2016年02月27日
花で描く巨大なお猿さん

春めいてきたある日、宇治市植物公園を訪ねました。
入り口からも眺められるここの売り物「花と水のタペストリー」今のテーマは干支の「申」です。
幅62m、高さ18mの壮大な雛壇(46段)に、ビオラ、葉牡丹などを植えこんだ3,675基のプランターを並べて描かれたお猿さんは西遊記の孫悟空とか。3月には新しいテーマに変わるそうです。
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13:36
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2016年02月25日
関宿と坂下宿
亀山宿を散策ののち、東海道53次を京都側へ関宿、坂下宿へまわりました。
何回か来たことがある関宿ですが、亀山宿と共同で催しているおひなさまスタンプラリーを完成したいと思ってのことでもありました。
冬の宿場町は、最近どこでも目立つインバウンド客も見当たらず、静かな雰囲気で散策を楽しむことができました。

地蔵院の屋根越しに鈴鹿の山々を望む関宿の代表的な景観

関を代表する旅籠の一つ鶴屋。千鳥破風が格式を表す

漆喰壁に鏝模様の旧玉屋

伊藤本陣跡

昔ながらの桶屋さんも

ひな祭りはスタンプ所以外の家でも展示されていて自由に見ることができます。

江戸時代の古雛

下段の白い人形は伊勢遷宮時内宮の鳥居を移した時を模した「木曳き雛」とか

マンホ-ルノ蓋は縞の合羽に三度笠
4ケ所のひな祭りスタンプラリーを終えて、抽選で外れの景品は“かめせん”、結構おいしいものでした。

関宿を鈴鹿峠に向かって京都側へ進む街道が旧坂下宿です。今は広い車道になっていて昔の面影はなく、わずかに本陣跡の石碑が残るくらいの淋しい町となっていました。
何回か来たことがある関宿ですが、亀山宿と共同で催しているおひなさまスタンプラリーを完成したいと思ってのことでもありました。
冬の宿場町は、最近どこでも目立つインバウンド客も見当たらず、静かな雰囲気で散策を楽しむことができました。

地蔵院の屋根越しに鈴鹿の山々を望む関宿の代表的な景観

関を代表する旅籠の一つ鶴屋。千鳥破風が格式を表す

漆喰壁に鏝模様の旧玉屋

伊藤本陣跡

昔ながらの桶屋さんも

ひな祭りはスタンプ所以外の家でも展示されていて自由に見ることができます。


江戸時代の古雛

下段の白い人形は伊勢遷宮時内宮の鳥居を移した時を模した「木曳き雛」とか

マンホ-ルノ蓋は縞の合羽に三度笠
4ケ所のひな祭りスタンプラリーを終えて、抽選で外れの景品は“かめせん”、結構おいしいものでした。

関宿を鈴鹿峠に向かって京都側へ進む街道が旧坂下宿です。今は広い車道になっていて昔の面影はなく、わずかに本陣跡の石碑が残るくらいの淋しい町となっていました。
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14:03
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2016年02月24日
亀山城址と東海道亀山宿

亀山城多聞櫓
白子の不断桜の鈴鹿市から東海道五十三次の一つ亀山宿へまわりました。
亀山城は天正18年(1590)、岡本宗憲によって築かれた城で築城時には、本丸・二之丸、三之丸からなり天守もあげられていたとされます。この天守は、寛永9年(1632)、丹波亀山城(現在の京都府亀岡市)の修築を幕府より命じられた堀尾忠晴が間違えて解体してしまったという定かではない伝承があります。
現存する「多門櫓」は、18世紀後半頃に武器庫として建てられ、明治期には士族授産の木綿段通工場として使用されていたため破壊されずに現在まで残り、三重県で唯一現存する城郭建造物として県有形文化財となっています。
唯一残ったこの多門櫓は、本多俊次が城主の時に天守跡に建てたもので、旧本丸の東南隅の石垣の上の建っており、かつてのお城の威容の面影を宿しています。

旧宿場をしのばせる標識

数少ない古い建物(旧ますや)
城の南側には旧東海道が通り、城を挟んで東町、西町に旧亀山宿がありましたが、宿場町としての古い建物はほとんど残ってなく、道筋の家並みの軒並みかかっている旧〇〇やという標識がわずかに往時を偲ばせてくれます。
数少ない現存建物の館屋(旧ますや)では、ちょうど亀山宿・関宿共同で東海道のおひなさまスタンプラリーが催されていました。

ひな祭り展示

座敷わらし?

