2016年07月31日
満開ひまわり園

佐用町(旧南光町)林崎地区のひまわり園は今満開です。何か所かあるひまわり園の中で林崎地区はも36万株と地域でも最大規模を誇ります。
あさ早く家をでたので、8時過ぎにつきましたがすでに大勢の見物客がつめかけていました。
よく見ればやや盛りを過ぎつつある感じですが、広い園内では微妙に時期をずらして播種したらしく、ちょうど満開のところも結構あります。
見渡す限り、東の方向に一斉に顔を向けて立つひまわりの集団はさすがに迫力があります。





たまたま出会った陽気な若いカップルと写真を撮ったり撮られれたりして、思いがけず、大きく離れた世代間交流を楽しみました。
彼女は、この日のために、ひまわりの花のティアラや花びらを丸く並べてつくった記念撮影用の顔出し板まで準備してきていました。
ひまわり畑でジャンプするする姿や、お姫様抱っこの姿を写真に撮ってほしいと頼まれたりしました。最近はやりのSNSにアップするらしく、こちらが撮ったお姫様抱っこの写真が仮にネットに流れても気にしない、くったくのない今時の二人でした。

そして、さすがにひまわりの顔出し板で撮ってもらったこちらの写真はアップする勇気はありませんでした
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10:31
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2016年07月27日
変わりゆく伊吹山頂

誰もいな雨の伊吹山西登山道
夏が来ると毎年のように訪れていた伊吹山頂のお花畑もここ3年ほどはご無沙汰していました。最後に行ったときすでに鹿害とかで、山頂一面を飾っていたシモツケソウが少なくなり、アカソ、フジテンニンソウ、オオヨモギなど色彩のない植物が優先していたからでした。
その後の情報も荒れた伊吹山頂の話ばかりでしたがにその荒れ具合を見るのも一興と久しぶりに行ってきました。
7月26日、梅雨が明けているはずと申し込んだバスツアーでしたが、思惑が外れて、先に行った御在所岳も伊吹山頂も一日中大雨でした。
それでも、御在所はロープウエイで登って15分ほどの散策でおわりましたが、伊吹山は来たかぎりはと、予定通り山頂ハイキングとなり、時間は既に午後4時前でしたが、駐車場に残ったただ一台のバス客は、篠つく雨の中を歩きはじめました。
荒れているという伊吹山頂お花畑は、時期的なことも加わってか、花の色は乏しく、雨とガスの中、ある種荒寥たる風景となっていました。
途中、以前にはなかった鹿除けの柵がはりめぐらされています。

鹿除けの柵が設置されている登山道

雨の下山道を下る

伊吹山を代表するシモツケソウも探すほど少ない
滝のように雨水が流れる遊歩道をひたすら歩き、本来は2時間かける西~中央のコースを、一時間弱で終えて、ほうほうのていでバスにかけこみました。
悪天候で、お花畑の現状をつぶさに見ることはできませんでしたが、やはり昔に比べて淋しい感が否めず、鹿除け策の設置などの保護活動の成果が早く現れるように願いながらの下山となりました。
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11:05
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2016年07月24日
雪解け水を集めて:称名滝

山上バスの車窓から(前日撮影) 今でしか見えない3本の滝が見える
室堂からの下山の立山高原バスに予想外待ち時間が少なくて、ケーブル立山駅に降り立ったのが12時半ごろ、予定より早かったので、前日高原バスの車窓から見た称名滝に立ち寄ろうと、ケーブル駅の係員に尋ねると、ここから車で10分、駐車場から徒歩10分とのこと。
行ってみると駐車場から1.5㎞、徒歩30分と話と大違いでしたが、来たかぎりはと霧雨の中を歩きはじめました。
20年ほども前にいちど訪ねたときはそんなに歩いた覚えないので、駐車場の位置がずいぶん手前に移転したのか、あるいは年齢のせいで遠く感じたのか、結構な道のりでした。
称名滝(しょうみょうだき)は、富山県中新川郡立山町にある立山連峰を源流とする滝で、弥陀ヶ原台地から一気に流れ落ち、称名川となった後に常願寺川へ注ぎ込んでいます。
称名滝は、350mという日本一の落差を誇る四段構成の滝で、国指定の名勝および天然記念物となっており、日本の滝百選に選定されています。
称名滝の名は、法然が滝の轟音を「南無阿弥陀仏」という称名念仏の声と聞いたことに由来すると伝えられています。
ちょうどこの時期は、雪解け水が多く、称名滝の右側にハンノキ滝が現れて2つの滝となるうえ、ハンノキ滝の右側にソーメン滝も現れて、3つの滝が並んだ光景を見ることができます。
称名滝は小雨交じりの霧が深く、滝の半分以上は霧の中で見えません。それでも雪解け水でかさを増した滝が轟音を立てて流れ落ちる姿は、豪快そのものでした。


