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  | 高槻市

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2016年11月28日

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 

白洲正子が「かくれ里」で、石の寺として取り上げた古寺のひとつ近江安土町のその名も石寺部落にある教林坊を訪れました。
繖山(きぬがさやま)の「麓にある石寺という部落は、世捨て人のような風情のある村で、かつては観音正寺の末寺が三十以上もあり繁栄を極めたというが、現在は教林坊という、ささやかな寺が一つ残っているだけである。」と白洲正子が「かくれ里」で書いたのが50年ほども前のことでした。寺はその後無住となり荒れ果てていたのを、現住職が平成9年入山して以来苦労をかさねて寺の再興に取り組まれ、20数年ぶりに一般公開されるようになったといいます。
敷地約2千坪の境内はさほど広いものではありませんが、質素な本堂、書院、経堂に小堀遠州作庭と伝わる巨石を用いた池泉庭園を配し、竹林に囲まれた300本近い楓の紅葉は今見事な盛りでした。
教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 


予約していた近くの老舗料亭「納屋孫」での、近江牛のランチはまことに結構なものでした。
中食後これも「かくれ里」にでる、奥石(おいそ)神社に詣でました。“おいそ”は“老蘇”で、不老を意味し、約23250年前、孝霊天皇の御代、この地は地裂け、水湧く、人の住めないところであったが、石辺大連が神の助けを借りて植林したところたちまち大森林となったという伝えがあり、万葉の昔より数々の歌に詠まれる名所となりました。神社の背後この老蘇の森が広がり国の史跡となっています。
教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 
奥石神社本殿


奥石神社からほど近いこれも石にちなむ岩戸山に十三仏があるというので向かいましたが、登坂の参道の途中で出会った土地の老婆に相当登らなければ行けいないと聞いて断念し、西国三十三番札所観音正寺にまわることにしました。
教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 
岩戸山十三仏への道


途中の紅葉山へ上り、五箇荘の町を見下ろします。ここから観音正寺へ峰伝いで2㎞程との道標がありましたが、もちろん車の旅では歩くわけにはゆきません。
教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 
紅葉山から五箇荘の町を望む


観音正寺へは、途中まで有料道路をのぼり、約300mという石段に挑みます。白洲正子も「けわしい自然石の階段で、石段というより、岩場といった方がふさわしい。」と書いた石段は、30年ほど前に西國札所を巡ったときはなんでもなかったのに、今は手すりを頼りの難行苦行となりました。
教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 


教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 
観音正寺本堂

教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 
ここにも石が


教林坊と観音正寺:おもてにでた「かくれ里」 
観音正寺から近江富士(三上山)方面


ほかにも石馬寺、桑実寺、観音寺城跡など、周辺の名所が気になりながらも、時間切れで、次の機会にゆすることになりました。

Posted by むかご at 14:30│Comments(0)
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