オオサカジン

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2016年11月30日

茨木市大門寺

11月24日、箕面勝尾寺の帰り、茨木市安威川沿いの大門寺へ立ち寄りました。
家から車で20分足らず、入山も駐車料も不要の隠れた紅葉の名所とて、毎年のように訪れています。
小さい寺のことですからカメラアングルはいつも変わりばえしませんが、少し遅かったため、散り敷いた紅葉の参道など、いつもの年と変わった景色を楽しむことができました












  

Posted by むかご at 20:04Comments(0)

2016年11月28日

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 

白洲正子が「かくれ里」で、石の寺として取り上げた古寺のひとつ近江安土町のその名も石寺部落にある教林坊を訪れました。
繖山(きぬがさやま)の「麓にある石寺という部落は、世捨て人のような風情のある村で、かつては観音正寺の末寺が三十以上もあり繁栄を極めたというが、現在は教林坊という、ささやかな寺が一つ残っているだけである。」と白洲正子が「かくれ里」で書いたのが50年ほども前のことでした。寺はその後無住となり荒れ果てていたのを、現住職が平成9年入山して以来苦労をかさねて寺の再興に取り組まれ、20数年ぶりに一般公開されるようになったといいます。
敷地約2千坪の境内はさほど広いものではありませんが、質素な本堂、書院、経堂に小堀遠州作庭と伝わる巨石を用いた池泉庭園を配し、竹林に囲まれた300本近い楓の紅葉は今見事な盛りでした。










予約していた近くの老舗料亭「納屋孫」での、近江牛のランチはまことに結構なものでした。
中食後これも「かくれ里」にでる、奥石(おいそ)神社に詣でました。“おいそ”は“老蘇”で、不老を意味し、約23250年前、孝霊天皇の御代、この地は地裂け、水湧く、人の住めないところであったが、石辺大連が神の助けを借りて植林したところたちまち大森林となったという伝えがあり、万葉の昔より数々の歌に詠まれる名所となりました。神社の背後この老蘇の森が広がり国の史跡となっています。


奥石神社本殿


奥石神社からほど近いこれも石にちなむ岩戸山に十三仏があるというので向かいましたが、登坂の参道の途中で出会った土地の老婆に相当登らなければ行けいないと聞いて断念し、西国三十三番札所観音正寺にまわることにしました。

岩戸山十三仏への道


途中の紅葉山へ上り、五箇荘の町を見下ろします。ここから観音正寺へ峰伝いで2㎞程との道標がありましたが、もちろん車の旅では歩くわけにはゆきません。

紅葉山から五箇荘の町を望む


観音正寺へは、途中まで有料道路をのぼり、約300mという石段に挑みます。白洲正子も「けわしい自然石の階段で、石段というより、岩場といった方がふさわしい。」と書いた石段は、30年ほど前に西國札所を巡ったときはなんでもなかったのに、今は手すりを頼りの難行苦行となりました。




観音正寺本堂


ここにも石が



観音正寺から近江富士(三上山)方面


ほかにも石馬寺、桑実寺、観音寺城跡など、周辺の名所が気になりながらも、時間切れで、次の機会にゆすることになりました。
  

Posted by むかご at 14:30Comments(0)

2016年11月27日

紅葉:勝尾寺 

11月24日、西國二十三番札所勝尾寺に紅葉を訪ねました。
かつて唐山仏法の法力に朝廷もおよばなかったことから、清和帝が王に勝つ寺「勝王寺」と号し、のち寺側が勝尾寺と変えました。足利氏はじめ歴代の覇者がこの寺に勝ち運を祈ったことから「勝ち運の寺」「勝ちダルマの寺」として崇敬を集めています。
境内には現代的な建造物が多く、荘厳な古刹の雰囲気に欠けるきらいがありますが、紅葉で名高い箕面にあって、勝尾寺の楓は古木が多く、それなりに見事な秋の景気を演出しています。

秀頼の寄進による山門


弁天池の噴水に虹が


あちこちに置かれた勝ちダルマ


本堂への参道



本堂:秀頼の寄進


多宝塔











  

Posted by むかご at 09:16Comments(0)

