オオサカジン

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2014年04月27日

チューリップ咲く万博公園

万博公園で小学校児童相手の自然観察のお手伝いをした後、チューリップ園へ立ち寄りました。
好天に恵まれて大勢の人が思いおもいにシャッターを切っています。
色とりどり、満開の広いチュ-リップ園を見るだけでも入場料250円の価値はありそうです。






  

Posted by むかご at 16:54Comments(0)

2014年04月23日

立山黒部アルペンルート 


大観峰から黒部湖を隔てて赤沢岳・針の木岳方面

満開の高遠桜を見た翌日は、開通2日目という立山黒部アルペンルートでした。
立山側から大観峰までは行ったことがあるのですが、信州川からは初めてです。
雨の予報だったので心配しましたが、展望はきかずとも、何とか降らずに済みそうなので一安心です。
ルートの入り口1433mの扇沢から、関電のトロリーバスでトンネルを通り、1470mの黒部ダムに着きます。


ダム湖の黒部湖は一面白く氷結しています。冬の間も発電しているのであれば水位が段々下がるはずで、それなら表面の氷はどうなるのだろうかなどと考えたりしていました。 


黒部平から2316mの大観峰まで、標高差488mを1本の支柱もない立山ロープウエイで上ります。
大観峰から見る後立山の赤沢岳、針の木岳などの頂きこそ雨雲の中でしたが、ガスもほとんどなく雄大な展望を堪能できました。
大観峰から立山トンネルトロリーバスで2450mの室堂に着く頃には、雨雲は低くガスも出て、立山三山の姿は見ることができませんでした。
一面銀世界の中で、みくりが池温泉は深い雪にほとんど埋まっています。

雪の室堂


みくりが池温泉


室堂では2日前に開通した雪の立山大谷ウオークを楽しむ人で賑わっています。目立ったのは東南アジア系と思われる外国人観光客で、雪景色が珍しいのか日本人以上にはしゃいでいる様子でした。

立山雪の大谷ウオークを楽しむ人々


雪壁の最も高いところ(今年は少し低く15mとか)


立山高原バスで弥陀ヶ原を経て美女平にかかるころには深いガスが垂れこめて、立山最大という立山杉も霧のなかでかすんでいました。
立山杉


富山の町には昔懐かしい市電が走っています。すっかりモダンでスマートな形です。

モダンな市電


立ち寄った越中富山の反魂丹の老舗では、今でも盛大に商っている様子に驚いたりしました。


反魂丹は3日分500円でした


帰途は特急サンダーバードで大阪まで約3時間の汽車の旅です。
  

Posted by むかご at 11:46Comments(2)

2014年04月21日

爛漫:高遠城址のコヒガンザクラ 


花の高遠城址遠望

4月17日、高遠城址のコヒガンザクラを見にゆきました。
勤務先の保養所が蓼科にあったので、諏訪湖南端から杖突峠を越える街道をよく通ったので、高遠へは何度となく行っていますが、桜の時期に合ったことは一度くらいしかなく、ぜひ満開の時に行ってみたいと思ってのことでした。

ようやく入れた駐車場は満車のバスが連なり、城へのシャトルバスを待つ人長い列をつくっています。




待ちきれない人は15分ほどの山道を徒歩で登ります。



















あいにく春霞がかかり、西の中央アルプスは姿を見せず、東の南アルプス仙丈岳が僅かに靄の中に霞んでみえました。

花、花、花の公園は、どこを見ても桜ばかりです。撮った写真のどれを見ても似通ったものばかり、素人の腕ではとても表現しきれないほどの見事な桜であったと、変に納得していました。
スライドショウも御覧ください
  

Posted by むかご at 12:35Comments(0)

2014年04月20日

今庄宿早春 


今庄のカタクリ


4月9日、カタクリが咲くという福井県北国街道今庄宿を訪ねました。
有名なカタクリの群生地は、シカの食害とかで地元の方も嘆くほどまばらな咲き方となっていたのは残念でした。
それでも、群生地そばの新羅神社の宮司宅で茶菓の接待を受けているうちに、宮司さんが勤務されていた会社が、偶然にも、以前妻が勤めていた会社と同じであったことが分かり、共通の知人の話などで思いがけず話が弾んだりしたこと、お願いしたボランティアガイドさんが親切で、町内の歴史的建物の案内や、ご自分の車を駆って10数キロ離れた木の芽峠へ案内いただいたことなど、思い出の残る旅の一日となりました。