亀山のマンホール蓋
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09:04
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2016年02月23日
白子の子安観音寺

元禄16年建立の仁王門
天然記念物の不断桜(昨日記事)があるのは鈴鹿市白子の子安観音寺の境内です。
安産・子育ての観音様として千二百年つづく信仰を受けているこの寺は、高野山真言宗の名刹で、御本尊に白衣観世音をおまつりし、安産・子育ての霊験あらたかな霊場として、全国より参詣者が訪れます。堂々とした仁王門(県文化財)をくぐると、本堂と美しい三重の塔があります。
聖武天皇の天平年間に創建。寺伝には、「伊勢の浦に時々鼓の音あり、怪しきままに網を下しけるに、鼓に乗り、観世音の尊像上らせ給ふ」とあります。以来、深い帰依を受け、後に正親町天皇より「御本尊は殊に大悲深く、難産のうれひを救ひ、子孫長久を守らせ給ふ、ゆへに子安観音とあがむ。」との綸旨も賜たという由緒深い寺院です。

本堂

三重塔
この日、途切れることなく安産祈願のための参詣者が詣でていて、腹帯などを授かっていましたが、自分が大阪くんだりから見にった有名な「不断桜」を眺めようとする参詣者は誰もいませんでした。
Posted by むかご at
13:29
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2016年02月22日
白子の普断桜

異常な暖冬と寒波がこもごも襲来して、花の季節にはまだ早いのに今年の桜開花はどうなるかいささか気になるこのごろですが、鈴鹿市に年中花をつける桜の古木あると聞いて、今年の花見の先駆けと思って行ってきました。
安産の守護観音である白子山子安観音寺の境内にあるというこの桜について、事前に地元観光協会に状況を問い合わせたところ、「は年中咲いてはいるが、ちらほらという感じで満開の桜は期待できませんよ」と親切に教えてくれましたが、もとよりそれは承知の上で見に行ったのは、大正22年3月に国の天然記念物に指定されたという由緒正しい普断桜であるということに興味を覚えてのことでした。
なにせ、寺の縁起によれば天平宝宇年代に雷火で焼失した伽藍跡に芽生えた桜が観音の霊験で咲くという話が残るというのはともかく、永禄10年(1568)に連歌師紹巴が紀行文に「白子観音寺に普段桜とて名木あり」とか、貞享3年(1686)にこの桜を主題にし」謡曲「普断桜」が生まれているなどでそんじょそこらの普断桜とは歴史も格も段違いに異なります。
その櫻、やはり満開とは程遠く文字通りチラホラでしたが、2月というのに、枝先に赤色の若葉がついており、別の枝にはつぼみがたくさんついているなど、まさに普断桜そのものでした。


花と若葉とつぼみが同時に

いつ咲くのか蕾もたくさん
古木だけあってしっかりした株元ですが、枝の剪定や支柱など、保護・養生に細心の注意がはらわれているのがよく感じられました。
正確にはわからない樹齢ですが、いつまでも生き続けてほしいと願わずにいられませんでした。
Posted by むかご at
16:44
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2016年02月07日
五代友厚に会う

