オオサカジン

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2015年08月25日

二つの美術展


県立図書館、近代美術館などがある文化ゾーン


かねがね一度見たいと思っていた志村ふくみ展とキース・へリング展を見に滋賀県の二つの美術館を訪ねました。
まったく趣の異なる二つの展覧会ですが、それぞれに独自の芸術性を発揮していて印象的でした。

滋賀県立近代美術館へのアプローチ


美術館内から夕照の庭

撮影禁止で作品は紹介できませんが、緑豊かな文化ゾーン内にある滋賀県近代美術館、水に囲まれた安藤忠雄の佐川美術館、いずれも館内の展示もさることながら、館そのものが芸術的雰囲気に包まれていて、心安らぐ環境となっていました。

佐川美術館北面


展示室への回廊


内庭の水





  

Posted by むかご at 15:05Comments(0)

2015年08月15日

東北の旅(終) 鳥海山鉾立展望台


頂上はガスに包まれて


五合目からの登山口

東北の旅4日間の最終日は鳥海山5合目1150mにある鉾立展望台です。
鳥海山は、山形県と秋田県に跨がる標高2,236mの活火山で、出羽富士とも呼ばれ、秋田県側では秋田富士とも呼ばれて、深田久弥の百名山に数えられています。
冬、北海道へ向かう飛行機から見た鳥海山は、日本海まですそ野を引いて雪の庄内平野に屹立する雪の峰はさすが出羽富士とよばれるだけの秀麗な姿でした。
訪れたこの日は、山頂付近はガス、海に続くすそ野の景色ももやがかかって、陸と海との境も定かではない状態でした。

日本海に続くすそ野はもやの中

深田久弥は、名山といわれるにはいろいろな見地があるが、山姿秀麗という点では鳥海山は他に落ちないといっています。登山ではなかったので確かなことは言えませんが、中途半端な展望台からよりも、ふもとの平野から、あるいは上空の機上から眺めてはじめてその美しさを感得できるのではないかと思いました。
4日間で千㎞以上もバスで巡った東北の佳景めぐりというツアーは、ふたたび山形、新潟の穀倉地帯を通って、上越妙高から北陸新幹線、金沢からサンダーバードと乗りついで4日夜無事帰阪しました。

どこまでも続く穀倉地帯(車窓から)


満々たる信濃川の流れ(車窓から)



新設の上越妙高駅にひっそり建つ謙信像)


人気の北陸新幹線




  

Posted by むかご at 11:28Comments(0)

2015年08月12日

東北の旅⑥ 月山弥陀ヶ原 


弥陀ヶ原湿原をゆく

湯殿山、羽黒山と巡って出羽三山の主峰月山(1984m)へ至ります。深田久弥の百名山にも数えられている月山は、山形県の中央部、磐梯朝日国立公園の北域にあり、湯殿山、羽黒山は宗教的に有名ですが登山の山としては月山だけが三山のうちで唯一山らしい山だと深田久弥はいっています。
バスはブナの原生林をぬってのぼり、八合目の弥陀ヶ原につきます。
なだらかな弥陀ヶ原湿原には、木道が整備され、一周約60分ほどで自然散策を楽しめます。

湿原の池塘


湿原を彩るキンコウカ

花の百名山にも数えられる月山弥陀ヶ原ですが、信州あたりの高原よりは一月ほど季節が早いらしく、期待ほどの花が見られなかったのは残念でした。(高山植物のいくつかは拙ブログ「むかごの日記Ⅱ」に掲載中です)

月山本宮の鳥居から続く月山登山道


鳥居脇の地蔵

芭蕉は奥の細道の途中月山に登っています。
“山気の中に氷雪を踏んで登ること八里、更に日月行道の雲関に人かとあやしまれ、息絶身こごえて、頂上にいたれば日没して月顕わる“とし、
「雲の峰幾つ崩て月の山」 と詠みました
登山バスもない時代に、文人が月山のような本格的な山に苦労して登頂したのは珍しいことと深田もいっています。
  

Posted by むかご at 10:19Comments(0)

