2008年07月11日
楠公子別れ余話④ 由来定かでない桜井子別れ


続日本記に摂津国島上郡大原駅とあるのは、奈良時代より整備されてきた主要街道に設置された駅のひとつで、島本町の桜井の駅を指すものと考えられています。この前を通る西国街道は京と山陽道をつなぐ要路として古来栄えた街道ですが桜井の駅の実態についてはよくわかっていません。
太平記に、湊川の戦に臨む正成が、長子正行と別れたのが桜井の駅と記されてより、有名になった桜井の駅ですが、この地がその桜井の駅であったのかは確かでもなく、そもそも話のような子別れの場面が実際あったかも疑問です。仮に桜井の駅が此処としても、おそらく太平記の作者が、京都、湊川、河内の3点を結ぶこの地を想定して子別れの話をつくり上げたとしても不思議ではありません。
大正10年3月3日に、桜井駅跡ということで国史跡の指定がされていますが、(楠木正成伝説地)と括弧書きになっています。この辺が妥当なところでしょうか。
Posted by むかご at 06:20│Comments(0)│TrackBack(0)
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