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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2015年12月27日

義仲寺


義仲寺

琵琶湖に初雪がこぼれた寒い日、膳所の義仲寺を訪れました。
今でこそ埋め立てで琵琶湖は建物にさえぎられていますが、かつては旧東海道に沿う琵琶湖一望の景勝の地で、一帯は木曾義仲が討たれた粟津が原に属します。
この寺の創建については不詳ですが、すでに鎌倉時代後期の文書に、義仲や巴御前ゆかりの寺との記述があり、のちに松尾芭蕉がたびたび滞在し、近江の人との交流や句会を催すなどし、大坂での死にあたり亡骸は木曾塚に送るべしと遺言し、義仲の墓の隣に葬られてことで有名になります。

義仲の墓


芭蕉の墓


朝日将軍の名をとった本堂の朝日堂(左に義仲、巴、今井兼平の位牌、右の厨子内は義仲父子の木像で1月の義仲忌に開帳される)


芭蕉を祭る翁堂(天井画は若冲とか)


句碑・旅に病んで夢は枯野を駆け巡る


句碑・行春をあふみの人とおしみける(芭蕉真筆を寫したもの)

幾たびかの興亡を繰り返してのいま、義仲寺はこぢんまりとした境内に、義仲、芭蕉の墓とゆかりの句碑やお堂を残して、問うひとを悲劇の将軍とこの地を愛した俳聖の物語に誘ってくれます。
又玄の「木曾殿と背中合わせの寒さかな」にぴったりの寒い日でしたが、二人の墓は背中合わせではなく隣り合わせに建っていました。

句碑・木曾殿と背中合わせの寒さかな





  

Posted by むかご at 14:14Comments(0)