オオサカジン

  | 高槻市

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2019年04月29日

ツツジ満開長岡天満宮


参道から見上げると赤いツツジが目に入る

28日長岡天満宮へ満開のキリシマツツジを見に行きました。
現社地周辺は平安時代、菅原道真の所領であったとされ、道真が在原業平らと共に、 しばしば遊んで詩歌管弦を楽しんだ縁深いところです。道真が大宰府へ左遷された時、長岡に立ち寄り、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しんだといいます。
左遷の際道真に付き従ったのが、菅原氏の一族とされる 中小路宗則で、帰り際、道真から道真自作の木像と念持仏を託され持ち帰り、道真の死後に、その木像を祀ったのがこの天満宮の始まりとされています。
有名な深紅のキリシマツツジは、寛永15年(1638年)に八条宮智仁親王によって築造された「八条ヶ池」の 中堤両側にあり、樹齢百数十年ともいわれる古木は今まさに満開です。

混雑する中堤


超満開のキリシマツツジ

ツツジ見物で混雑する中堤一帯を離れて、東の六角舎、水上植物ゾーンを経て、拝殿への途中にある弁天池周辺の錦景苑では、楓の新緑もみずみずしく、さらに進むと、京都の平安神宮の社殿を拝領移築した本殿前の朱塗りの拝殿には参拝の人の列ができていました。

錦景苑の若葉


中堤の混雑ほどではなかった参拝者の列

本殿の奥にある梅園に立ち寄ったのち、西へ下って、池畔を一巡りしました。振り返ると筍料理で知られる錦水亭の建物が池に影を映してさながら一幅の絵を見るようです。

中堤のツツジ遠望


水面に映る錦水亭

花と緑を愛でながらの一時間余の心地よい散策でした。


  

Posted by むかご at 11:14Comments(0)

2019年04月27日

花散り去った桃源郷


切花にされた跡の桃の株

4月19日、奈良県平群町の福貴畑の里を歩いてきました。
3月末から4月初めにかけて早咲きの啓翁桜・ハナモモ・レンギョウ・白モクレン・紫モクレンなどなどが咲き乱れて、別名桃源郷とも呼ばれるところです。
さすがに4月下旬近くとあって、木の花としては,花期の遅いカスミザクラ、ウワミズザクラのほか、コバノガマズミ、一部のアオモジなどでしたが、芽生え始めた山の若緑が目にまぶしく映えていました。

遅桜咲く集落越しに大和盆地


カズミザクラの大木

案内いただいた地元のボランティアさんのご厚意で、基地になっている林間の施設で、石窯で焼いたピッツアを頂いたり、筍掘りを楽しんだりしてたのしみました。

7c初期のツボリ古墳・平群はまた古代史の遺跡が多いところでもある


花盛りの桃源郷は2017年4月2日記事でお楽しみください。


  

Posted by むかご at 10:49Comments(0)

2019年04月24日

六甲アイランド

植物観察仲間と神戸港にある海上文化都市六甲アイランド(通称六アイ)へ行ってきました。
完成後ほぼ30年たつという六アイは、植樹された木々も大きくなり、その後自然に生えた草木も育って、人工島とは思えない程の豊かな花や木に囲まれてています。
町を巡る人影も少ない緑の散歩道からは、洗練されたデザインの高層建物が見えたり、海に面したマリンパークなどもあって、観光地としてゆったり過ごせる穴場的エリアとなっています。
町のところどころに、此処だけで見られるといセイヨウタンポポと在来タンポポとの交雑種とみられる直径6㎝を越える大きい花の通称「六アイタンポポ」が見られました。

緑と<モダンなビルの取り合わせ/center>

整然とした計画的都市景観


静かな緑の遊歩道が町を囲む


南の国のようなマリンパーク


植物好きが勝手に名付けた「六アイタンポポ}








  

Posted by むかご at 14:13Comments(0)

2019年04月21日

高槻・原の大蛇祭


大綱の先頭に露払いなどそれぞれの役割の氏子


川東垣内から神社へ向かう(市バス神峰寺口付近で)

高槻市原中村にある八坂神社は、素戔嗚命を祭神とし、毎年4月最初の日曜日に行れる春季大祭は、別名大蛇祭と呼ばれ、ワラで直径25cm、長さ30mもの大綱を編んで、これを大蛇に見立てて村中を練り歩いたのち、弓で射つという、ダイナミックで珍しい神事です。
この祭りは、昔、近くの池に住んでいた大蛇が、時々村に出てきて、村民を悩ませるので、弓で退治したところ、大蛇は上天し、その後村は安穏無事に過ごせるようになったという故事によると伝えられますが、大蛇は洪水被害を意味する説もあり、つまりは豊作を祈願する春祭りが起源と考えられています。
大蛇祭の特徴は、原の4つの集落が1年毎交代で神事を執り行うこと(神番)で、神番となる垣内(今年は川東)では氏子総代を中心として年始早々から地域住民が総出で準備に取り掛かります。

