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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2013年07月31日

木曽・阿寺渓谷



御岳ロープウエイ、千畳敷カールの帰り、木曽郡大桑村の阿寺渓谷へ立ち寄りました。
木曽川支流の阿寺川が造る美しい渓谷で、河床の石が白く、渓流はエメラルドグリーンに輝きます。
木曽五木に混じり雑木林も両岸に迫り、紅葉の頃はさこそと想像できます。
中ほどの駐車場にはこの地を訪れたという島木赤彦の歌碑があります。



六段の瀧、狸ヶ淵、犬帰りの淵、うなり島などと名付けられた見事な景観が続きますが、自動車道は渓谷より高い位置にあり、ここじっくり歩いて清らかな自然に浸りたいところです。
  

Posted by むかご at 09:51Comments(0)

2013年07月30日

御岳ロープウエイ 


始発駅らの花壇と御岳

駒ヶ岳千畳敷カールでの植物観察前日、御岳ロープウエイで2150mの地点まで登りました。
本来の登山口の王滝への道に分かれて、東方面へ向かい森林の中を車で30分ほど、ロープウエイ乗車点鹿ノ瀬駅(1570m)に着きます。
駅の裏には御岳を色背景に色とりどりの花壇が設けられています。
ロープウエイで約15分飯森高原駅(2150m)に着きます。ここは御岳の七合目にあたり、登山口になっていますが、残念なことに位置的にここからは御岳の姿は殆ど見えません。ただ木曽谷を隔てて中央アルプスのやまなみが見えるはずですが、その日は靄でかすんでいました。
パンフでは駅に周辺は高山植物の宝庫ということでしたが、ほとんどは外から移植したもので、自生種が少なく失望です。
どうやら、このロープウエイは主に冬のスキー客に運転されている模様で、夏場ロープウエイで登って楽しむというには魅力の乏しいものと思いました。

頂上駅から木曽谷方面を望む

  

Posted by むかご at 09:50Comments(0)

2013年07月28日

千畳敷カール 


7月26日2年ぶりで中央アルプス千畳敷カールを訪れました。
ロープウエイで標高2612mまで登ると、眼前を見上げると宝剣岳(2931m)が聳えています。
高山植物のお花畑となっているカールの遊歩道は観光客の列が続きます。その多くは約2時間の短い滞在のようです。そして自分もその一人でした。

コバイケイソウ



クロユリ



  

Posted by むかご at 15:01Comments(0)

2013年07月22日

ヨーロッパアルプス(墺・伊・独)を巡る 最終回 

<<<チロル・ドロミテを巡る10日間の旅もいよいよ大詰めに近づきました。
すでにトレ・チメとハルシュタットの二つの世界遺産を訪ねましたが、今日はアルプスの山を離れて、さらに二つの世界遺産、メルク修道院とフッカー渓谷のドナウ川クルーズです。

ヘルシュタットからバスでウィーン方向へ走ること約3時間、農園のつづく平原に突如巨大な建物が姿を現します。
メルク修道院は、オーストリアにあり、ドナウ川を見下ろす岩肌に建ち、ヴァッハウ渓谷に隣接しているベネディクト会派の修道院で、世界的にも有名な修道場です。

手前からメルク修道院


修道院入口


修道院中庭

修道院の設立は1089年、バーベンベルク家のオーストリア辺境伯レオポルト2世により、ランバッハ修道院出身のベネディクト会修道士に城の1つが寄進されたことによります。修道士の学校であるメルク修道士校が12世紀に設立されると、その図書館はまもなく、幅広い写本収集で知られるようになりました。 修道院の写字室もまた、今も残る写本の生産の重要な場となりました。今日に残る見事なバロック建築の修道院は、1702年から1736年にかけて、ヤコブ・ブランタウアーの設計により建設され、 見どころは、ヨハン・ミヒャエル・ロットマイヤが修道院の教会に描いたフレスコ画と、中世の手描き原稿が無数に納められた図書室です。その名声と研究成果のおかげでメルク修道院は、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世が1780年から1790年にかけて、オーストリアの修道院をたくさん接収したり解散させた時期をかろうじて凌ぐことができました。 第二次世界大戦後、学校は修道院に戻され、現在は男女併せて約900人の生徒がここで学んでいます。