朝鮮半島との交流がうかがえる新羅神社


塗籠めの外壁と赤みの強い越前瓦屋根の上の卯建(うだつ)がひときわ目立つ京藤甚五郎家は、天保年間に建てられた歴史的建造物です。

京藤甚五郎家


京藤甚五郎家の内部

 
古くから交通の要衝であった今庄は、貴賤を問わず多くの人々が往来しました。明治11年、北陸御巡幸の明治天皇の行在所が、福井藩本陣であった後藤家になりました。この屋敷跡は今は小さな公園となっていますが、一角に当時の座敷が再現されて明治殿となっています。置畳の上には玉座という説明版が立っています。見物客にはこの“玉座“に座って写真を撮る人もいるそうですが、本物ではなくてもさすがに上に乗ることは憚られました。

明治殿内部と玉座


 カタクリの群生地の背後の山頂に燧ケ城址(標高279m)があります。源平合戦寺の維盛・義仲、南北朝時代の足利勢と義貞、一向一揆と信長軍の戦など何世紀にわたって戦略上の要略拠点となってきました。城跡から今庄の町が俯瞰できます。明治以降も蒸気機関車の給水・給炭基地として栄えた今庄の町も今は歴史と観光の町として生きようとしているようです。

燧ケ城址


燧ケ城址から今庄宿俯瞰>


 今庄宿の南端に建つのが「文政の道しるべ」です。文政13年(1830年)建てられたこの石碑は、石柱の頭の部分に火袋があるのも珍しく、北陸道(右 京、敦賀・若狭)と、北国街道(左 京、伊勢・江戸)の追分の道しるべとなっていました。

文政の道しるべ


 北の庄の勝家が、安土への最短路として栃ノ木峠の大改修を行って以来人馬の往来が頻繁になり、越前南端の重要関門となった板取宿は、江戸時代には関所が設けられ板取番所なりました。
今でも石畳の旧道の両側に甲造り型、妻入り型の茅葺の民家が昔のまま残っています。

甲造りの家


 木の芽峠(628m)を通る北陸道は、平安時代に開削された古い官道です。戦国時代にはこの山にいくつもの城塞が築かれました。
明治になり、鉄道の開通などにより峠の歴史的使命が終わりましたが、今でも峠の急坂には石畳道が残って往時を偲ばせています。

木の芽峠の旧道



  

Posted by むかご at 10:45Comments(4)

2014年04月19日

丹波国一之宮出雲大神宮 (出雲の本家?)

亀岡市七谷川の桜 (4月13日記事) 見に行って帰り丹波国一之宮出雲大神宮へお詣りしました。この神社は亀岡から八木へ通じる道路が曲がる突き当りのところにあるので、何回か立ち寄ったことがあるのですが、出雲大社の分社かなにかと考えていたのですが、今回偶々出ておられた宮司のお話を伺い、驚くべき由緒のある神社であることを知りました。
社伝によると「大国主命(オオクニヌシノミコト)と后神である三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)を奉斎し、特にこの二柱を合わせて出雲大神、出雲大神宮(日本書紀)、出雲神社などと称へ奉る。
古事記や日本書紀に見られるように、大国主命は因幡の素兎で知られる慈愛に満ちた神様で、当宮末社に祀られる少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)と共に国土経営に尽力された。 その後、皇孫に国譲りの後、幽世(カクリヨ)を統治すべく、現在の島根県にある出雲大社に鎮座される事となった。
『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」と記していて、これにより当宮に古来より元出雲の信仰があったことがわかる。大国主命は当宮末社に祀られる少那毘古名命と共に国土経営に尽力なされ、その後、皇孫に国譲りの後、幽世(カクリヨ)を統治すべく、現在の島根県にある出雲大社に鎮座される事となった。
『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」とあり、よって当宮に古来より元出雲の信仰がある。」
ややこしいが、簡単にいうと出雲大社は当宮から遷ったもので、こちらが本家ということのようです。
宮司の勧めで身を浄めるための純白のたすきを授かってご神体である「御影山」に鎮座する「磐座」にお詣りしました。

磐座への参道


御影山の磐座

御影山には御神座としての磐座群があり、この山に鎮まる祭神「国常立尊」の象徴として、皇祖より1万年前以前からこの地に鎮まっているといいます。(天皇家より1万年古いとは驚き!)
簡素なお祀りの場ですが、今なお何人といえども禁足の地となっていて、何やら恐れ多い雰囲気を漂わせています。

