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  | 高槻市

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2013年03月28日

青春18きっぷで東海・美濃の三都巡り

3月27日、青春18きっぷで、東海の3つの町、岡崎、熱田、大垣を訪れました。
開花宣言から1週間ほど経過し、桜満開と予想していたのにその後の冷え込みで開花が遅れていたのは少し残念でしたが、ダイヤの便もよくて時刻表を見ることもなく効率的な旅となりました。
青春18きっぷで東海・美濃の三都巡り

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1)岡崎と岡崎城
三都巡りは、10時半、予約していたボランティアガイドさんの案内で岡崎城を中心とする岡崎公園散策からはじまります。岡崎城と岡崎は戦国・江戸と時代をまたいで、徳川家康の出生地であり三河武士のふるさととして、わずか五万石の石高ながら、特別の重みをもって扱われてきました。
城は、菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山という丘陵を利用して造られおり、龍頭山城とも龍城たつき)ともよばれ、守るに易く、攻めるに難しい難攻不落の平城となっています。
東海地方の城では3番目に数えられる規模であった岡崎城も、1873年(明治6年)の廃城令によって天守閣以下の建物はすべて廃却されましたが、昭和34年、コンクリート製ながらも、残っていたかつての写真通り外観で再建されました。
青春18きっぷで東海・美濃の三都巡り


城の周囲が公園として整備されたのは明治初年と古く、公園に立つ石碑は単に公園とだけ刻まれているのは、全国的にも公園は極めて珍しかったので、敢えて岡崎を名乗らなくても公園といえば岡崎の公園と知られていたからだそうです。
青春18きっぷで東海・美濃の三都巡り

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船着場


城を囲む堀は龍城堀と呼ばれ矢作川の支流の管生川から水を引いています。この地の古謡で江戸小唄にもなった“五万石でも岡崎さまは お城下まで船が着く・・・”と謡われた船着き場の跡が残っています。
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野面積の石垣

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三方が原の敗戦を自戒するために描かせたというしかめ面を寫した家康しかみ像

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家康産湯の跡

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家康の胞衣塚

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時計塔は定刻になると家康のからくり人形が能を舞う

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「人の一生は重き荷を負て長き道を行くがごとし」家康遺訓が刻まれている

残された石垣、堀など遺構を含み周辺は岡崎公園として整備され、再建された天守などとともに、市民の憩いの場になっています。公園内には、岡崎城で生まれて、ついには天下をとった家康ゆかりの史跡、記念碑、像などが多数あり、まさに家康オンパレードです。

2)熱田神宮
昨年は古事記編纂1300年、古事記にゆかり深い熱田神宮は、以前から一度はお参りすべきお宮さんとして残っていました。
青春18きっぷで東海・美濃の三都巡り

景行天皇43年創建とされ、神社では、平成25年(2013年)は、もと神剣である天叢雲剣、のちの草薙神剣をこの神社に祀ってより、1900年の節目の年を迎えるとしています。
主神は熱田大神、祭神は天照大神、素戔嗚.尊、日本武尊、宮簀姫尊、建稲種尊で、三種の神器ひとつ草薙剣(天叢雲剣)を祀る神社としても知られています。
1893年(明治26年)までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式だったといわれる社殿は、今では伊勢神宮と同じ神明造ですが、さすがに立派なものです。
青春18きっぷで東海・美濃の三都巡り
本殿


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信長塀

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名古屋最古の石橋二十五兆丁橋


古くから、皇室や時の将軍など権力者の尊崇をうけ境内には、信長寄進の信長柄や尊氏寄進といわれる名古屋最古の石橋の二十五丁橋など歴史的な遺産が多数残されています。
青春18きっぷで東海・美濃の三都巡り
樹齢千年を超えるという大楠


3)大垣と大垣城
青春18きっぷで東海・美濃の三都巡り

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日本の真ん中を自称する大垣は、関ヶ原の合戦で西軍石田三成の本拠地となった大垣城を中心に水門川が巡り、いたるところに湧き出る自噴井があり、かつて水運で賑わった水の都の風情が今も/漂っています。
水門川の流れを外堀に利用して作られた大垣城は、いくつかの変遷を経て、小規模ながら四重四階建ての総塗の優美な城として、戦前は国宝も指定されても昭和20年戦災で焼失し、昭和34年コンクリート製で再建されています。
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市内各所にある自噴井

お城の外堀にも使われた水門側沿いには遊歩道が整備され、沿道には桜並木が連なります。川には舟下りの船や、珍しいたらい舟なども運行され、住吉燈台や船町港跡などがあって往時の水運の様子を今にうかがわせています。
あまり知られていませんが、松尾芭蕉は、元禄2年(1689)の秋、約5か月の「奥の細道」の旅を終えてここ大垣で終えました。そのおり芭蕉は「蛤のふたみに別く秋そ」と詠んで、水門川の船町港から桑名へ下りました。このことからこの地に芭蕉の「奥の細道の結びの地」の記念碑や記念館があります。
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平成24年12月5日、両陛下がこの「奥の細道結びの地記念館」に行幸啓された際、皇后陛下がお土産として侍従を通じてお買い上げになったものと同じという羊羹「小豆やっこ」を1本買い求めて帰りました。

Posted by むかご at 21:50│Comments(0)
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