立山の山上は快晴、下に降りると霧雨という、奇跡的な逆転の天気に驚き、かつ幸運を妻とともに喜びあいました。7月18日、この日九州から東海地方にかけて梅雨明けが宣言されました。
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15:53
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2016年07月23日
夏来たる立山③ 室堂

みくりが池に映る立山
夏山シーズンの到来を告げる7月18日の立山室堂平の朝9時、ここもまたインバウンドの外人観光客の団体でにぎわっていました。

日本晴れのみくりが池には、立山三山がくっきりと映り込んでいます。池の畔の草の茂みには雷鳥の幼鳥が姿を見せました。

残雪が残るみくりが池

絶滅が危惧される雷鳥の幼鳥に声援の声
噴煙をあげる地獄谷の荒寥を眺め、山崎カールの広大さに驚き、血の池を見下ろし、みどりが池に映る一の越と雄山をみて、室堂ターミナルに近づくころは、団体客の多くは次の場所に移動するのか、ずいぶんと静かになっていました。

地獄谷

山崎カール

血の池

みどりが池

ターミナルを一歩外れると静かな景色が広がる
ハイシーズンには何時間も順番待ちという立山高原バスも、11時20分発にすぐに乗れて、下山の途につきました。
天狗平から室堂一周の4時間強、雲一つない快晴の立山山麓を十分に堪能しました。
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14:22
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2016年07月21日
夏来たる立山② 天狗平山荘から室堂へ

天狗平の日の出
7月18日5時38分、天狗平山荘から見上げる立山三山付近からの太陽がまぶしく顔を出しました。
逆光の中、雄山山頂の峰神社が朝日を受けて白く光っています。

朝日に光る雄山山頂

運がよければ白山も見えるという富山湾方向をながめると、下の方は白い雲に覆われて何も見えません。
6時、山の事故の予防にもなるとの山荘の主人の勧めで宿泊客が揃って朝食前のラジオ体操です。

7時、宿が無料送迎車を出すというのを断って、チングルマなどが咲き乱れる天狗平水平道にはいります。

遊歩道の傍らに屋根付きの石仏が建っていました。立山開山以来、千余年に亘って、日本三霊山の一つとして全国各地からの立山信仰者が、石造の仏塔を持参して登拝安置したもので、現在44基が残っており、日本アルプスでも唯一つ、当時の信仰文化を示す貴重な遺物とされています。進むにつれて角度が変わる剣岳を見ながら(昨日記事)1時間強歩くと、室堂近くでハイマツに囲まれた登り坂になります。
振り返ると、歩いてきた道の尽きるところに天狗平山荘が小さく見えました。

さらに登ってゆくと、急に視界が開け、内外の観光客でにぎわう室堂平が目に飛び込んできて、天狗平水平道の終点です。

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16:18
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2016年07月20日
夏来たる立山① 剣岳八景
7月18日5時10分、大汝山(3015m)の肩から太陽が顔を出し、朝日に照らされた剣岳の姿がくっきりと見えました。
前日の深いガスがうそのように晴れあがり、まったく期待していなかった晴天で、心中大喝采です。
朝7時ちょうど、天狗平山荘(標高2300m)を出発、室堂(標高2450m)への道を歩きはじめます。
室堂までの道を花の写真も撮りながら約2時間をかけてゆっくり登ります。
進むにつれて、どうしても気になる剣岳とその前景が微妙に姿を変えて、飽きることはありません。
その姿を、時間経過に従って追ってみました。
5時12分:天狗平から明ける剣岳

