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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2014年03月21日

早春の東近江市③ 万葉の森 船岡山 


万葉の森船岡山の歌碑

天智天皇7年(668)5月5日近江の国蒲生野で薬猟(くすりがり)が催されました。薬猟は、男は鹿の袋角をとり、女は薬草をとるもので、当時は宮廷を挙げてのはでな遊楽的な行事だったとされています。
茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや君が袖ふる 額田王 (巻1―20)
紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に われ恋ひめやも 大海人皇子(巻1―21)
この有名な贈答の歌はこの時の歌で、額田王は大海人皇子との間に早く十市皇女をもうけて、今は大海の兄天智天皇の後宮にあるという複雑な関係にある二人の歌だけに、人々の関心も深く、相聞歌ではなく、宴席での戯れ歌だったなど様々な説がおこなわれています。

船岡山から今の蒲生野?

この蒲生野は特定はされていませんが、近江鉄道の平田駅近くで、昔の行政区画で蒲生郡といわれた一帯であろうとされています。
この近くの船岡山は、万葉の森 船岡山として整備され、自然の巨岩に「元暦校本万葉集」の原本そのままの文字を彫りこんだ石板がはめこんであります。

万葉レリーフ

船岡山のふもとには、当時の遊猟を偲ばせる巨大な万葉レリーフが設けられ、万葉人がムラサキの咲き乱れる蒲生野で行事を楽しむ姿が描かれていますが、少々ケバ過ぎて万葉の情緒に欠けるうらみがあります。

  

Posted by むかご at 09:10Comments(0)