2013年05月25日
武相荘とセレブの邸宅を巡る
60年も前、中学か高校のとき、将来なりたい人物像を問われて、生意気にも白洲次郎ごとき人物と書いたのを妙に覚えています。
最近白洲夫妻の伝記ドラマを見たり、白洲正子の著作を連続で読んだりしたことから、夫妻が戦中から晩年にかけて過ごした武相荘を一度訪れたいと思っていたところに、ちょうど武相荘、鳩山会館、椿山荘、旧武者小路実篤邸を巡るツアーが見つかったので、下賤の身の常としての覗き見趣味もあり、行ってきました。
音羽御殿とも呼ばれる鳩山会館は、いうまでもなく和夫、一郎、威一郎、さらには由紀夫、邦夫と続く鳩山一族が住んだ美しい洋館です。
鳩山会館全景
この洋館を建てたのは一郎で、大正13年(1924)当時を代表する建築家の岡田信一郎の設計によるものでした。平成7年に大規模改修が成り、政治家一族としての業績を紹介する記念館と集会機能をや兼ね備えた会館として公開されました。
鳩山和夫夫妻像
鳩山一郎像・由紀夫元総理像は建つか?
薔薇の庭を前に建つイギリス風の会館は、鳩など動物のモチーフにしたデザインが多く、いわゆるグロテスク風建築様式となっています。
家紋・尻合わせ三つ結び雁金
昼食は椿山荘でのフランス料理、予算的に本格的フルコースとまでは行きませんが、よい雰囲気の中で食事を楽しみました。
ここは、古くより椿が自生する景勝の地として知られ、江戸時代には久留里藩黒田氏の下屋敷だったものを、明治の元勲である山縣有朋が明治11年(1878)自分の屋敷として「椿山荘」と命名したのにはじまります。当時明治天皇・大正天皇をはじめ政財界の大物たちがしばしば訪れ、国政を動かす重要会議が開かれるなど政治の表舞台ともなりました。
椿山荘庭園
椿山荘庭園
今日も結婚式が
現在藤田観光の所有となり、敷地内にフォーシーズンズホテル椿山荘東京が営業しています。
一般公開されている庭園には、緑の中に水が流れ、史跡等が点在し、庭園の頂上には国の登録有形文化財の三重塔が建っています。
三重塔
白樺派の作家として、また「新しき村」創設で理想社会を目指す実践活動にも取り組み、40歳ころから絵筆をとり野菜や花に言葉を添えた味わいある作品で人々に親しまれた武者小路実篤は、調布市の仙川の近くに、屋敷を構え晩年を過ごします。
実篤公園
実篤公園
実篤公園内の旧居宅
いま、旧武者小路実篤邸は、武者小路記念館と市の実篤公園となっています。
実篤公園は約1500坪の園内に湧水を水源とした大小の池がめぐらされ、四季折々の草木が、散策の目を楽しませてくれます。
実篤記念館
太平洋戦争当初より敗戦を見抜いた白洲次郎は、郊外の鶴川に百姓家に夫妻で移り住み農業をはじめます。戦後吉田茂に乞われてGHQとの折衝にあたるなど活躍します。
武相荘入り口
武相荘建物
樺山伯爵の次女として生まれた妻正子は、早くより小林秀雄、青山二郎など錚々たる文化人と親交を結び、文学、美術、骨董、民芸品の世界に深く踏み込んで行きます。
次郎の愛車
次郎の農機具小屋内部
いま公開されている武相荘には、次郎の愛車や百姓道具などもありますが、屋内に展示されている衣裳、骨董、陶漆器などの品々は、いずれも正子の鋭い審美眼で選び抜かれたものばかりで、武相荘は、次郎没後13年間で独自の世界をつくりあげた正子の匂いに満ちていました。
最近白洲夫妻の伝記ドラマを見たり、白洲正子の著作を連続で読んだりしたことから、夫妻が戦中から晩年にかけて過ごした武相荘を一度訪れたいと思っていたところに、ちょうど武相荘、鳩山会館、椿山荘、旧武者小路実篤邸を巡るツアーが見つかったので、下賤の身の常としての覗き見趣味もあり、行ってきました。
音羽御殿とも呼ばれる鳩山会館は、いうまでもなく和夫、一郎、威一郎、さらには由紀夫、邦夫と続く鳩山一族が住んだ美しい洋館です。
鳩山会館全景
この洋館を建てたのは一郎で、大正13年(1924)当時を代表する建築家の岡田信一郎の設計によるものでした。平成7年に大規模改修が成り、政治家一族としての業績を紹介する記念館と集会機能をや兼ね備えた会館として公開されました。
鳩山和夫夫妻像
鳩山一郎像・由紀夫元総理像は建つか?
薔薇の庭を前に建つイギリス風の会館は、鳩など動物のモチーフにしたデザインが多く、いわゆるグロテスク風建築様式となっています。
家紋・尻合わせ三つ結び雁金
昼食は椿山荘でのフランス料理、予算的に本格的フルコースとまでは行きませんが、よい雰囲気の中で食事を楽しみました。
ここは、古くより椿が自生する景勝の地として知られ、江戸時代には久留里藩黒田氏の下屋敷だったものを、明治の元勲である山縣有朋が明治11年(1878)自分の屋敷として「椿山荘」と命名したのにはじまります。当時明治天皇・大正天皇をはじめ政財界の大物たちがしばしば訪れ、国政を動かす重要会議が開かれるなど政治の表舞台ともなりました。
椿山荘庭園
椿山荘庭園
今日も結婚式が
現在藤田観光の所有となり、敷地内にフォーシーズンズホテル椿山荘東京が営業しています。
一般公開されている庭園には、緑の中に水が流れ、史跡等が点在し、庭園の頂上には国の登録有形文化財の三重塔が建っています。
三重塔
白樺派の作家として、また「新しき村」創設で理想社会を目指す実践活動にも取り組み、40歳ころから絵筆をとり野菜や花に言葉を添えた味わいある作品で人々に親しまれた武者小路実篤は、調布市の仙川の近くに、屋敷を構え晩年を過ごします。
実篤公園
実篤公園
実篤公園内の旧居宅
いま、旧武者小路実篤邸は、武者小路記念館と市の実篤公園となっています。
実篤公園は約1500坪の園内に湧水を水源とした大小の池がめぐらされ、四季折々の草木が、散策の目を楽しませてくれます。
実篤記念館
太平洋戦争当初より敗戦を見抜いた白洲次郎は、郊外の鶴川に百姓家に夫妻で移り住み農業をはじめます。戦後吉田茂に乞われてGHQとの折衝にあたるなど活躍します。
武相荘入り口
武相荘建物
樺山伯爵の次女として生まれた妻正子は、早くより小林秀雄、青山二郎など錚々たる文化人と親交を結び、文学、美術、骨董、民芸品の世界に深く踏み込んで行きます。
次郎の愛車
次郎の農機具小屋内部
いま公開されている武相荘には、次郎の愛車や百姓道具などもありますが、屋内に展示されている衣裳、骨董、陶漆器などの品々は、いずれも正子の鋭い審美眼で選び抜かれたものばかりで、武相荘は、次郎没後13年間で独自の世界をつくりあげた正子の匂いに満ちていました。
Posted by むかご at 22:09│Comments(0)