手書きの写本

豪華な大理石の間



教会内部


今も900人の修道僧が


ドナウ川から


ヴァッハウ渓谷 (Wachau) は、オーストリア北部のドナウ川下流地域に広がる景勝地です。南北の山脈に抱かれた36キロに及ぶ渓谷一帯が「ヴァッハウ渓谷の文化的景観」の名で、ユネスコの世界遺産に登録されました。
メルクからはドナウ川のクルーズ船で、デュルンシュタインまで約1時間の船旅を楽しみます。



最近の豪雨続きで“美しき青きドナウ”も濁った急流となっています。

ショーンピッケル城


シュピッツ





ヴァイセンキルヘン
観光クルーズ船からは、次々に現れる両岸に点在する古城や修道院が目を楽しませてくれます。葡萄とワインの名産地であるヴァツハウ渓谷には、中心に教会をもついくつもの集落が点在します。
下船場デュルンシュタイン
下船はデュルンシュタインという小さい町で、山上にケーンリンガー城という半ば崩れた城があります。この城は、30年戦争(1618年-1648年)でプロテスタント側のスウェーデン軍に破壊され、そのまま今日に至るまで350年以上も放置されているといいます。
廃城となっているこの城は、1192~1193年にかけてイギリスのリチャード獅子心王が第3次十字軍遠征(1189-1192)の帰りにオーストリア公により囚われのみとなりこの城に幽閉され、家臣ブロンデルの機智によって救い出されたことで知られています。 

デュルンシュタインの廃城



ドナウ両岸の葡萄畑


デュルンシュタインの町からは、ドナウ川を挟んで両岸の葡萄畑が整然と広がっていました。
デュルンシュタインから再びバスに乗り、ツーア最終日の宿泊地ウイーンへ向かいます。
さすがウイーンは大都会、公園には浮浪者が徘徊し、町の到る所に落書きが目立ちます。

オペラ座


公園のヨハン・シュトラウス像


行進曲にもなったラディッキー将軍像


オペラ座の前では切符売りの若者が日本と見て、大きな声で「ワイルドだぜ」「杉ちゃん」などと声をかけられ驚きました。
帰国前日、泊まるだけのウイーンでしたが、素晴らしい自然に浸ってきた後だけに、大都市の喧騒と猥雑さだけが印象に残りました。
かくして延10日間の”チロル・ドロミテ、3つのハイキングというツアーは終わりとなりました。明日は早朝から2日をかけて一路日本への帰途です。
  

Posted by むかご at 10:10Comments(4)

2013年07月21日

ヨーロッパアルプス(墺・伊・独)を巡る ⑦ バット・イシュル

ヨーロッパアルプス(墺・伊・独)を巡る ⑦ バット・イシュル
行動5日目(7月18日記事)に立ち寄ったハルシュタット湖周辺は「ザルツカンマーグート地方のハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」として、ユネスコの世界遺産に登録されています。
第5日、第6日と連泊したハルシュタットに近いバート・イシュル(Bad Ischl)は、ハルシュタット文化の時代より居住が確認されており、1262年に最初の記述があります。 1419年アルブレヒト2世によって「Salzkammer」と呼ばれる地方議会が設立され、1466年にはフリードリヒ3世によって市場都市の特権が与えられました。最初の岩塩鉱が1563年に開かれ、1597年には塩田も開かれています。
街中に温泉もあり、19世紀初頭に食塩水が医療用として使用されるようになり、メッテルニヒなど高貴な客人も訪れるお洒落なスパリゾートとなりました。
1853年8月19日にフランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトの婚約式がSeeauerhausで執り行われ、1854年に皇帝の母ゾフィーは結婚のお祝いとして、彼に今も残るKaiservillaを与え、Villaが皇帝家の夏の住居となりました、フランツ・ヨーゼフ1世はそこを「地上の楽園」と記述しています。
1914年7月28日にKaiservillaで、フランツ・ヨーゼフ1世はセルビア王国に対する宣戦布告に署名した。これが第一次世界大戦の開始の合図となりました。彼は翌日バート・イシュルを去り、再び戻ることはありませんでした。
ハプスブルグ王朝の崩壊の第1歩がこの地で始まったともいえます。

植物園となっているKAISERVILLA

KAISER城跡

街中心を流れるトウラン川

聖堂の塔とEUROSPA(温泉)



朝市には様々な車輪付きの店が開店する



  

Posted by むかご at 11:57Comments(0)