7時14分天狗平水平道から草原越しに

7時21分:コバイケイソウも咲いて

7時24分:天狗平の池塘群

7時47分:望遠でアップ

7時52分:ハイマツ腰に・室堂への登坂で

7時54分:チングルマ咲く・室堂も近い

9時26分:室堂平で一旦姿を隠した剣が、みくりが池付近で再びわずかに顔を覗かせました。
前日の深いガスがうそのように晴れあがり、まったく期待していなかった晴天で、心中大喝采です。
朝7時ちょうど、天狗平山荘(標高2300m)を出発、室堂(標高2450m)への道を歩きはじめます。
室堂までの道を花の写真も撮りながら約2時間をかけてゆっくり登ります。
進むにつれて、どうしても気になる剣岳とその前景が微妙に姿を変えて、飽きることはありません。
その姿を、時間経過に従って追ってみました。

5時12分:天狗平から明ける剣岳

7時14分天狗平水平道から草原越しに

7時21分:コバイケイソウも咲いて

7時24分:天狗平の池塘群

7時47分:望遠でアップ

7時52分:ハイマツ腰に・室堂への登坂で

7時54分:チングルマ咲く・室堂も近い

9時26分:室堂平で一旦姿を隠した剣が、みくりが池付近で再びわずかに顔を覗かせました。
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20:11
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2016年07月19日
梅雨明け前後の立山

ニッコウキスゲ咲く霧の弥陀ヶ原
7月の始めころ晴天が続いて梅雨明けも近いと判断し、夏休みで混雑する前に山へ行こうと、立山天狗平山荘を予約しました。ところが再び梅雨空となり、現地の予報をウオッチすると予定の7月17・18日は雨模様とのこと、降りそうだからキャンセルしたいと連絡すると、山小屋の主人に山へ来るのに雨だから嫌だなんていうのは山へ来る資格がないと一喝?され、直前のキャンセルなら全額(2人で3万3千円)払ってもらうといわれ、山小屋で雨を見ているのも一興と思い切っ決行しました。
朝五時前に出発し360kmをひた走って、立山駅についたのが10時過ぎ、ケーブル、山上バスと乗り継いて11時過ぎ、霧の弥陀ヶ原散策に出かけました。
何回目かの弥陀ヶ原で、霧に包まれていてもコースに迷うことはありません。幸い雨も小やみなって、霧の中の景色もなかなか情緒があって、ほとんど無人の弥陀ケ原を楽しむことができました。

通る人も見えない木道

重要湿地としてラムサール条約に登録された弥陀ヶ原の池塘(餓鬼田))
山荘に入ったのが2時前、部屋にこもってむなしく窓外の白い霧を見ていました。
午後5時過ぎ、「霧が晴れてきました外へ出てください」と山荘内にアナウンス。いそいで出てみるとどんどん霧が晴れ上がっています。剣岳、雄山こそまだ霧の中でしたが、明日は晴れるかもしれないと期待がもてる霧の動きでした。

あした天気になあれ(7月17日17時15分)
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17:56
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2016年07月11日
100円プラネタリウムで七夕祭

映写された牽牛と織女
茨木市の消防署の最上階にプラネタリウムの看板があるのが気になっていました。
七夕さまに少し遅れましたが行ってきました。
座席数57の小こぢんまりした投影室に設けられたプラネタリウムは、45年前に設置された日本で5番目に古い機械とかですが、立派に動いています。何よりもうれしいのは入場料が今時珍しいたったの100円。

老いてますます好調ノプラネタリウム機

映し出される七夕ばなし
チケット販売を兼ねた優しそうなおじさんの話で約50分間、星座を見ながら、童心に帰って牽牛・織女のお話しなどを楽しむことができました。

切符切り、機械操作、お話と一人3役の優しいおじさん

振り返ると消防署の屋上にプラタリウムの看板
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15:05
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2016年07月08日
弁天さんの蓮




