同志社墓地に詣でる 

むかご

2015年01月10日 18:41

山科から山道をとり七福思案処を越えて、南禅寺、永観堂の裏にあたる東山の中腹を北へ向かい、京都への降りに入ってしばらくのところ左京区鹿ケ谷若王子山町に同志社墓地がありました。
ここには、創立者新島襄をはじめ、妻新島八重や山本覚馬、徳富猪一郎、同志社関係の宣教師たちが一堂に会するといった形で眠っています大河ドラマ「八重の桜」が放映されていたのが平成25年、当時は結構訪れる人も多かったそうですが、寒さ厳しい冬の墓地はひっそりと静まり返っていました。

新島襄の墓


新島八重の墓


八重の兄山本覚馬の墓


八重の母山本久栄の墓


徳富蘇峰の墓(墓銘は自筆)

新島襄の墓は昭和61年不慮の事故により倒壊し、勝海舟揮毫の碑銘をそのまま写し刻んだ新しい墓石となっています。譲と八重ゆかりの人々のお墓を拝んでいると、ドラマでそれぞれの人物に扮した俳優の顔で浮かび上がって少々奇妙な感じでした。
熊野若王子神社から山道を徒歩で25分ほども登ったところにあるこの墓地は若い人でないと少々きつそうです。山科側からの登り道の途中で同志社大学の名前が入った竹の杖が置いてあり、なぜだろうといぶかりながらお借りしましたが、ずいぶん助かりもし、納得もし、でした。