2016年11月25日

錦秋:池田市久安寺 

プチハイキングを兼ねて、関西花の寺で知られる池田市久安寺を訪れました。
植木で有名な細川から、大都会に最も近い里山と称する細川みどりの郷を歩いて約1時間、国道423号線すぐの久安寺に着きます。
神亀2年(725)行基菩薩の開創、天長年間弘法大師の再興と伝わる安養院が前身で、久安1年(1145)に賢実上人が近衛帝の祈願所として伽藍、坊舎を再興して久安寺と称しました。
広大な境内には、本堂、薬師堂などの伽藍が立ち並び、虚空園(バンジ池)ツツジ山が花の寺を演出しています。
いたるところにある楓の古木が見事に紅葉して、参詣客の感嘆を呼んでいました。


細川の里山


久安寺楼門


両果の道から楼門


御影堂



久安寺本坊


バン字池


バンジ池から本堂


加藍神への道










  

Posted by むかご at 18:02Comments(0)

2016年11月24日

錦秋:嵐山~二尊院  


亀山公園へ上る途中、紅葉越しに大井川を下る家形船を見る定番の撮影場所でいつものショットです。

今年は夏の高温が長かったのでの紅葉も遅いと思っていたのに、秋の冷え込みが急速であったためか、例年より一週間ほども早く始まり、出来栄えはなかなか良いのですが、散るのも早いようで、あわただしい紅葉狩りとなっています。
紅葉といえば京都、特に嵐山は便利もよく毎年のように訪れます。
11月20日の嵐山、例によってインバウンドの観光客であふれ、大変な賑わいでした。


中の島公園に着物姿の貫禄のありそうな外国人の婦人の一団が渡月橋に向っていました。もちろん貸衣装で高級品ではないとしても、借り賃3千円のペラペラした着物ではなく、お太鼓の帯も締めていて、何やら高級ホテルの貸衣装らしく思われました。亀山公園も紅葉一色です。

亀山公園


落柿舎前から小倉山。今年は雑木の紅葉も美しい


落柿舎のサイドユー


御髪神社をへて落柿舎、二尊院へと向かいます。拝観料もばかにならないので、有料の場所は毎年1~2か所にとどめていて、今年は二尊院です。

二尊院紅葉の馬場


百人一首で名高い小倉山の麓にある二尊院は嵯峨天皇の勅願によって慈覚大師が承和年間(834~847)に開山したとされています。釈迦如来と阿弥陀如来の2尊を祀っていることから二尊院の名があります。
寺の背後には板妻、田村の親子や、伊藤仁斎など古今の有名人の墓や、藤原定家の時雨亭跡などもあります。

多彩な楓の色


二尊院本堂




  

Posted by むかご at 09:41Comments(0)

2016年11月21日

秋の奈良春日山を歩く 

11月18日、奈良春日山原生林を歩きました。
思いがけず例年より1週間ほど早いという紅葉の古都を楽しみながらのウオーキングとなりました。
近鉄奈良駅から春日大社をへて春日山原生林の北遊歩道を若草山山頂へ、山頂から若草山を下り、二月堂、東大寺とめぐり、近鉄奈良駅への2万5千歩、しばらくぶりの10㎞超えにも疲れを覚えない快適な一日でした。

奈良公園


春日大社は第六十次式年造替が終わったばかり


春日大社本殿前の黄葉


春日山原生林遊歩道


若草山山頂から大仏殿


鹿がきれいに芝刈りをした若草山。山焼きは柵より上で行われる


「このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」の手向山八幡宮


紅葉の二月堂


7割は外国人?賑わう東大寺参道














  

Posted by むかご at 13:36Comments(0)

2016年11月14日

洛中で若冲三昧 

秋晴れの一日、洛中で若冲三昧としゃれこみました。
いま京都で、近年急に注目を浴びるようになった奇想の画家伊藤若冲の生誕三百年を記念したいくつもの催しものが開かれています。
若冲の実家は今の錦市場の青物問屋さんだったというのは有名な話ですが、長男の若冲は画業に集中するため弟さんに継承権を譲ったといい、錦市場が営業停止になったとき弟とともに再建に尽くしたと伝わります。そのためか若冲の作品には野菜がたくさん登場します。
高倉通りから錦市場への入口に「伊藤若冲生家跡」の標識があり、市場通りを進むと若冲に関係ある垂れ幕や、シャッターに描かれた若冲画などが随所に見られます。