2013年07月19日

ヨーロッパアルプス(墺・伊・独)を巡る ⑥

行動第5日ザルツカンマングート観光は、
バート・イシュル→ザンクトギルゲン→ロープウエイでツヴァルファーホルン→ザンクトギルゲン→ザンクトウォルフガング湖クルーズ→登山電車でシャーフベルグ山頂→バート・イシュルです。
この一帯はザルツカンマーグート(Salzkammergut)と呼ばれ、ザルツブルク市の東方に位置するオーストリアの観光地です。この地名は「塩の御料地」の意味であり、かつてこの地方に岩塩鉱があり、家畜の飼育や酪農製品の保存に欠かせない貴重な塩の取引をハプスブルク帝国が直轄地として独占的に支配したことに由来します。
ザルツカンマーグート地域は、多くの山や湖に恵まれていることから、多様なレジャーを楽しめます。
高級別荘が立ち並ぶザンクトギルゲンからロープウエイでツヴァルファーホルン(1522m)に登り、霧雨のなかをハイキングです。あいにくの霧で展望こそ望めませんでしたが、放牧の牛が悠然と歩くハイキング道の両側は色とりどりの草花で彩られていました。

高級別荘地ザンクトギルデン





ツヴァルファーホルンのハイキング道

ザンクトウォルフガング湖クルーズ船の乗り場ザンクトギルゲンの町は、ウイーンやザルツブルグにも近いということからか、小さい街中にモーツアルトの姉が結婚式を挙げた教会とか、モーツアルトのお母さんの生家など少々まゆつば的な観光施設もありました。

ザンクトギルゲンの町


モーツアルトのお母の生家

ザンクトウォルフガング湖クルーズ船が進むにつれて、湖畔のあちこちの美しい建物が湖面に影を映していました。




映画“サウンド オブ ミュージック”で、一家が山へハイキングに行くとき乗った珍しい蒸気登山鉄道で、シャーフベルグ山(1783m)へ登ります。
登山鉄道は、はるか下にいくつかのザルツカンマーグートの湖を見ながらびっくりするような急勾配を
登って行きます。
見た目には可愛くいい気分の鉄道ですが、アプト式とあって、特に下りはガッククンガックンとしゃくるように揺れて、乗り心地はいまひとつでした。

蒸気登山機関車

急勾配を登る鉄道



終点のシャーフベルグ山


鉄道が発着するザンクトウォルフガングの町にも、塩の国ザルツカンマーグート地方らしく、岩塩の店
が並んでいましたが、売られているのは食用よりも入浴剤としての塩が主なのには驚かされました。

塩の店


岩塩の原石?

  

Posted by むかご at 20:16Comments(1)

2013年07月18日

ヨーロッパアルプス(墺・伊・独)を巡る ⑤ 

行動第5日(7月3日)は、オーストリー最高峰のグロースグロッグナー(3797m)を望むフランツヨーゼフヘーエから、山岳道路をへて、世界遺産ハルシュタットの町を訪れ、2連泊するバートイシェルへの旅です。(サムネイルをクリックで拡大します)


途中小さい部落に建つ”聖なる血“の教会に立ち寄ります。十字架にかけられたイエスから流れ出た血が、914年ごろ騎士たちによって、グロスグロッガー街道で難儀に会いながらもこの地にもたらされて、以来巡礼の地として信仰を集めているといいます。
つづら折の山岳道路を登り、フランツヨーゼフヘーエ(2362m)へ向かいます。オーストリア最高峰のグロースグロッグナー山(3797m)の頂上は雲のため見えません。


展望台から見下ろすオーストリー最大のアレッチ氷河は、近年後退が激しく、最近まで展望台の真下まであった先端部分はいくつかの氷河湖となっていました。
氷河の奥にはJohannisberg山(3460m)がみえます。

見下ろす崖地では、愛嬌あるマーモットも姿を見せていました。

峠越えの山岳道路では自転車レースが行われていて、予期しない渋滞に巻き込まれました。それにしてもこの高い山岳地帯をサイクリングしたり、あるいは徒歩で登る人が多いのには驚かされます。

立ち寄った世界遺産のハルシュタットは、ザルツブルク市にほど近く、オーストリア・アルプスの麓の湖水地帯ザルツカンマーグート地域の最奥に位置する景勝地です。ハルシュタット湖の湖畔に家々が並び立つ景観は、オーストリアの代表的な風景として、人気の観光地となっています。一帯は「ザルツカンマーグート地方のハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」として、1997年にユネスコ世界遺産に登録されました。
Hallはケルト語で「塩」、Stattはドイツ語で「場所」を意味するハルシュタットは、町のはずれに古代ローマ以前にまで遡る岩塩坑があり、この塩坑からは古代の墓地遺跡が発見されました。1734年に村内の岩塩の坑道から塩漬け状態の人間の遺体が発見されたという記録が残っています。遺体と同時に発見された衣類や道具から、この遺体は先史時代の岩塩の鉱夫で、落盤などの事故により岩塩内に閉じ込められたと考えられ、ソルトマンとも呼ばれました。

