したカシノナガキクイムシ(カシナガ)が媒介するナラ菌によりナラ等が集団的に枯損する「ナラ枯れ」が、滋賀、京都を経て高槻方面にまで広がり問題となっています。
高槻摂津峡の青少年キャンプ場から山腹遊歩道を摂津峡へ下る道沿いに、何カ所か切り株や切断された材木が白いビニールに覆われているのに出会いました。
ナラ枯れが蔓延しないように、カシナガの被害を受けたクヌギ、コナラなどを伐採し、ビニールで覆って殺菌燻蒸をしているのです。
ナラ枯れは古い木にだけ発生しますが、昭和30年代以降の燃料革命などによって、里山が放置されて古い木が多くなったために顕著になったといわれています。
ナラ枯れによって、自然に植物態の更新が行われるのであれば、ことさら問題にしなくてもよいという意見もあります。
実際面で困難が多い防除を推進するのか、放置しておくのがよいのか、様々な意見のなかで、寺社、公園など景観を保全す必要があるところでは、防除作業が進んでいるようです

  

Posted by むかご at 10:26Comments(0)

2013年02月16日

山上から高槻市ランドマーク



夏なら青葉にさえぎられ眺望がきかない摂津峡青少年キャンプセンター近くの展望台ですが、この時季、すっかり落葉した木々の間から、高槻市中心部のランドマークである高層ビルがよく見えていました。  

Posted by むかご at 10:29Comments(0)

2013年02月14日

山里早春



2月14日、久し振りのポカポカ陽気に誘われて、高槻市摂津峡へ散歩にでかけました。
途中城山集落で早咲きの紅梅が満開でした。
厳しかった今年の冬もようやく春の気配です。
  

Posted by むかご at 16:54Comments(0)

2013年02月11日

雪景色:琵琶湖大周り 


雪の比良山系

冬、雪の便りがあると湖北など近郊へ雪見にゆくのが慣わしになっています。
いつもなら車ですが、今回はJRの“大回り”方式で琵琶湖を一周してきました。
“大回り”とは、1998年に始まったもので、大都市圏で設けている特例区間内で、目的駅まで乗車するのに同一区間を走らず、途中下車もしない場合、乗車経路を自由に選択できるというものです。
高槻から大津までの切符を買い、湖西線新快速で近江塩津で、北陸線経由大阪方面行き新快速に乗り換大津で下車。改めて大津―高槻の切符で戻るルートをとりました。結局高槻―大津間の往復の切符で琵琶湖を一周してきたわけです。

近江高島付近


近江今津付近


マキノ付近


驚いたことには、乗り換え点の近江塩津が近づくと、ざわめきがはじまり、乗客の大半が同じ目的であることがわかりました。
当初JRは、不正乗車のおそれもありお勧めしたくないとしていたこの“大回り”ですが、盛況に妥協したのか乗換の駅が近づくと「大回りのお客様は次の近江塩津駅で・・・」などと車内案内があるなど、こらはもうちゃんとしたお客様扱いです。
さらに驚いたのは乗換駅の近江塩津駅の様子です。ストーブの入った待合室兼食堂ができているし、中途下車できないはずが、自由に改札を出入りできて、小学生のグループなどは乗り換え時間を2時間も延長して駅の近くで雪遊びを楽しんでかえるのだといいます。

賑わう乗換駅


待ち時間に改札を出て雪遊びに向かう小学生たち

どうやらJRは、一区間の乗客でも大切なお客様だと考えを変えたようで、すこし後ろめたい気持ちがあったのが吹っ飛んで、存分に車窓の雪景色を楽しんで帰りました。

木の本付近


余呉湖遠望


雪雲の伊吹山

  

Posted by むかご at 09:21Comments(2)