錦市場西入口にある若冲生家跡の標識


錦市場に掲げられた垂れ幕


シャッターにも若冲

錦市場の東端を少し北へのぼると、「京都非公開文化財特別公開」で初めて公開された若冲ゆかりの「宝蔵寺」があります。この寺は伊藤家の菩提寺で境内には伊藤家の墓碑が並んでいます。もっとも若冲の墓は晩年を過ごした伏見の石峰寺にあり、遺髪が宝蔵寺と相国寺に埋納されています。

宝蔵寺門前


境内ににある伊藤家の墓」


相国寺承天閣美術館では、現宮内庁所蔵になる動植綵絵30福の精巧なコロタイプ印刷が展示されていました。
原画は明治天皇に献納され、その下賜金一万円が廃仏毀釈で苦しむ相国寺の窮乏を救ったという逸話もあります。
コロタイプ印刷によるレプリカは実に見事な出来栄えで、本物よりも鮮やかではないかと思われるほどの迫力でした。

相国寺承天閣の玄関


京都市美術館では「若冲の京都KYOTOの若冲」と銘打って、百点を超える若冲作品が展示され、こちらも圧倒的な力で観覧者を魅了していました。
  

Posted by むかご at 17:36Comments(0)

2016年11月09日

生石高原から生石神社へ 


ススキの道を行く


笠石近くから頂上方向を望む


11月4日、植物観察グループのバスツアーに加わって、ススキで知られる和歌山県生石高原を訪れました。
生石高原は郷里の有田郡城山村(現有田川町)にほど近く、70何年か前、小学生のころの遠足適地であり、郷里を離れたのちも、墓参などで帰郷するときときどき立ち寄った場所でした。
車で帰郷するとき、多くは、野上町から登り、紀美野町と有田川町の境にある札立峠経由で生石高原へ向かうのですが、今回は有田ICから、有田川沿いを遡って生家のすぐ近くの県道を通るという大回りコースだったのは、予期していなかっただけにちょっとした驚きでした。
標高870mの生石山頂付近に広がる広大な草原のススキは、少し時期が遅かったのですが、白い穂を秋風になびかせて、まだまだ見事な景色を現出していました。
リンドウ、カワラナデシコ、ホソバノヤマハハコなど夏から秋の名残の植物たちや、白いリュウノウギクの花などが咲いていて、時期遅れにしては楽しい観察旅行となりました。

リンドウ


それに何よりも、快晴に恵まれて360度の素晴らしい大パノラマを恣にすることができたのは感激ものでした。

晴れ渡る中和の山並み


生石が峰山頂から足をのばして、有田川町大字楠本にある生石(しょうせき)神社に廻りました。
むかし、一夜にして出現したという巨岩を背にした生石神社は、生まれ故郷の村から生石山への登山の途中にあり、戦時中の小学3~5年生のころ、出征した兄の武運長久を祈るために友達と語り合って月参りをした思い出の神社です。
祈願もむなしく、兄も、そして友達の兄さんもついに還ることはありませんでした。

巨岩を背にして建つ生石神社


今回は、生家の近くをバスに乗ったまま通り過ぎただけでしたが、生石高原からは、村を離れるまでの15年間、毎日のように眺めた中和最高峰の白馬山(957m)が、くっきりと眺められて、山が青いふるさとの幼い日を思い出していました。

有田川流域と日高川流域を隔てる白馬山脈の主峰白馬山
冬は峰に雪を戴く


70何年かぶりの生石神社、10年ぶりの生石高原を訪れたまさにその翌朝、ある人から届いた宅急便に同人雑誌が入っていて、その主宰が何十年も音信が途絶えていた高校時代の友人で、くしくも長年「生石山の大草原保存会」で活動していることを知りました。“盲亀の浮木優曇華の花”ともいうべきあまりの偶然におどろき、すぐさまその友人に電話して互いに久闊を叙しあったことでした。
  

Posted by むかご at 10:18Comments(0)