2019年01月04日
遥拝?で終わった京の初詣
3ケ日の締めで京都へ初もうでに出かけました。
1.護王神社
賑わう護王神社門前
主たるお目当ては、亥年にちなんで「猪神社」の名で知られる護王神社です。ご祭神は和気清麻呂と姉の広虫で、清麻呂は宇佐八幡の神託を受けて、称徳女帝の寵愛のもと天皇の座につこうとした僧道鏡の野望を阻みます。このため天皇の不興を買い、大隅の国(鹿児島)へ流されます。さらに命も狙われ、足が不自由になった清麻呂が宇佐八幡宮に立ち寄る途中、300頭もの猪が現れ護衛し、参拝後歩けるようになった------そんな記述が歴史書「日本後記」に残ります。このため護王神社は猪を有難い生き物としてまつっており、足腰の健康にご利益があるとされています。
神社に近づいてみてびっくり、参詣客が境内の外まで長蛇の列、整理のガードマンに聞くと、拝殿までは2時間半から3時間かかるとのこと、やむなく烏丸通を隔てた御苑側から遥拝?させていただきました。
境内の外まで続く初詣の長い行列

やっと撮れた猪像
2.菅原院天満宮神社
菅原院天満宮神社

護王神社のすぐ南に菅原院天満宮神社がありました。ここは道真公の先祖代がお住まいになった地で、菅原道真とその父是善、祖父清公が祀られています。
烏丸の天神さんとも呼ばれるこの社には、菅原道真が初湯に用いたという「初湯の井戸」が残っており、今も湧水しています。
菅公産湯の井戸
ここではそれほどの混雑もなく、10分ほど並んで無事賽銭を納めお祈りできました。
3.千本釈迦堂(大法恩寺)本堂
北野天満宮への途中、千本釈迦堂(大法恩寺)へ詣でました。師走の8日には大根炊きで賑わうこのお寺ですが、正月3日のこの日は参詣客もまばらで、静かな雰囲気のなか、ゆっくりとで般若心経をお納めすることができました。
応仁の乱で京の主要な建造物が祝融に遭う中で、ここの本堂だけが残ったことで、お寺の本堂としては珍しく国宝に指定されています。
本堂建築で棟梁を務めた大工高次は、重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎた際、枡組で補えば良いと助言して、窮地を救いながらも「専門家でもない女性の知恵で棟梁が大仕事を成し遂げたと言われては夫の恥」と上棟式を迎える前に自害した愛妻「おかめ」の像があり、本堂の前には、お亀桜と命名されたみごとな枝垂れ桜が春を待っていました。
千本釈迦堂(大法恩寺)
4.北野天満宮
ふだん通りのような東門から入った北野天満宮も、境内に入れば予想にたがわず初詣の客であふれています。行列に並ぶのはあきらめて、本殿脇から拝ましていただきました。賽銭箱には近づけませんでたが、心を込めてお祈りしたので、ご利益はいただけるものと信じることにしました。
北野天満宮本殿前
5.車折神社
嵐電の北の白梅町から車折神社へ周りました。
車折崎神社入口
ここまでくれば比較的楽にお参りできるとの予想は全く外れて、車折神社でも本殿のある境内にすら入れず、柵外からの参拝となりました。
祭神は平安時代末期に高倉天皇の御進講を務めた清原頼業(よりなり)で、ここに頼業の廟所がありました。鎌倉時代の後嵯峨天皇が嵐山に来られた時に、この神社のあたりで牛車の棒が折れた事から、この名前がつけられたといいます。この神社には二つのご利益があり、境内にある小石(神石)を持ち帰って願い事が叶ったら、身近な石を一つ添えてお礼に奉納する事。もうひとつは、頼業の名にちなんで、金の「寄り」が良くなり、商いが「成り」という事で、近年はパワースポットとして人気を集めているそうです。
境内の摂社芸能神社は全国でも珍しい芸能上達等の神を祀っているので、芸能人の信仰も厚く、朱色の玉垣板に墨色で多くの芸能人の奉納名が書かれているのを眺めるのもたのしいことです。
車折神社本殿