町の入り口にこの岩塩鉱夫と思われる石像が建っていました。
  

Posted by むかご at 11:13Comments(0)

2013年07月17日

ヨーロッパアルプス(墺・伊・独)を巡る ④

行動第4日(7月2日)は、このツアーのハイライト、ドロミテ山地でも最もよく知られている、3つの頂を意味するトレ・チメ・ディ・ラヴァレード山麓のハイキングと、ミズーリナ湖の散策です。
ドロミテはイタリア北東部、スイスやオーストリア国境にも近い場所に位置するアルプスの分嶺をさします。カルシウムとマグネシウムを含むドロマイトと呼ばれる独特の灰色がかった石(白雲石もしくは苦灰石)で形成されており、それがドロミテの語源となっています。
宿のコルティナ・ダンペッツォからの道筋の車窓からは、ドロミテの険しい山塊が途切れることなく続きます。
車窓から
クリスタロ山

トレチメ・ラヴァレードの駐車場に着くと、眼前に世界遺産トレ・チメ(2998m)の岩塊が聳え立っています。
トレ・チメ山
歩くにつれてトレチメの山容が変わる

2344mのアウロン小屋から、ラヴァレード小屋までのメインのハイキング道からは周囲の峰々や深く切れ込んだ峡谷など圧倒されるようなパノラマの連続です。


1時間ほど歩いてラヴァレード小屋で小休止し、有志だけでさらにチマピッコラの鞍部まで登ります。
雪が残る鞍部から見る裏側のトレチメは、三つの頂を明確に見せて聳えています。鞍部から見下ろすと雪解け水を湛えた池のほとりを歩くハイカーの列が小さく見えました。



駐車場近くの小屋の前には、地元3国の国旗に並んで、どういうわけか日の丸が鮮やかにはためいていました。



昼食は“ドロミテの真珠”ともいわれるミズーリ湖畔です。観光パンフそのままの湖のほとりには沢山の高山植物が咲いていて、楽しい散策となりました。
振り返ると、さっき行ったトレ・チメの切りたった山塊が我々を見送ってくれているようでした。

  

Posted by むかご at 11:35Comments(1)

2013年07月16日

ヨーロッパアルプス(墺・伊・独)を巡る③

行動第3日はドロミテ山麓をボルツァーノ→カレッツア湖→ボルドイ峠→カナツェイと巡り→宿泊地コルチナダンベッツオです。 
ボルツァーノから約45分でカレッツア湖に着きます。(サムネイルをクリックすると拡大できます)

神秘の湖面カレッツア湖
好天に恵まれて、深いエメラルドグリーンの静かな湖面に、背後のラテマール山群(2846m)の険しい峰々が影を映して、ツアーのパンフ通りの神秘的な光景を目にして大満足です。湖はさほど大きくはなく30分ほどで1周できました。
カレッツア湖をあとにして、ヘヤピンカーブを登りながらロープウエイが出る2239mのポルドイ峠に向かいます。

ロープウエイで上ったセッラ山麓(2950m)は、まだ深い雪です。展望台から見るピッツボエ(3152m)の頂上は僅かに雲に見え隠れしています。

セッラ山麓展望台からピッツボエ(3152m)

雲に隠れるドロミテの山々
360度の展望台から見るアルプスの山々の頂部分は雲がかかっていますが、深い谷となっ山麓の緑が目に沁みます。

眼下の峡谷の緑がまぶしい
ロープウエイを降り再びポルドイ峠で昼食、山のふもとに広がるお花畑で童心にかえっての寝ころびアルプスの美味しい空気を胸いっぱい吸い込んだことでした。


今宵と明日はコルティナ・ダンペッツォで連泊です。ここはドロミテの東の入口となる街で、1956年の冬季オリンピックで日本の猪谷千春が冬で始めてメダルを獲得したことで知られています。
コルチナの大聖堂
コルチナのホテル前からファローリア山
ロープウエイで上るフローリア山の展望台から見下ろすコルチナの町は、四囲を嶮しい山に囲まれてミニチュアのように見えていました。
  