2015年08月11日

東北の旅⑤ 出羽三山の元締め?羽黒山 


羽黒山の入り口隋神門

羽黒山の開山は約1,400年前、蘇我馬子の手のものによって暗殺された第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が三本足の霊烏に導かれ、羽黒山に登拝し、羽黒権現を獲得、山頂に祠を創建したのが始まりとされ、皇子はさらに月山権現と湯殿山権現を感得し、三山の開祖となり、以後、羽黒派古修験道として全国に広がったとされています。羽黒山山頂にある皇子の墓は、東北地方唯一の宮内庁管理の霊廟となっています。

蜂子皇子の廟


門前町の隋神門をくぐって特別天然記念物の羽黒山杉並木の参道をたどると、やがて樹齢千年といわれる爺杉があり、さらに進むと巨杉の間に立つ国宝羽黒山五重塔にいたります。平将門の創建になり、約600年前に再建されたという塔は、高さ29m、三間五層杮葺白木造で、昭和41年国宝に指定されました。

樹齢千年という爺杉


羽黒山五重塔

老杉の中、静かに建つ素朴な杮葺きの塔の姿は、静かなたたずまいのうちに何かしら力強さを感じさせてくれます。
羽黒山頂の羽黒山、月山、湯殿山の三神をあわせて祀る三神合祭殿への参道は2446段の石段があり、これは敬遠して、バスで山頂へ向かいます。

三神合祭殿


三山の神が合祭されている


巨大な杉の木に囲まれた三神合祭殿は、分厚い杮葺屋根をいただき、中には羽黒三山の各々の神社がまつられています。
杉の巨木に囲まれた三神合祭殿は山岳寺院特有の景観をなし、どこからか聞こえる法螺貝の音とともに山岳修験の道場である羽黒山独特の雰囲気を醸し出していました。

奥の細道古道(かつての月山参拝道)




芭蕉句碑


涼しさやほの三日月の羽黒山 芭蕉
  

Posted by むかご at 15:38Comments(0)

2015年08月10日

東北の旅④ 「語るなかれ」の湯殿山


参道入り口の大鳥居

東北の旅第3日は羽黒三山。まずお参りしたのが、古来から修験道を中心とした山岳信仰の場として、現在も多くの修験者、参拝者を集めている湯殿山神社でした。
参詣道の入り口に巨大な赤い鳥居がそびえ、傍らにはかつての神仏習合時代にこの地で厳しい修行の末即身仏となった6人の僧を顕彰するモニュメントが並びます。

湯殿神社参詣道


湯殿山神社の神域は、山形県庄内地方にひろがる出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)のうちの、湯殿山の中腹、月山より流れる梵字川沿いにあり、大鳥居のところからは姿を見ることができません。
湯殿山神社の信仰の対象は湯殿山自体であり、拝殿や社殿がありません、写真撮影は厳禁、昔から「語るなかれ」「聞くなかれ」といわれて、俗世と隔絶した神秘の色濃い神域となっています。参詣者は、入り口の前で全員裸足になってお祓いを受け、身の汚れや罪を紙人形に移して、谷水に流したのち、御神体である巨岩から湧き出る温泉を踏んで巡礼します。
山中奥深く、神の岩からとめどなく湧き出る湯を、裸足で踏んで巡るお参りは、詣でる人をして、何かしら神と触れ合った厳かな気持ちにさせていました。
「語るなかれ」いわれる湯殿山ですが、インターネットに出ている旅行案内に出ている程度のことは許されると考えてのこの記事でした。

参詣を終えて帰り道、大鳥居が緑の中に埋まっていました



語られぬ湯殿にぬらす袂かな  芭蕉
「語る勿れ」の歴史は古いようです。


即身仏の記念碑



  

Posted by むかご at 13:06Comments(0)

