2013年06月27日
源氏の里多田丘陵を歩く
小雨の中阪急山本駅から万願寺をへて多田神社まで、多田丘陵を歩いてきました。
山本駅近くの住宅街を抜けてしばらく行くと、渓谷沿いの道となり、緑の中を30分ほど登ると、大聖不動尊の山門があり、右に折れて少し行くと最明寺の瀧があります。3方を切り立った岩に囲まれた高さ10mほどの瀧は、折からの梅雨の谷水を集めて白い帯となって流れ落ちていました。瀧の周囲にはいくつもの小さい祠があり灯明や線香が供えられて、この滝が修験の場となっていることを示しています。

大聖不動尊山門

最明寺瀧
さらに山をのぼりつめて、中山寺最高峰への道と分かれて、少し降ると川西市の住宅街に入り、ほどなく源氏ゆかりの万願寺にいたります。

万願寺山門

万願寺本堂
川西市にある万願寺は神亀年間(724~728)聖武天皇の命により諸国に建てられ中の一つで、勝道上人が摂津国満願寺として千手観音を本尊に開基したと伝えられています。さらに安和元年(968)摂津の国多田に本拠に構えたという清和源氏の祖といわれる満仲が、この寺に深く帰依したといわれ、歴代源氏一族の祈願所として崇敬を集め発展しましたが、室町時代末期に戦火で焼失するなどで、一時は49院を数えたという院坊も今では本堂の1院のみとなっています。
源家の七塔
昼食後、万願寺の住職から教わった多田神社への道をたどります。山道、野の道、住宅街をとおりぬけて1時間少し歩き、猪名川に架かる赤い橋をわたるとそこは多田神社です。
多田神社階段
多田神社は、天禄元年(970)に創建され、多田大権現社とも言われ、関西日光の別称もある大社です。
祭神は、第五十六代清和天皇のひ孫贈正一位鎮守府将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公をお祀りしていることから、源氏発祥の地と言われています。
源満仲は武門の棟梁として、沼地を開拓して多くの田畑を造り、又河川を改修して港湾を築き、又鉱山事業など殖産興業に力を注ぎ、国力の増進と源家繁栄の基礎を築きました。又頼光の鬼賊退治、頼信の平忠常討伐、頼義、義家が前九年、後三年の両役に東北におもむき、現地の豪族を討伐するなど源家の繁栄に寄与しました。

多田神社本殿
現在の社殿は、徳川四代将軍家綱の再建に依るもので、境内一万六千坪に、内廓外廓の二重になっており、保存されている古文書、宝物などを含めて、歴史的価値が高く、国指定の史跡となっています。
山本駅から多田丘陵をへて、能勢電多田駅に至るこのコースは、住宅地を少し外れると、思いがけない緑と渓流の道がつづき、約1万5千歩の快適なハイキングを楽しめます。
(しばらくお休みします)
山本駅近くの住宅街を抜けてしばらく行くと、渓谷沿いの道となり、緑の中を30分ほど登ると、大聖不動尊の山門があり、右に折れて少し行くと最明寺の瀧があります。3方を切り立った岩に囲まれた高さ10mほどの瀧は、折からの梅雨の谷水を集めて白い帯となって流れ落ちていました。瀧の周囲にはいくつもの小さい祠があり灯明や線香が供えられて、この滝が修験の場となっていることを示しています。

大聖不動尊山門

最明寺瀧
さらに山をのぼりつめて、中山寺最高峰への道と分かれて、少し降ると川西市の住宅街に入り、ほどなく源氏ゆかりの万願寺にいたります。

万願寺山門

万願寺本堂
川西市にある万願寺は神亀年間(724~728)聖武天皇の命により諸国に建てられ中の一つで、勝道上人が摂津国満願寺として千手観音を本尊に開基したと伝えられています。さらに安和元年(968)摂津の国多田に本拠に構えたという清和源氏の祖といわれる満仲が、この寺に深く帰依したといわれ、歴代源氏一族の祈願所として崇敬を集め発展しましたが、室町時代末期に戦火で焼失するなどで、一時は49院を数えたという院坊も今では本堂の1院のみとなっています。

源家の七塔
昼食後、万願寺の住職から教わった多田神社への道をたどります。山道、野の道、住宅街をとおりぬけて1時間少し歩き、猪名川に架かる赤い橋をわたるとそこは多田神社です。

多田神社階段
多田神社は、天禄元年(970)に創建され、多田大権現社とも言われ、関西日光の別称もある大社です。
祭神は、第五十六代清和天皇のひ孫贈正一位鎮守府将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公をお祀りしていることから、源氏発祥の地と言われています。
源満仲は武門の棟梁として、沼地を開拓して多くの田畑を造り、又河川を改修して港湾を築き、又鉱山事業など殖産興業に力を注ぎ、国力の増進と源家繁栄の基礎を築きました。又頼光の鬼賊退治、頼信の平忠常討伐、頼義、義家が前九年、後三年の両役に東北におもむき、現地の豪族を討伐するなど源家の繁栄に寄与しました。


多田神社本殿
現在の社殿は、徳川四代将軍家綱の再建に依るもので、境内一万六千坪に、内廓外廓の二重になっており、保存されている古文書、宝物などを含めて、歴史的価値が高く、国指定の史跡となっています。
山本駅から多田丘陵をへて、能勢電多田駅に至るこのコースは、住宅地を少し外れると、思いがけない緑と渓流の道がつづき、約1万5千歩の快適なハイキングを楽しめます。
(しばらくお休みします)
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17:01
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2013年06月24日
50年ぶりの競馬場