Posted by むかご at 17:01Comments(0)

2013年07月15日

ヨーロッパアルプス(墺・伊・独)を歩く② 

行動第2日目は、インスブルック→ミッテンヴァルト→アイプゼー湖→ツークシュピッツェ→ボルツァーノの行程です。
ミッテンヴァルト(Mittenwald)はドイツ連邦共和国バイエルン州に属する人口約7900人の小さな町ですが、オーストリアとの国境近くに位置し、昔からアルプス越えのルートの一つでした。標高は約900m、17世紀ごろイタリーで技術を学んだ職人がこの地で弦楽器の制作を始めたことから、バイオリンの町として知られ、いまも世界各地からバイオリン製作技術を学びに来る人が絶えないといいます。町にはバイオリン博物館もあります。
この町はまた家々の壁に美しいフレスコ画が描かれていることでも知られ、ゲーテがこの街を「生きた絵本」といったという話が残ります。(サムネイルはクリックで拡大します)

ミッテンヴァルトの中心部

教会の通り

バイオリン工房の標識

家々の壁に描かれたフレスコ画

カールベンデル山(2385m)
標高2962mのツークシュピッツ山(Zugspitze )は、ドイツ・バイエルン州とオーストリア・チロル州の国境にある山でドイツの最高峰です。山頂はオーストリーとの国境に位置しており、ユーロ統合以前は山頂に検問所があったといいます。
山頂にはバイエルン・ツークシュピッツ鉄道がガルミッシュ・パルテンキルヒェンから、ケーブルカーがドイツ側とオーストリア側からそれぞれ1ヶ所ずつ出ており、我々は麓のアイブゼー湖畔から断崖をほぼ垂直に登るロープウェイに乗りました。頂上は雲に覆われでほとんど眺望は開けませんでしたが、僅かに真っ白いガスの中、頂上の十字架を目指す男たちがみえて、雪の高山の雰囲気を味わっていました。

直登するロープウエイから

ガスの中山頂を目指す男たち

眼下に見るアイプゼー湖
ちなみにリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲は、10代の頃この山に登った体験をもとに作曲したとのことです。

今宵の宿はドロミテ山岳地帯の入り口のボルツァーノ、途中の岩石の山腹に見える階段状のものはこの岩山を貫いて走る鉄道と聞いて本当かなと思ったところに、ちょうど列車が通りかかり、なおのこと驚きました。

岩山を貫く鉄道敷

岩山を走る列車
  

Posted by むかご at 09:08Comments(0)

2013年07月14日

ヨーロッパアルプス(墺・伊・独)を歩く①インスブルック

6月28日から7月7日まで、チロル・ドロミテを中心に墺・伊・独のヨーロッパアルプスをハイキングするツアーに参加しました。
高山植物が咲き乱れるヨーロッパアルプスの山々を歩くことはもちろん、山と湖に囲まれた山麓の町々、点在する世界遺産をめぐる10日間の旅は、強い印象と思い出を残してくれました。
(出会った花々については別ブログ「むかごの日記Ⅱ」でご紹介します。)

ツアーのスタートはインスブルックです。
1964年,1976年と2 度の冬季オリンピックの開催地としても有名なこのまちは、ウィンタースポーツのメッカであるだけではなく、旧市街には黄金の小屋根、宮廷教会、大聖堂、ホーフブルク王宮など中世の重要な建築が並び、ハプスブルグ帝国皇帝マクシミリアン1世と女帝マリア・テレジアが愛した多くの建造物があります。
四囲を雪が残る山岳に囲まれたインスブルッグの町を歩くとき、古い歴史の町ならではの美しさと雰囲気をじっくり味わうことができました。
(サムネイルをクリックすると拡大図なります)

市街遠景

市名の由来であるイン川

マリア・テレジアが改築した旧王宮

観光客に人気の黄金の屋根

聖アンナの記念塔

インスブック第2日目は、郊外にある標高2200mのゼーフェルダーシュピッツへのハイキングです。
ケーブルカーとロープウエイを乗り継いで、往復約2時間の山上ハイキングの途中で雪が降り出し、せっかくの360度展望台もガスに包まれましたが、足元には初めてのヨーロッパアルプスの花々が迎えてくれて、寒さを忘れてシャッターを切っていました。

ゼーフェルダーシュピッツ(2200m)山頂へ  

Posted by むかご at 10:51Comments(3)