大綱は時々上へ差し上げられる


担ぎ手は、鳥居提灯と社殿前の石鳥居との間をお神酒を頂きながら1時間以上も往復練り歩く


練り歩きと差し上げ


桜の下で挙がる気勢



役を演じる若者たち

祭は、大蛇に見立てた大綱を男性が担いで神番から神社まで練り歩き、神社の前のにつらえた弓場と小川を隔てた的場まで運び込みます。
神社社務所では、三献の儀での神酒拝戴、謡曲献奏などの神事が行われ、これがすむと、床に飾られていた大きな的が宮司から渡されて、若者の手に捧げ持たれて的場の所定の位置に取り付けられます。

大綱を待つ八阪神社


大綱境内入り


的場の脇にとぐろを巻いた大蛇の頭部を的筵の上に這わす


社務所では三献の儀など神事が進行

そしてこの祭りのクライマックスである「鳥見山蟇目の式」が始まります。
弓場では、宮司を先頭に村の役人たちが後方に一列に並び、弓場にいづれも男性の6~12歳の童子の矢執り、15~18歳の弓引き、裃の肩脱がし(添え弓)など役割りが立ち、いずれも定められた所作に従って、2人の弓引きが正面の的を2回、最後は天に向かって矢を放ちます。

的が取り付けられた


弓が矢場に入る


弓渡し


矢を放つ


童子により矢が放たれる瞬間、家族や近隣の人たちから大きい声がかかり、正面に向かってうまく矢が射られると、満場大喝采です。
隣のお父さんが「〇〇やれっ!」など息子に声をかけるので、つられて思わず自分も「頑張れ!」などと声をかけてしまいました。
矢で射られた大蛇は的場でとぐろをとかれ、本殿前まで運ばれて、ながながと横たわっていました。

横たわる大蛇の骸

地域に根付く古い伝説、地域総出での手作り感、よくわかり面白いストーリー性、そして何よりもちょうどころあいの人出、原の大蛇祭はお奨めのお祭りです。
  

Posted by むかご at 16:39Comments(0)

2019年04月15日

2019花紀行(終)締めは地元で、摂津峡桜公園.・芥川桜堤・新川


摂津峡の櫻越しに高槻中心部

3月25日に開花した自宅の前の桜が約20日経ってもほぼ満開となかなか散りません。
3月31日の犬山城から始めて4月8日の彦根城で終わる予定だった2019花紀行が、おまけに大阪城と造幣局通り抜けを追加しても、まだ咲いている桜を見て、結局追加の追加、これで今年は最後と、13日、近くにある芥川沿いの桜を見に行ってしまいました。
自宅から歩いて行ける摂津峡桜のソメイヨシノは、山手側ではテングス病で衰えが目立ちますが、桜公園では手入れもされていてまずは見ごたえのあるものとなっています。

桜公園①


桜公園②


芥川沿いに下って、芥川桜堤を経て、JR、阪急のガード下をくぐり、さらに南下すると新川の桜堤まで快適なお花見ウオーキングが続きます。
4月も中旬に入って、市民のお花見もあらかた終わったのか、快晴の土曜日というのに人影も多くはなく、静かに終わりの花を楽しむことができました。

芥川桜堤①


芥川桜堤②


JRのガード手前で


新川の桜①


誰かが工事中立ち入り禁止の堤で


新川の桜の最終地点から北を望む







  

Posted by むかご at 14:18Comments(0)

2019年04月14日

2019花紀行⑩造幣局の通り抜け

11日、大阪城の桜を見て、造幣局の通り抜けへまわりました。
明治16年(1883)に始まったという通り抜けは、戦時中一時中止があったものの、136年続いたことになり、毎年100万人以上が訪れる人気のスポットとなっています。

天満橋駅から会場へ続く人の列



人に埋まった通り抜け会場

寒の戻りで花期が長かった今年は、めったにない大阪城の桜の満開と、9日~15日の通り抜け期間が重なることになりました。
さすがに通り抜けの方は3~4分咲きといったところでしたが、会場は待ちかねた来場客で第二日、混雑でした。
増加した外人客に加えて、スマホの普及で老若男女総カメラマン化し、めいめいが差し上げたカメラを外して花を撮るのにひと苦労でした。