社会経験豊富を自称する友人に連れられて女性を含むグループで阪神競馬場へ出かけました。
かねてより博才がないと自認している“むかご”のことゆえ、競馬場へ足を入れることも、馬券を買うことも50年ぶりです。
行ってみて驚いたのは、設備も雰囲気も能率も昔と全く変わっていました。清潔、雰囲気、楽しさなどすべてが、家族でも楽しめる健全な娯楽となっています。
馬券の種類も9種あって、いろいろな組み合わせで楽しむことができます。
先ずビギナーズスクールで競馬のABCから手ほどきを受け、いざ投票です。
レースで6種類の馬券を買い、当てたのが一枚だけで回収率は33%、残念ながらビギナーズラックとはゆきませんでした。それでもその1枚の当たり馬券は、パドックでなんとなくよさそうだと思って買った馬だったので、なかなかいい気分でした。
家へ帰って連れ合いに面白いから次は一緒に行こうと約束しましたが、歳をとっての賭け事では溺れる心配もなさそうです。
Posted by むかご at
17:19
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2013年06月20日
猪名川万葉植物園

山の入り口
小雨降る猪名川万葉植物園を見学しました。
この植物園は、学生時代より萬葉集傾倒されてきた猪名川の旧家であるK氏が、自宅の裏山と田畑一部に長年かけて約100種におよぶ万葉集に出てくる植物を集め栽培しているものです。

山の一角

ベニバナ
万葉集4千500余首に出てくる植物は約160種といいますから、その種類の広範さがうかがえるとともに、これだけの万葉植物を個人で蒐集、栽培されているご苦労も察せられます。
残念ながらお目当てのササユリは、昨日で散り終えたとのこと、それでも雨に濡れそぼつ種々の万葉植物は鮮やかに輝いて見えました。

アサザとハス
Posted by むかご at
17:07
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2013年06月17日
製油発祥の地離宮八幡宮
16日、大山崎町の離宮八幡宮で、NPO地球の杜委員会主催の第16回鎮守の杜フェスタが催され、大勢の参加者で賑わっていました。
この神社は、石清水八幡宮の元社にあたる由緒ある神社で、後に嵯峨天皇の「河陽離宮」跡であったことから社名を離宮八幡宮としたものです。
貞観年間に神官が「長木」という搾油器を発明し、荏胡麻油の製造が始まったことから、日本における製油発祥の地となり、今も全国の精油関係業者の崇敬を受けています。
その後「大山崎油座」の制度のもとで荏胡麻油の独占販売権を得て繁栄しましたが、幕末「禁門の変」の際長州藩屯所が山崎にあったため、焼失し、さらに境内北側を国鉄用地に提供するなどで、かつての規模は縮小しました。

挨拶の大山崎町長

製油発祥の地石碑

石清水八幡宮の字が刻まれた石灯籠

エゴマ油の原料の荏胡麻

離宮八幡宮本殿

賑わう子どもコーナー

西国街道を通った菅原道真が腰を掛けて休んだという腰掛神社
この神社は、石清水八幡宮の元社にあたる由緒ある神社で、後に嵯峨天皇の「河陽離宮」跡であったことから社名を離宮八幡宮としたものです。
貞観年間に神官が「長木」という搾油器を発明し、荏胡麻油の製造が始まったことから、日本における製油発祥の地となり、今も全国の精油関係業者の崇敬を受けています。
その後「大山崎油座」の制度のもとで荏胡麻油の独占販売権を得て繁栄しましたが、幕末「禁門の変」の際長州藩屯所が山崎にあったため、焼失し、さらに境内北側を国鉄用地に提供するなどで、かつての規模は縮小しました。

挨拶の大山崎町長

製油発祥の地石碑

石清水八幡宮の字が刻まれた石灯籠

エゴマ油の原料の荏胡麻

離宮八幡宮本殿

賑わう子どもコーナー

西国街道を通った菅原道真が腰を掛けて休んだという腰掛神社
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13:49
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2013年06月10日
アクアピアふれあいフェスタ

オープンセレモニー

竹馬に興じる
6月8日の土曜日、夏の日差しの中恒例のアクアピアふれあいフェスタが開かれました。
高槻市内で活動する9つのボランティアグループが、それぞれ工夫をこらした出し物で、来場者を楽しませていました。

<賑わった屋内の自然工作
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13:42
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2013年06月02日
ポピー変じてカミツレの丘

ポピー祭りがおこなわれていた万博公園の花の丘が様変わりしています。
たぶん10年ほども前に蒔かれたカモミールとも呼ばれるカミツレが、花の丘周辺でこぼれ種で生き残ってきたのが、爆発的に殖えて、花期が終わりかけたポピーの丘を覆い尽くすようになったようです。
カミツレはヨーロッパ原産の代表的なハーブで、古くから薬用として、また浴用などにも利用されてきました。
5~7月に茎の先に小形の頭花をつけ、周囲の舌状花は白色、中心の筒状花は黄色で丸く盛り上がります。
自然にポピーの丘を覆ったカミツレは、それなりに美しくて、草全体から発する芳香も漂い、思いがかない新風景となっています。
先日新聞にこの情景が紹介されていました。おそらく意図せざる結果で生まれたであろうカミツレの丘を宣伝するとは、万博公園もしたたかな商魂の持ち主とみました。

Posted by むかご at
10:30
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