大阪取引所と五代友厚像
7日、NHK朝ドラ「あさが来た」でよく知られるようになった明治初期の大阪の恩人といわれる五代友厚の足跡をたどるスタンプラリーに参加しました。
ラリーといっても五代が設立発起人となった大阪株式取引所(現大阪取引所)の見学ツアーと、大阪の企業家を紹介する大阪企業ミュージアムの2か所を回るという簡単なものでしたが、朝ドラ人気もあって早朝から大勢の人が集まっているのには驚きました。

玄関ホールと集まった見学客

ステンドグラスが入った円形の玄関ホール

建設当時からのステンンドグラス
1935年建設の旧大阪証券取引所は2004年全面増改築されましたが、楕円筒形の旧市場館部と外壁・内壁の一部が保存され、花崗岩張りで列柱が並ぶ様式が残ってレトロ建築感覚をとどめています。
1997年12月をもって、場立ちが手サインで売買することが廃止されて、どうなっているのか関心があった立会場はなくなっているとかで、見学ツアーなるものも展示室での今昔の資料を解説するといった簡単なものでした。それでも展示されている資料の中には五代のほか朝ドラのモデルになった人の名もあって参観者たちが興味深く見入っていました。

取引所設立趣意書の五代の署名(真筆)

廣岡信五郎の名も
004年12月建立された建物正面前の五代友厚公の銅像は高さ約7mの堂々たるものです。
商工会議所が運営している大阪企業家ミュージアムで、五代の写真入りクリアファイルを頂いて、近くの商工会議所にある五代の銅像に会ってきました。

商工会議所前の五代像
ドラマで五代を演じて一躍人気になったディーン・フジオカですが、写真や銅像でみる五代もまた額の秀でた男前で、49歳で若死にしたためか商工会議所前では、ほかの二人よりずいぶん若々しく颯爽としていました。
最近あることで調べた大正10年制定の大阪市歌では、3番で自らを「東洋一の商工地…」と唱っています。五代や廣岡浅子・廣岡信五郎などが頑張って築いた大阪の繁栄も今では東京に大きく後れを取っています。
京阪神と奈で力を合わせて、産業、文化、観光など全般にわたってかつての栄光を取り戻すべく若い人たちに頑張ってもらいたいものです。
Posted by むかご at
10:47
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2016年02月03日
補助金付き神戸の旅

神戸市が1万円補助するという「神戸牛ディナー&神戸スウィートとCITYHOTELステイの旅」に参加しました。
神戸は三宮界隈や、ポートアイランドなどは別にして、旧居留地やベイエイア付近は震災以来訪れたことがないので、改めて神戸の今昔を見てみたい思いもあってのことで、あながち補助金につられただけのことでもありませんでした。
旧居留地のレトロ建築は当初の用途とはずいぶん異なった使われ方をしているものの、充分保存にも配慮がなされていることが感じられ、ノスタルジックな雰囲気を保っています。

商船三井ビル

神戸海岸ビル

旧居留地15番ビル
震災直後に見た壊滅的な埠頭は見事に復興して、神戸の象徴ともなったハーバンランドに人々が憩っています。

神戸ポート7タワー

神戸牛の店で
神戸牛のディナーでは、品のよいコックさんが、優秀神戸肉の表彰トロフィーを見せながら、目の前で神戸牛の塊を手際よく切り分けて焼いてくれました。
宿はポートアイランドにあるポートピアホテルです。残念ながら10階の部屋からはベイアリア付近の夜景は望むことができませんでした。
チェックアウトは十分ゆっくりして、南京町で昼食の後、創業50年という三宮ボックサンでスウィートセットを楽しみ、2時ごろ神戸を後にしました。

スウィートの老舗
補助金あってのこととはいえ、普通なら考え付くこともない近隣での一泊旅行は、思わぬくつろいだものとなりました。
スポンサーの神戸市にとどくはずのアンケートを求められました。項目別に神戸市で何円くらい費消したかという質問がありました。計算するとツアークーポン以外では使ったのが補助金の1万円に満たない額で、神戸市の消費喚期待には沿えなかったと申し訳ない気持ちでした。
Posted by むかご at
11:03
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