2018年11月15日
洲本城址と三熊山
日本でここだけ見られるという洲本三熊山のシロミノヤブムラサキを見に行くバスツアーに参加しました(実際にはあとで能勢でも発見されている)。鉄の檻の中に厳重に保護されているお目当てのシロミノヤブムラサキは、今年は実付きが悪くて、見えたのは僅かに1個だけ、がっかりでした。
その代わり、それほど期待もしていなかった山頂にある堅固で多数の石垣を擁する洲本城跡の規模には圧倒されました。
ここ三熊山から南の由良地域にかけては、大和、畿内に通じる大阪湾の南の入口で、紀淡海峡を扼する地として古くから重要な戦略基地でした。
三熊山に初めて城が築かれたのは室町時代ですが、のちに羽柴秀吉麾下の仙石秀久が石垣の城を築き始め、1585年(天正13年)には、やはり秀吉配下の脇坂保治が城主になり、24年の在城の間現在見られる規模の洲本城が築かれました。
標高133mの三熊山山頂に築かれた洲本城は東西900m、南北600mに及ぶ広大堅固な縄張りをもち、西日本最大の要塞ともいわれました。山頂の天守台にある模擬天守閣は昭和3年に建てられたもので、模擬のお城としては日本最古といいますが、穴太積みの石垣が立派なだけになくもがなの感です。
天守台から望むと洲本市の中心街と洲本港が眼下に広がり、この城の立地のすばらしさに改めて驚嘆させられました。
城の入口に当たる腰曲輪

大手門跡

馬屋跡から望む紀淡海峡

お城の水源日月井の側にある日月池

大手門石段

本丸搦手門

天主台に立つ模擬天主

天主台から見る洲本市街と洲本港
その代わり、それほど期待もしていなかった山頂にある堅固で多数の石垣を擁する洲本城跡の規模には圧倒されました。
ここ三熊山から南の由良地域にかけては、大和、畿内に通じる大阪湾の南の入口で、紀淡海峡を扼する地として古くから重要な戦略基地でした。
三熊山に初めて城が築かれたのは室町時代ですが、のちに羽柴秀吉麾下の仙石秀久が石垣の城を築き始め、1585年(天正13年)には、やはり秀吉配下の脇坂保治が城主になり、24年の在城の間現在見られる規模の洲本城が築かれました。
標高133mの三熊山山頂に築かれた洲本城は東西900m、南北600mに及ぶ広大堅固な縄張りをもち、西日本最大の要塞ともいわれました。山頂の天守台にある模擬天守閣は昭和3年に建てられたもので、模擬のお城としては日本最古といいますが、穴太積みの石垣が立派なだけになくもがなの感です。
天守台から望むと洲本市の中心街と洲本港が眼下に広がり、この城の立地のすばらしさに改めて驚嘆させられました。

城の入口に当たる腰曲輪

大手門跡

馬屋跡から望む紀淡海峡

お城の水源日月井の側にある日月池

大手門石段

本丸搦手門

天主台に立つ模擬天主

天主台から見る洲本市街と洲本港
Posted by むかご at 09:08│Comments(0)