2018年09月28日
台風21号の傷癒えぬ醍醐寺境内

人影がない醍醐寺門前
醍醐寺とその周辺を歩こうと思い寺のHPを調べると、台風21号が過ぎて4週間にもなるというのに、台風で甚大な被害を受けたため上醍醐・下醍醐全域の参拝を停止するとありました。
ともかく周辺でも歩こうと行ってみたら、確かにふだんなら参拝客でにぎわっているはずの醍醐寺門前は見事に無人でした。
寺を囲む金網の柵のそとから、垣間見る境内は少しは整理されているものの、いたるところに倒木や幹折れがあり、今さらながらさきの台風の激しさがに驚かされました。

門には入山禁止の張り

境内の倒木

上醍醐も入山禁止
僅かに三宝院だけが公開されていましたが、みかけた観光客は外人男女一組だけでした。
関西空港が再開したというのに、観光地がこのありさまでは、がっかりするインバウンドも多いことでしょう。
21号台風被害の修復もまだ十分でないのに、またもや同規模の24号の本州直撃の可能性があるとか、心配です。
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10:31
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2018年09月25日
高槻市:原新風景

何とか見つけた彼岸花群
田園風景の残る高槻市の原地区へ彼岸花を見に行ってきました。
10年ほども前は、彼岸ともなれば田んぼのあぜ道を真っ赤に彩る見事な彼岸花を見ることができたのですが、どうしたことかずいぶん数も少なくなり、動物除けの網がはりまわされていて、あぜ道を辿りあるくこともできません。

残る田園風景
昔のままの景色が見られなくなったのは淋しいですが、その代わり開通した新名神の高架道路が見えて、原の新風景となっていました。

原のどこからも見える名神高速道路
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20:24
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2018年09月24日
今に残る枚方火薬庫の土塁

住宅団地を守るが如き旧火薬庫土塁
1939(昭和14)年3月1日午後2時45分、枚方市禁野の陸軍火薬庫の第15号倉庫で砲弾解体中に不意に発火し、てん薬弾に引火して天地を揺るがす大爆発が起きました。
爆発音は京阪一帯に響きわたり、真っ赤になった弾薬や破片が飛び散り、午後7時までに29回の爆発を繰り返し、3月3日正午になってようやく火災はおさまりましたが、炸裂した弾丸の破片は半径2キロに飛散し、禁野・中宮など近隣の集落に延焼しました。陸軍の報告書によると、死者94人、負傷者602人、家屋の全半壊821戸、被災世帯4425世帯に達する大災害となりました。
住宅団地となった、中宮地区内のところどころには火薬庫の延焼を防ぐための土塁が今も残こり、陸軍がもたらしたかつての大災害を思い起こさせてくれます。
市民の平穏な生活が続く火薬庫跡地に残る土塁は、多少は防風、防犯、防火など平和的な役に立っているといえそうです。

土塁は町のあちこちに

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11:32
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2018年09月22日
知られざ国指定特別史跡百済寺跡(枚方)

手前から金堂跡、行動跡、食堂跡

古い礎石が残る西塔跡
京阪電鉄宮の坂駅からほど近いところに国指定特別史跡百済寺跡があります。
枚方中宮にある特別史跡百済寺跡は、8世紀後半に百済王の末裔である百済王氏(くだらのこにきしし)が、難波からこの地に移り、一族の氏寺として建立した寺跡と考えられています。
倭国と同盟関係であった百済最後の王義慈王は、王子豊璋と善光を人質として日本に送っていたが、白村江で倭・百済連合が破れた際戻っていた豊璋は流刑となり、とどまっていた善光は難波に土地を与えられ、百済から受け入れた大量の亡命者とともに百済郡を建都し、一大勢力となり、軍事、学問、技術に優れていたため、多くの上級官吏として重用されました。
更に善光の4代目の敬福(698~766)は陸奥守に任じられ、任地から産出された金800両を東大寺建立の金不足に苦しむ聖武天皇に献上するなどの功績で河内守に任じられ、河内国交野郡に一族とともに本拠を移し、氏寺として百済寺を建立するなど、古代枚方は百済王一族の本拠であるとともに、日韓交流の拠点ともなりました。
百済寺跡は昭和8年に国の史跡に指定され、昭和28年に特別史跡に昇格しました。
国指定特別史跡としては、大阪府下では大阪城跡となともに、2か所しかない史跡で」ありながら、こちらはあまり知られていません。
それでも、人も立ち入れないほどに荒廃していた史跡も、再整備に向けての発掘調査が続けられ、寺院の遺構も復元されつつあり、史跡公園として市民の憩いの場となりつつあります。
昭和59年、枚方市が「百済寺址の松風」として枚方百景の一つ選定していますが、先の台風で倒木や幹折れなど被害もあり、少し寂しくなっています。
百済寺跡に隣接して百済王神社があります。

百済王神社
河内百済一族との氏神として百済王神社が造営されたとおもわれますが、数度の火災により百済寺・百済王神社は次第に衰退し、神社は後に奈良の興福寺の支配下に入り、再興が図られ、現在の本殿は、興福寺と関係が深い春日大社の本殿を移築したものです。
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11:50
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2018年09月18日
盛会:敬老の日の老人クラブ
敬老の日に合わせて地域の老人クラブの懇親会が開かれました。
昼食、懇談、趣味の発表などはいつもの通りとして、公衆衛生や高齢者健康問題の権威で、大阪医大講師を経て市の健康福祉部の主幹を務められている谷本芳美先生の軽妙かつ有益な講話と、昨年社会人落語大会で第九代名人となられた喜怒亭哀楽師匠の落語「時うどん」が加わって、大いに盛り上がったことでした。
講演される谷本芳美先生

喜怒亭哀楽師匠の熱演
昼食、懇談、趣味の発表などはいつもの通りとして、公衆衛生や高齢者健康問題の権威で、大阪医大講師を経て市の健康福祉部の主幹を務められている谷本芳美先生の軽妙かつ有益な講話と、昨年社会人落語大会で第九代名人となられた喜怒亭哀楽師匠の落語「時うどん」が加わって、大いに盛り上がったことでした。

講演される谷本芳美先生

喜怒亭哀楽師匠の熱演
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18:27
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2018年09月17日
箱石海岸:日本海のロングビーチ

箱石海岸から小天橋方面を望む
猛暑、豪雨、地震などが相次いで、すっかり引きこもり状態でしたが、久しぶりで日帰りバスでの遠出で日本海の箱石海岸へ行ってきました。実は、6月にニホンカイジオパーク巡りということで久美浜小天橋の海岸線に立ち寄ったとき、海浜植物の宝庫と聞きながら時間の関係で観察をあきらめたことがあり、(6月11日記事)取り返すちょうどいい機会となりました。
ちょうど久美浜湾の外堤にあたるこの海岸は、西は小天橋から葛野、箱石と約9kmにも及ぶ海岸線が連なっています。夏は海水浴で賑わう海岸には、初秋の風が吹き渡り、珍しい海辺の花々がそよいでいました。

トウテイラン(洞庭藍) 沖ノ島、鳥取羽合・泊、京都府にしか自生しない希少種(環境省絶滅危惧種Ⅱ類)

ウンラン(海蘭) これも近畿RDBで絶滅危惧種Ⅱ類に指定
Posted by むかご at
16:08
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