今年の花「紅手毬」


雨情時雨


紅豊



時には散りはじめも


千原桜


対岸から見た帰り道の露店の列







  

Posted by むかご at 14:29Comments(0)

2019年04月13日

2019花紀行⑨大阪城


天守正面から

桜の主要品種メイヨシノは、通常開花から1週間程度で満開となり、すぐに散り始めるものですが、今年は春寒の気候が幸いして、大阪の場合3月25日に開花宣言があって以来、2週間以上経ってもまだ満開の状態が続いています。
おかげで、”お城と桜”をメインテーマにした2019花紀行も、9日の彦根城で終わるはずが、11日、おまけとして大阪城へも行くことになりました。
結果、現存12天守のうちの犬山城(国宝)、丸亀城(国指定史跡)、彦根城(国宝)に加え、規模で選ばれている3大名城のうち、名古屋城と大阪城(もひとつは江戸城)と、寒の戻りで長い花期と、好天に助けられて、密度の高い満足の旅となりました。
大阪城は、天守こそ1931年(昭和6年)鉄筋コンクリート製で復興されたものですが、重文の櫓なども含め、城跡全体は国の特別史跡に指定されており、枚方市にある百済寺跡とともに大阪府下ではただ二つの特別史跡であるなど、歴史的、文化的に貴重な遺産となっています。
それが、最近では、インバウンド客の急増もあって、急速に単なる観光地化しているきらいがあり、自分自身も、行き慣れた場所でもあって、見学も、撮影もおざなりで、感激の薄いもので終わったのが、少し淋しい気持ちになっていました。

大手門への道から東南方向


桜門から蛸石越しに天守


東南方向から天守


南西方向か天守



極楽橋(左)から出る金箔の遊覧船


京橋口への道から










  

Posted by むかご at 17:09Comments(0)

2019年04月12日

2019花紀行⑧彦根城

4月8日、彦根城を訪れました。
花時を襲った寒の戻りに続く、急な暖気、4日だった開花宣言から僅か4日間で彦根城の桜はほとんど満開でした。
関ヶ原の論功行賞で三成の旧領を拝領した井伊直政が、佐和山城に入城したのち、家督を継いだ長男直継が慶長9年(1604)彦根山に築城を開始します。
昭和27年天守などが国宝に指定され、現存12天守、国宝五城の一つとして、外観の美しさだけではなく、軍事的にも優れ、幕末の歴史を揺るがした井伊直弼の存在などもあって、全国的な人気の城となっています。
おおむね道順に沿って花の彦根城を写真で辿ってみましょう。

JR彦根駅前の井伊直政候の像


護国神社の櫻越しに見るお城


表御門跡に架かる橋


太鼓門と続櫓


本丸前の山切岸


天平櫓と廊下橋(有事の時は落とすという)




天守内部


天守より琵琶湖方面


大人気のひこにゃん


西之丸から見る天守


西の丸三重櫓と続櫓


伊吹山遠望


玄宮園から


内堀から見る天守


井伊直弼が青年時代を過ごした埋木舎(今は個人所有)











  

Posted by むかご at 16:27Comments(0)

2019年04月11日

2019花紀行⑦丸亀城と中津万象園

4日,四国丸亀市に丸亀城と中津万象園を訪ねました。
丸亀城は標高66mの亀山に築かれた平山城で、別名亀山城とも呼ばれています。
天守閣は3層3階の小振りですが完成は万治3年(1660)と四国で最も古く、、「石の城」とも呼ばれる石垣の見事さもあって、昭和28年に史跡丸亀城として国の史跡に指定されています。
桜は6~7分咲きでしたが、晴天のもと美しいお城を丸亀城を楽しむことができました。

大手門側から見たお城全景


玄関先御門


見返り坂の石垣、丸亀城では一番高く22m、「扇の勾配」と呼ばれるカーブが美しい


見返り坂から瀬戸内海


三之丸から見る天守閣


櫻越しに見上げる


天守閣


讃岐富士、左は月見櫓跡



南側搦手口の石垣


去年の台風24号で崩れた石垣


修復のために番号が打たれた石が並ぶ


お城を見学した後、海辺近くの「中津万象園」へ廻りました。京極二代目藩主高豊候により丸亀藩中津別館として築庭されましたもので、15000坪の園内には、白砂青松の松原に続いて1500余本の矮松を植え、庭の中心には京極家の先祖の地である近江の琵琶湖を象どった八景池を置き、近江八景をなぞらえた八つの島を配した池泉回遊式庭園となっています。中でも近江の美し松を600年をかけて仕立てたという直径15mの傘型の松が有名です。

水連橋


邀月橋


大笠松


讃岐富士を借景に















  

