2016年02月07日
五代友厚に会う

大阪取引所と五代友厚像
7日、NHK朝ドラ「あさが来た」でよく知られるようになった明治初期の大阪の恩人といわれる五代友厚の足跡をたどるスタンプラリーに参加しました。
ラリーといっても五代が設立発起人となった大阪株式取引所(現大阪取引所)の見学ツアーと、大阪の企業家を紹介する大阪企業ミュージアムの2か所を回るという簡単なものでしたが、朝ドラ人気もあって早朝から大勢の人が集まっているのには驚きました。

玄関ホールと集まった見学客

ステンドグラスが入った円形の玄関ホール

建設当時からのステンンドグラス
1935年建設の旧大阪証券取引所は2004年全面増改築されましたが、楕円筒形の旧市場館部と外壁・内壁の一部が保存され、花崗岩張りで列柱が並ぶ様式が残ってレトロ建築感覚をとどめています。
1997年12月をもって、場立ちが手サインで売買することが廃止されて、どうなっているのか関心があった立会場はなくなっているとかで、見学ツアーなるものも展示室での今昔の資料を解説するといった簡単なものでした。それでも展示されている資料の中には五代のほか朝ドラのモデルになった人の名もあって参観者たちが興味深く見入っていました。

取引所設立趣意書の五代の署名(真筆)

廣岡信五郎の名も
004年12月建立された建物正面前の五代友厚公の銅像は高さ約7mの堂々たるものです。
商工会議所が運営している大阪企業家ミュージアムで、五代の写真入りクリアファイルを頂いて、近くの商工会議所にある五代の銅像に会ってきました。

商工会議所前の五代像
ドラマで五代を演じて一躍人気になったディーン・フジオカですが、写真や銅像でみる五代もまた額の秀でた男前で、49歳で若死にしたためか商工会議所前では、ほかの二人よりずいぶん若々しく颯爽としていました。
最近あることで調べた大正10年制定の大阪市歌では、3番で自らを「東洋一の商工地…」と唱っています。五代や廣岡浅子・廣岡信五郎などが頑張って築いた大阪の繁栄も今では東京に大きく後れを取っています。
京阪神と奈で力を合わせて、産業、文化、観光など全般にわたってかつての栄光を取り戻すべく若い人たちに頑張ってもらいたいものです。
Posted by むかご at
10:47
│Comments(0)