2015年08月09日

東北の旅③ 立石寺:蝉の声につつまれて


立石寺根本中堂

東北の旅第2日後半は山寺・立石寺です。
山形市にある天台宗の寺院。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。山寺(やまでら)の通称でも知られています。
本堂は比叡山と同じ名の根本中堂で、永正18年兵火で焼失した際に、比叡山根本中堂から分燈されていた法燈が消滅し、天文12年(1543)に再度分燈されますが、比叡山焼き討ちのときには、逆に立石寺の方から分燈するなど、両寺の関係が深いものがあります。

奥の院への山門


1115段の石段を登りつめたところに奥の院如法堂

本堂よりも知られているともいえるのが、1115段の石段を上る奥の院如法堂です。このところひざを痛めて自信がなかったのですが、ここまで来たからにはと挑戦しました。

せみ塚のある岩壁

木立と奇岩が続く階段の途中に芭蕉の句の短冊を埋めたという“せみ塚”が切り立った岩壁の麓に立っています。芭蕉も登ったこの道は、大勢の参詣者で閑けさこそないものの、ミンミンゼミとひぐらしが鳴き競って、切り立つ岩に確かにしみいっていました。

この景色、芭蕉の文章をそのまま借りるにしくはなしとて

日いまだ暮れず。ふもとの坊に宿借りおきて、山上の堂に登る。岩に巌を重ねて山とし、松柏年ふり、土石老いて苔なめらかに、岩上の院々扉を閉ぢて、物の音聞こえず。岸を巡り岩をはひて、仏閣を拝し、佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ。

閑かさや岩にしみ入る蝉の声



修業の岩場


岩上に立つ五大堂と赤い納経堂,眼下に門前町が眺められる


芭蕉の句碑、嘉永6年(1853)に門人たちが建てたという風化した句碑も現存する


  

Posted by むかご at 08:20Comments(0)

2015年08月08日

東北の旅② 上杉家一色の米沢市 


目立つ上杉鷹山像


上杉伯爵邸の庭園


裏磐梯五色沼の散策を終えて、山形県に入り,立石寺に向かう途中の昼食は、上杉15万石の城下町米沢のその名も旧上杉伯爵邸でした。
ここは明治29年に、米沢城二の丸跡に建てられた14代茂拳侯爵邸で、火災で焼失したものを大正14年再建、今では上杉記念館として国の登録有形文化財となっています。


城跡にある上杉神社


隣接する城跡に上杉神社があり、藩政改革を行い、“なせば成るなさねばならぬ…”でも有名な上杉鷹山の像が複数見られ、大河ドラマの天地人でよく知られるようになった上杉景勝と直江兼続主従の像、さらには広場での武将のパフォーマンスなど、町全体がさながら上杉一色で染められている感じでした。

景勝・兼続主従像


炎天下合戦のパフォーマンス




  

Posted by むかご at 15:47Comments(0)

2015年08月06日

東北の旅① 猪苗代と裏磐梯  

8月1日~4日で、月山、鳥海山、羽黒山、湯殿山 佳景探訪と銘打ったツアーに参加しました。
サンダーバードで金沢、金沢から北陸新幹線で上越妙高駅へ、そこから4日間バスで移動という少々タフな行程です。
第一日目の宿は猪苗代湖を眺める大きなホテル、第2日は、朝裏磐梯へまわり、五色沼自然探勝路を1時間あまりをかけて歩きました。
裏磐梯へは10年近く前、紅葉を撮りに3日ほどレンタカーで走り回って以来で、歩くのははじめてでした。
五色沼は五色沼湖沼群と呼ばれ、毘沙門沼,赤沼,弁天沼,るり沼,青沼,柳沼などからなり、火山でできた湖沼だけあって、独特の深い青色や、鉄分を含んだ赤い色など変化にとんだ水面を楽しむことができました。 

猪苗代湖と磐梯山


猪苗代側から見るバンダイの山容は穏やか


ホテル前のひまわり園から磐梯


探勝路の始点は毘沙門沼・かなたに1888年水蒸気爆発で吹っ飛んだ山頂崩壊跡


赤沼


みどろ沼


竜沼


弁天沼


青沼


るり沼・再び磐梯山が現れる


終点近い柳沼













  

Posted by むかご at 18:21Comments(0)