2009年03月30日

城崎早春⑥円山川 




駅の真裏にある大きな川が気になり覗いてきました。
城崎町を流れる円山川は日本海へと注ぐ間近にあり、流れも穏やかで川幅も広い流域です。
それにしても広い川幅で平らだと思ったら、ここは円山川城崎漕艇場となっていて、1000m6レーンのコースが設定され、「城崎レガッタ」などの競技が開催されているそうです。
こじんまりした城崎温泉街とは対照的なゆったりとした風景でした。
  
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2009年03月29日

城崎早春⑤7つの外湯 




城崎名物は外湯めぐりでしょう。
1400年の歴史をもつ城崎温泉は外湯を中心に栄えてきたといわれます。7つある外湯は、近年いずれも近代的な建物に立て替えられています。
昼過ぎに立ち寄った地蔵湯はほとんど相客もなくほとんど貸切り状態でした。
入浴料600円は高いこともありませんが、外湯は地元の人の公衆浴場にもなっていて、町民ならば1回100円、70歳以上は無料とのこと、城崎の町民が羨ましくなりました。
  
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2009年03月28日

城崎早春④変わる客筋 


目立つギャル集団



ギャルには無縁の老舗旅館


城崎は伝統ある温泉町として多くの客を迎えてきました。
あちこちに立派な門構えと広い庭園をもつ純日本風の旅館がたくさんあります。
昼食に立ち寄った寿司屋の主人は、温泉ブームのこのごろだが、旦那衆がゆっくり逗留するといった昔ふうの客が減り、客筋変わって、やたらと若いギャルが多くなったと嘆いていました。
お客さんはお泊りですか訊かれて、日帰りの青春切符とはいえず“うんまあ”などとごまかしたことでした。
  
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2009年03月27日

城崎早春③志賀直哉と文人たち 


直哉の宿


直哉が散策した温泉寺参道


文学館前の「城崎にて」の文学碑


城崎と文学というと、すぐ思い浮かべるのが志賀直哉です。
直哉は交通事故の怪我の養生のため城崎温泉に滞在したときの体験をもとに「城崎にて」を書きます。直哉が泊まった宿が今も残る三木屋です。
古くからの温泉である城崎には多くの文人墨客が訪れました、街のあちこちに文学碑が建ち、立派な文学館もあります。
  
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2009年03月26日

城崎早春②大谿川 


柳通り


木屋町通


温泉街の中心を流れるのが大谿川。観光写真などでは雪の景色が有名ですが、わずかに芽生えた川岸の柳のそよぎも早春らしい風情を醸しています。
この南北柳通りの柳並木はよく知られていますが、上流側の木屋町通り、さらに上にある桜並木も花時にはさこそと想像できる景色です。
  
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2009年03月25日

城崎早春①城崎駅前 


温泉駅


駅前足湯


駅間近かの外湯


春の青春18切符の行き先は城崎でした。どういうわけか、この有名な温泉地を訪れるのは初めてでした。
7時14分大阪駅を出発し、福知山で乗り継いで11時26分城崎着。
さすがに老舗の温泉地、駅を出たとたんこれぞ温泉町という雰囲気であふれていました。
駅前の足湯はパスして早速街の散歩へ出かけます。
駅のすぐ近くにも名物の外湯がありました。

  
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2009年03月24日

雪なき里の雪割草 


ケスハマソウ①


ケスハマソウ②


雌岡山から雄岡山を望む。右の山の向こうに神戸市街



神戸市の西のはずれに、雌岡山(めっこやま)雄岡山(おっこやま)という変わった名前の小高い山があります。大きさも形も瓜二つのこの山は、遠くから眺めると子牛の角のように見えたので男牛(おご)女牛(めご)と呼ばれたのが、雄子尾、雌子尾となり、やがて雄岡、雌岡となったといわれます。
この雌岡山にケスハマソウ(別名雪割草:ユキワリソウ)見に行きました。
ここの雪割草は、地元のグループによって大事に手入れや保護がされているそうです。
話によると、この辺一帯はほとんど積雪がないところだそうですが、それでも雪割草は春を待ちかねたように、落葉樹林にそそぐ春の日を浴びて、薄紅色中心で変化の多い色の花をつけていました。花弁と見えるのは萼片で普通6~10枚とこれも変化があります。
  