本殿後方の磐座



本殿後方にももう一つの磐座があり、近くの「みかげの瀧」からは清水が絶えることなく湧き出でていて、真名井の水として近隣の人びとの恵みとなっています。

毎年4月18日は鎮花祭(鎮めの祭り)斎行されます。もともと、花の散るのに伴って疫病が蔓延すると考えられ、これを鎮めるために行われてきたのが鎮花祭で、出雲風流花踊などが奉納されて賑わうということです。

鎮花祭り近い本殿



  

Posted by むかご at 15:27Comments(0)

2014年04月14日

清水の桜 



4月9日、満開近い海津大崎の桜を見たついでに清水(しょうず)の桜へ回りました。
その桜は、海津大崎からすぐ近くR162のすぐそばの墓地の中にあります。
樹齢300年以上といわれる巨桜「清水の桜」は、アズマヒガンザクラと呼ばれる種類の桜で、高さ16メートル、幹の周囲6.4メートルの滋賀県自然記念物にも指定されている県下最大級の桜です。
びわ湖高島観光協会の説明によると、「この桜がこの地に根付いたころ、桜の前には北国北陸からの物資を京や大阪に運ぶ「七里半越」と呼ばれる山越えの道が通っており、数多くの荷駄や人々が海津から追坂峠道を通って、敦賀津へ出るこの七里半越で目的地へ向かっていったと思われます。のちにこの桜が成長するにつれ海津の街も姿を変え、当時の隆盛を偲ぶ物も減っていきましたが、この桜は人々の暮らしと海津の街の変化を見守りながら、現在でも四月の上旬にはその美しい姿で私たちを楽しませてくれます。」とあります。
昔加賀藩主前田侯が上洛の折、その美しさに見とれ何度も振り返り眺めたことから「見返りの桜」の名もあるこの桜は、水上勉の小説『櫻守』でその題材にされたこともあり、知る人ぞ知る名物桜ですが、海津大崎の混雑に比べて、満開というのに訪れる人の影も少なく、立ち並ぶ墓石の中で孤高の姿を見せていました。
  

Posted by むかご at 20:39Comments(0)

2014年04月13日

七谷川の桜

4月10日、知人に教わって亀岡市の桜の名所「和らぎの道七谷川へ行ってきました。
七谷川周辺は約1kmにわたって桜並木が続き、隣接したさくら公園には28種約280本の桜が植樹されています。
丹波地方随一の桜の名所といわれる七谷川は文字通り満開でしたが、花見客の喧騒もなく、静かな雰囲気で花を楽しみました。














  

Posted by むかご at 07:45Comments(0)

2014年04月12日

大阪城では桃の花見も

桜満開の大阪城周辺を歩きました。


桜だけではなく、京橋口から森之宮の公園入り口へ通じうじるもっと外側の周遊路を歩くと桃林があります。


桃、紅、白、源平などいろいろ変化がって、周辺の近代的なビルにもよく調和しています。
  

Posted by むかご at 10:11Comments(0)

2014年04月10日

京の花歩き

花を追いかける春になました。
桜はなんといっても京都へ。バスの1日券を買ったものの、京の街は桜の途切れることがなく、嵐山、嵯峨野、哲学の道、南禅寺、岡崎、祇園と結局約3万歩も歩いてしまいました。、
定番写真ばかり、コメントなしでご紹介します。

嵐山から愛宕山


嵐山渡月橋


嵐山大堰川


嵐山大堰川


保津峡トロッコ電車


嵯峨野の家


廣澤の池


桜匠佐野藤左ヱ門毛の庭にて


平野神社


銀閣寺道から大文字山


南禅寺


インクライン(外国系も先撮り?)


美術館前の疏水


御苑宗像神社


新川沿いのシダレヤナギ


祇園白川


花は紅柳は緑(祇園新川にて)






















  

Posted by むかご at 11:35Comments(2)

2014年04月02日

家から見えたハルカス



3月7日に全面開業したあべのハルカスは、60階建て、高さ300mで日本で最も高い超高層ビルであり、日本国内の構造物としても東京スカイツリー(634m)、東京タワー(332.6m)に次ぐ3番目の高さであるなどで、話題を呼んでいます。
そのハルカスが、自宅の窓から少し身を乗り出すと見えることが分かりました。引っ越しをしてきたころは大阪城が見えていたのに、その後OBPのビル群の陰になり見えなくなって、少しがっかりしていただけに、新たな大阪のランドマークが見えることで気を良くしています。
家の前の道路沿いの桜が満開近くなり、その遥か向こうにハルカスが聳え立つのが見えています。
  

Posted by むかご at 21:23Comments(0)