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  | 高槻市

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2013年05月07日

花無き「みちのく花絵巻4日間」の余録 ⑤平泉中尊寺の巻

花無き「みちのく花絵巻4日間」の余録として①から④まで取り上げましたが、ツアーの行程表にも含まれてなかった平泉中尊寺こそは本当の余録でした。花見ツアーで募集してあまりにも花が少なかったので旅行会社が埋め合わせに入れてくれたのです。
世界遺産に登録されて一段と注目を浴びるようになった中尊寺は、曾遊の地でしたが、改めてみる金色堂に、奥州藤原氏が築いた黄金文化に思いをはせ、感銘を新たにしました。
五月雨ならぬ4月の雨に金色堂の新覆堂(さやどう)の屋根が黒く光っています。隣には移設された旧覆堂も残っています。
花無き「みちのく花絵巻4日間」の余録 ⑤平泉中尊寺の巻
金色堂新覆堂

花無き「みちのく花絵巻4日間」の余録 ⑤平泉中尊寺の巻
旧覆堂


芭蕉は奥の細道で、当時すでに少々いたんだ金色堂が覆堂に覆われていたらしくこのように記しています。
「兼て耳驚したる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、珠の扉(とぼそ)風にやぶれ、金(こがね)の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て風雨を凌。暫時(しばらく)千歳の記念(かたみ)とはなれり」
と芭蕉は金色堂の内部の仏像や棺のこと詳しく描写していますが、実際には、同行し曾良によると、芭蕉と訪れた日は、金色堂を開けてもらおうにも堂守が不在で、仕方なく2人は名高い仏像などはどれも見ることなく中尊寺を後にしたことになっています。(曾良奥の細道随行日記)
かりに金色堂の内部を見なかったとしても、名句「五月雨の降り残してや光堂」の価値が下がるわけではありません。
花無き「みちのく花絵巻4日間」の余録 ⑤平泉中尊寺の巻
芭蕉句碑

花無き「みちのく花絵巻4日間」の余録 ⑤平泉中尊寺の巻
芭蕉像


拝観料金800円は安くはないにしても、芭蕉も見ることができなかった金色堂を、いつでも間近かに拝める現代人は恵まれているといえます。
花無き「みちのく花絵巻4日間」の余録 ⑤平泉中尊寺の巻
関山中尊寺入り口


Posted by むかご at 16:56│Comments(0)
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