Posted by むかご at 16:22Comments(0)

2019年04月10日

2019花紀行⑥龍巌渕の富士と桜


石和温泉に泊まる6つの桜スポットを巡る2日間というツアーの最終立ち寄り地は、身延山から南下して静岡県に入り、富士市潤井川にある龍巌渕です。
あまり有名ではありませんが、旅行会社のパンフで見る限り、晴れ上がった富士山と川沿いの桜並木が同時に写っていて素晴らしい景色です。パンフの写真は最高の条件下で撮影されているのは当然としても、天気予報に反して思いがけなく好天気が続いている今回のツアーですから、もしかしたらパンフ通りの景色が見られるかもとの期待が現地に近づくにつれて高まっていました。
下車時間が短いので、富士山が見えない工場群を走りぬけて龍巌橋に立った瞬間、満開の桜、晴れ上がった富士山、白波の潤井川が眼前に開けて、思わず歓声を上げていました。
余りにも絵葉書的だなどと贅沢をいいながら、少しでも変化した角度でと、カメラを提げて位置を変えながら、時間いっぱいシャッターを押し続けていました。




人盛りの龍巌橋


よいアングルを求めて狭い川原も満員


名桜山高神代桜に加えて、各地の桜と名峰を訪ねる今回のツアー、満開の桜と思いがけぬ好天に恵まれて、泊まったホテルの不味い食事を補って余りある大満足の旅となりました。



  

Posted by むかご at 09:59Comments(0)

2019年04月09日

花紀行2019⑤身延山久遠寺


樹齢400年というしだれ桜

石和温泉に泊まる6つの桜スポットを巡る2日間というツアーの第二日、昨日記事大法師公園の次は、身延山久遠寺でした。
ここ身延山久遠寺は言うまでもなく日蓮宗の総本山で、日蓮上人は、1274(文永11)年5月、身延山に入山し、鷹取山のふもとの西谷に構えた草庵を住処としたことがあり、これが身延山開闢の時とされています。日蓮上人が臨終にあたり、「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」遺言されたので、遺骨は身延山に祀られています。

久遠寺本堂



境内から見下ろす花のお堂群

久遠寺境内には、有名な樹齢400年ともいわれる2本のしだれ桜だけではなく、境内一帯にはあちこちに桜が咲き誇り、訪れる参詣客や花見客の目を楽しませています。

往復1200円也のロープウエイで登る標高1,153mの身延山山頂には、日蓮大聖人が故郷、房州小湊(現在の千葉県鴨川市)のご両親を追慕しての奥之院思親閣があり、山頂にある三つの展望台からは、東に富士川を隔てて富士山、南に駿河湾・伊豆半島など、北に南アルプス北岳・八ヶ岳連峰など展望が開けています。

奥の院・思親閣


富士川の谷を隔ててみる富士山頂


富士山の反対側に日本第二の高峰北岳




  

Posted by むかご at 13:42Comments(0)

2019年04月08日

桜紀行2019④大法師公園の桜と富士

石和温泉に泊まる6つの桜スポットを巡る2日間というツアーの第二日、強い寒気が日本列島に流れ込んで、荒れ模様との予報で明けた朝、目覚めると快晴の空のかなたに富士山の山頂だけが白く光っていて、思わず内心万歳を叫んでいました。
二日目は富士川町の大法師(おおぼし)公園です。小高い丘にある公園には約2千本のソメイヨシノがあり、「日本の桜百選」にも選ばれています。
ここの魅力は公園から富士山の山頂部分が眺められることです。望遠を使ってひたすら桜と富士山を狙っていたら、それだけでバスに帰る時間になっていました。

宿の窓から、期待膨らむ朝の富士山












  

Posted by むかご at 07:03Comments(0)

2019年04月07日

花紀行2019③山高神代桜

日本三大櫻といわれる岐阜県薄墨桜、福島県の三春の滝桜は済ませていましたが、最後に残る山梨県山高神代桜を見るツアーが高槻発で出るというので勇んで参加しました。
暖冬があったり、春寒があったりで、天候不順が続き桜の開花状況が気がかりでしたが、ぴったり満開で、3大桜全て満開時に出会うという幸運に感謝でした。
山高神代桜は山梨県武川町の実相寺境内にあり、推定樹齢1,800年とも2,000年とも言われるエドヒガンザクラです。
樹高10.3m、根元・幹周り11.8m電力、日本で最古・最大級の巨木として、 大正時代に国指定天然記念物第1号となりました。
また、平成2年には「新日本名木百選」にも選定されています。