茨木弁天さんの池に蓮が咲いているというので行ってきました。
弁天さんを象徴するかのような高さ72mの水子供養塔の手前の低いところにに蓮池があります。
残念ながら池のそばまで降りることができないので、橋の欄干からの撮影となり、デジカメで最大の望遠を使ってやっと撮れたのがこの写真です。
さほど大きくない蓮池ですが、ほかに写真を撮る人とて見当たらない中、朝の静けさの中に開く蓮の花と向き合っていました。
なお、福知山の事故で2年間中断していた花火が復活し、従前通り8月8日に開催されることになっているそうです。

遠くからでも見える水子供養塔
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06:00
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2016年07月06日
都会のオアシス

ビルの中の里山風景
ついでがあって新梅田シティに立ち寄りました。
中心的存在の梅田スカイビルは、都心にありながら里山の原風景を望むことができる「新・里山」(約8,000㎡)や、緑の壁面などがあり、開設20年を経て木々の緑も深まり都心のオアシスとなっています。

緑陰の小路


グラン大阪南館9fのグリーンプラザからスカイビルを振り返る
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15:28
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2016年07月04日
フェイクなるも威風堂々:勝山城博物館

平泉寺白山神社からの帰途すぐの田んぼの中に立派なお城が見えました。勝山城博物館です。
姫路城天守に似せたという堂々たる天守風の建物の高さは57.8mあり日本一の高さといいますが、コンクリート製の模擬天守です。
勝山市出身で、大阪でタクシー業で成功した多田 清氏が建造したもので、内部は勝山市と連携した博物館となっています。
本当の勝山城は、現在の勝山市役所と公民館があるあたりにあったとされ、昭和40年まで天守台や石垣などの遺構が残っていましたが、今では城址碑のみが残るといいます。
勝山市に同じ多田氏が創建?した越前大仏(大師山清大寺)がありますが、こちらは市税滞納などで市の管理となり、今やゴーストタウン化し格好の「なにこれ珍百景」になっているとか、一代で財を成した成功者が故郷で飾ったはずの錦も皮肉な末路となっているようです。
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15:58
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2016年07月02日
知られざる世界遺産候補:国史跡白山平泉寺旧境内

見事な苔庭

精進坂

二の鳥居に続く参道
白山高山植物園を訪れた帰途、勝山市の平泉寺白山神社に立ち寄りました。
平泉寺は、霊峰白山(標高2702m)の越前側登拝口に開かれた白山信仰の拠点寺院で、今から1300年近く前、泰澄によって開かれたと伝えられます。

開祖泰澄大師廟
中世には北陸でも有数の勢力を有するようになり、現在の白山神社よりもはるかに広大な境内に、数十の堂や社、数千におよぶ坊院(僧の住居)が建ち並んでいたといわれます。
天正2年(1574)、一向一揆との戦いで全山が焼失し、往時の姿を伝えるものはほとんど失われてしまい、明治の神仏分離令で白山神社と改められるなど、大きい歴史的変遷がありました。

平泉寺(へいせんじ)の名のもとになった御手洗池

廃仏毀釈で放置された石仏群

拝殿

本社

三の宮へ。この道が白山への禅定道となる
平成元年から始まった本格的な発掘調査によって、かつての境内の遺構が見事に残っていることが判明しました。

発掘された中世の石畳と塀。南と北に6千の僧房があった
広い境内の老杉の間に広がる緑の苔は実に見事で、かつて司馬遼太郎が「街道をゆくで」で「京都の苔寺の苔など、この境内にひろがる苔の規模と質から見れば笑止な程であった。しかも、苔寺は金をとって収入を得ているが、平泉寺は無料であった」 と手放しの賛辞を送っているほどです。

老杉の間に広がる苔

苔庭に陽射し
地元勝山市では、白山麓の文化遺産群を「霊峰白山と山麓の文化的景観」というテーマで、関係自治体とともに世界文化遺産候補として文化庁に提案しているのも頷けます。
人影もまばらな静かな境内を散策しながら、“ついで”ではなくあらためてゆっくり訪れたいとの想いを強くしていました。
Posted by むかご at
16:57
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