芸能神社と芸能人の名が入った玉垣

TVでおなじみの名前がずらり
1.護王神社

賑わう護王神社門前
主たるお目当ては、亥年にちなんで「猪神社」の名で知られる護王神社です。ご祭神は和気清麻呂と姉の広虫で、清麻呂は宇佐八幡の神託を受けて、称徳女帝の寵愛のもと天皇の座につこうとした僧道鏡の野望を阻みます。このため天皇の不興を買い、大隅の国(鹿児島)へ流されます。さらに命も狙われ、足が不自由になった清麻呂が宇佐八幡宮に立ち寄る途中、300頭もの猪が現れ護衛し、参拝後歩けるようになった------そんな記述が歴史書「日本後記」に残ります。このため護王神社は猪を有難い生き物としてまつっており、足腰の健康にご利益があるとされています。
神社に近づいてみてびっくり、参詣客が境内の外まで長蛇の列、整理のガードマンに聞くと、拝殿までは2時間半から3時間かかるとのこと、やむなく烏丸通を隔てた御苑側から遥拝?させていただきました。

境内の外まで続く初詣の長い行列

やっと撮れた猪像
2.菅原院天満宮神社

菅原院天満宮神社

護王神社のすぐ南に菅原院天満宮神社がありました。ここは道真公の先祖代がお住まいになった地で、菅原道真とその父是善、祖父清公が祀られています。
烏丸の天神さんとも呼ばれるこの社には、菅原道真が初湯に用いたという「初湯の井戸」が残っており、今も湧水しています。

菅公産湯の井戸
ここではそれほどの混雑もなく、10分ほど並んで無事賽銭を納めお祈りできました。
3.千本釈迦堂(大法恩寺)本堂
北野天満宮への途中、千本釈迦堂(大法恩寺)へ詣でました。師走の8日には大根炊きで賑わうこのお寺ですが、正月3日のこの日は参詣客もまばらで、静かな雰囲気のなか、ゆっくりとで般若心経をお納めすることができました。
応仁の乱で京の主要な建造物が祝融に遭う中で、ここの本堂だけが残ったことで、お寺の本堂としては珍しく国宝に指定されています。
本堂建築で棟梁を務めた大工高次は、重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎた際、枡組で補えば良いと助言して、窮地を救いながらも「専門家でもない女性の知恵で棟梁が大仕事を成し遂げたと言われては夫の恥」と上棟式を迎える前に自害した愛妻「おかめ」の像があり、本堂の前には、お亀桜と命名されたみごとな枝垂れ桜が春を待っていました。

千本釈迦堂(大法恩寺)
4.北野天満宮
ふだん通りのような東門から入った北野天満宮も、境内に入れば予想にたがわず初詣の客であふれています。行列に並ぶのはあきらめて、本殿脇から拝ましていただきました。賽銭箱には近づけませんでたが、心を込めてお祈りしたので、ご利益はいただけるものと信じることにしました。

北野天満宮本殿前
5.車折神社
嵐電の北の白梅町から車折神社へ周りました。

車折崎神社入口
ここまでくれば比較的楽にお参りできるとの予想は全く外れて、車折神社でも本殿のある境内にすら入れず、柵外からの参拝となりました。
祭神は平安時代末期に高倉天皇の御進講を務めた清原頼業(よりなり)で、ここに頼業の廟所がありました。鎌倉時代の後嵯峨天皇が嵐山に来られた時に、この神社のあたりで牛車の棒が折れた事から、この名前がつけられたといいます。この神社には二つのご利益があり、境内にある小石(神石)を持ち帰って願い事が叶ったら、身近な石を一つ添えてお礼に奉納する事。もうひとつは、頼業の名にちなんで、金の「寄り」が良くなり、商いが「成り」という事で、近年はパワースポットとして人気を集めているそうです。
境内の摂社芸能神社は全国でも珍しい芸能上達等の神を祀っているので、芸能人の信仰も厚く、朱色の玉垣板に墨色で多くの芸能人の奉納名が書かれているのを眺めるのもたのしいことです。

車折神社本殿

芸能神社と芸能人の名が入った玉垣
TVでおなじみの名前がずらり
Posted by むかご at 12:44│Comments(2)
この記事へのコメント
明けましておめでとうございます。恐らく4年ぶりのコメントです。その後、ブログは、拝見しておりました。常々、むかご様の行動力に感服しております。実は、昨年末に長居公園の近くから、縁あって千本釈迦堂の近く、西陣に引越ししました。北野天満宮も徒歩圏内です。お近くにお越しになっていた事を知り、うれしくなりました。
Posted by 実家が松が丘のぷいさん at 2019年01月04日 21:11
コメント有難うございました。
流石京都、初詣の混雑も予期以上でした。
賽銭箱には到達出来ませんでしたが、ご利益は期待できるでしょうか。
流石京都、初詣の混雑も予期以上でした。
賽銭箱には到達出来ませんでしたが、ご利益は期待できるでしょうか。
Posted by むかご at 2019年01月14日 18:17