山高神代桜1


山高神代桜2


2千年花と木を支え続けてきた巨大な根元


伝説では、神話の武将ヤマトタケルノミコトが東征の折に植えたと言われ、名前の由来になっています。
高齢?と周囲の環境の悪化で、すでに昭和24年頃に、ほどなく枯死するとの見立てがあり心配されてきたところ、平成14年から4年をかけて本格的な土壌改良と病根の除去などの樹勢回復工事が実施され、樹形維持のための櫓の設置なども行われて、一昔前の姿によみがえったといいます。

実相寺・本堂前には昭和27年に植えたという神代桜の子供が大木となっている


バックに南アルプス甲斐駒ケ岳方面


門前のスイセン畑も満開

境内には、高山の臥龍桜、三春の滝桜、根尾に淡墨桜、身延山久遠寺のしだれ桜など各地の有名な桜の小供や、宇宙旅行をして帰ってきた神代桜の種が芽生えた幼苗などもあって、櫻好きには大いに楽しめる実相寺境内でした。

神代桜を見た後、王仁塚といわれる古墳に立つ一本桜を訪ねました。すでに黄昏近い野中の一本桜には、風雪を耐えてきた孤独の影が浮かんでいました。

バックは深田久弥終焉の茅ケ岳(1704m)








  

Posted by むかご at 16:15Comments(0)

2019年04月06日

花紀行2019②名古屋城

3月31日、犬山城から名古屋城にまわりました。
何年か前に訪れたときは工事中だった本丸御殿の再建が昨年完成、一般公開されたこともあって、桜咲く名古屋城は多くの観光客でにぎわっていました。






戦災を逃れた国重文西南隅櫓


西南隅櫓内部


西南隅櫓より見た天守閣


徳川家康の命によって建てられた尾張徳川家の城・名古屋城天守閣は1930年(昭和5年)に、本丸御殿とともに国宝第一号に指定されましたが、1945年(昭和20年)、空襲により焼失しました。
天主閣は1959年(昭和34年に、鉄筋コンクリート製で再建されましたが、これを昔通りの木造建造物に復元しようとする構想も進んでいるといいますが、これに先立って、お城の一角をしめる本丸御殿の復元再建が10年かけて完成したものです。、
尾張藩主の住居であり、藩の政庁として1615年(慶長20)に完成した御殿の内部は、障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られ、江戸時代の先端技術を注いだ近世城郭御殿の最高傑作とたたえられるほどでした。
幸いに、戦時中に取り外され、大切に保管されてきた襖絵・天井板絵など1049面もの障壁画などや、昭和初期の調査・計測によって残された309枚の実測図、戦前に撮影された約700枚の写真などが残っていて、これらをもとに、他に類を見ない正確さで忠実に復元がおこなわれています。

本丸御殿外観


本丸御殿内部






釘隠

本丸御殿見学は、フラッシュこそ禁止でしたが、写真撮影は自由で、忠実に再現された絢爛豪華な御殿内部を堪能することができました。
  

Posted by むかご at 13:20Comments(0)

2019年04月03日

花紀行2019① 犬山城


平成最後の花見の季節が始まりました。
平年並みという今年の開花予想でしたが、3月末から急に寒のぶり返しとなり、各地で開花の乱れが生じています。
22日に開花宣言した名古屋地区ならいいだろうと、3月31日犬山城を訪れました。最初に犬山城を選んだのは一つには、日帰り可能な主なお城と桜の写真を揃えたいとの思いからでもありました。
犬山城は、国宝五城(姫路、犬山、彦根、松本、松江)の中でも最も古く、平成16年まで旧城主の子孫成瀬家の個人所有であったことでも知られています。また戦国時代を代表する信長、秀吉、家康三者が、自身あるいは配下のいずれかが、築城、攻略、城主として関わったことは、木曽川を背にするこの城がいかに戦略上の要衝であったことを物語っています。



天守閣から木曽川下流方面

期待に反して桜の開花の遅れは大きく3~4分咲きといってところでした。
60分かかるという天守閣見学の長い行列に並びました。60年ぶりの天守内部の見学は、急な階段の上り下りに四苦八苦で、足腰の衰えを否が応でも自覚せざるを得ませんでした。
4月6~7日に行われる針綱神社の祭礼の犬山祭は、1635年から続く、国指定重要無形民俗文化財で、仕掛けも見事なからくり人形を備えた13輌の車山が国宝犬山城下の城下町を巡行します。観光客で賑わう本町通では早くも祭に備えた準備が進んでいるようでした。

針鋼神社門前


犬山祭に使われる山車


早くも町に出たからくり人形


寺内町円明寺の枝垂れ櫻(市内随一樹齢約250年)







  

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