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2009年03月23日

奥高槻早春の花 


イワナシ:岩梨

ヤマルリソウ:山瑠璃草


スズシロソウ:蘿蔔草


先日、3月とは思えぬ陽気に誘われて、高槻北部出灰川のほとりを、観察しながら歩いてきました。
暖冬とはいえまだまだ花ばなには早い季節。それでも、あちらこちらに春を待ちかねたように咲いている20種ほどの花に出会いました。
その中のいくつかをご紹介します。
  
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2009年03月22日

亀井堂の水供養 



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四天王寺境内はお彼岸詣での人出で賑わっています。
亀池のそばの亀井堂に湧く「白石玉出の水」といわれる地下水に、供養をすませた経木を流すことによって極楽浄土がかなうといわれる水供養がおこなわれていました。
一段と低まった井戸には、異なる形をした二つの亀形の石造物があり、亀の頭から流れ出る水を、もう一つの水槽状になったこれも亀を模した石造物が受けています。
供養してもらった先祖の経木が次々に投じられて、長い竿で先のほうに押し流されてゆきます。
この二つの亀形石をみていると、先日、明日香村でみた斉明朝のものとされる亀形石造物を思い出しました。寺の方に尋ねると、確かに双方の関連性を疑う学者もいて調べているがまだ答えは出ていないとのことでした。
  
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2009年03月21日

夕陽の彼方に浄土を想う日想観 






3月20日は彼岸の中日。四天王寺の西門とその西に立つ石の鳥居の真ん中に日が沈みます。
この日、日没を前に、四天王寺の副管長厳修による日想観(じっそうかん)の勤行が執り行われました。日想観は本来、西向きに正座し、日没の相状を観て、西方浄土を想観する観無量寿経に説かれた観法の一つです。
昔は、ここから海に沈む夕陽を拝めたそうで、能の弱法師でもシテが「今は入り日や落ちかかるらん。日想観なれば曇りも波(無み)の、淡路、絵島、須磨、明石。紀の海までも見えたり見えたり…」と謡います。いまはビルなどが遮り、海に沈む夕陽こそ見えませんが確かに西門(極楽から見れば東なので正しくは東門いう)の真ん中に沈んでゆきました。
集まった善男善女も、僧侶の讀経に合わせて唱和し、陽に向かって極楽往生を祈ったことでした。
  
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2009年03月20日

コウノトリ早春の空に舞う 


スライドショウ:飛翔するコウノトリ






青春18切符で城崎へ行った帰り、豊岡のコウノトリの郷公園へ立ち寄りました。
ちょうど給餌の時間とかで、放鳥されたコウオトリたちも実家?に帰って餌を啄ばんでいました。
野に放たれたとはいえ、まだまだ自力で餌を摂るには問題があるのでしょうか。
食事が済むと、次々と飛び立ち、村の上空を旋回しながら上昇していづかたともなく飛び去ってゆきます。
放鳥後も人間によって間接、直接に管理下にあるコウノトリですが、悠々と飛翔する優雅な姿は、自然が持つ美しさを失ってはいませんでした。
  
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2009年03月19日

明日香路早春(終)祝戸地区 


祝戸地区展望台から東方を望む


石舞台から飛鳥川を渡ったところに、財団法人飛鳥保存財団が運営する飛鳥の宿“祝戸荘”があります。
客室は別棟の「離れ」様になっており、研修施設も整っていて、リーズナブルな値段で宿泊できます。一帯の丘陵は国営飛鳥歴史公園祝戸地区となっており、整備された遊歩道があって、展望台に続いています。
展望台からは、早春の奥明日香、稲淵辺りの棚田が観望されました
祝戸荘は、ゆっくり飛鳥散策を楽しむときの足場としてお勧めです。

  
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2009年03月18日

明日香路早春⑥甘樫丘 


頂上から西方を望む


犬養博士の揮毫になる歌碑


明日香村北西にある東西数百m、南北に1km、標高148mの甘樫丘は、全体が国営飛鳥礫公園甘樫地区となっています。
大化の改新以前に蘇我蝦夷と蘇我入鹿親子が、この丘の麓に邸宅を構え、天皇をしのぐ権勢を誇っていたといわれます。
丘陵には遊歩道が整備され、頂上の展望台からは、東に明日香村、西に藤原京跡や耳成山を見下ろすことができます。
一帯には万葉の植物が植えられ、山腹には、有名な万葉学者犬養 孝先生揮毫の歌碑「采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く」信貴皇子(巻一 51)があります。
  
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2009年03月17日

明日香路早春⑤最古の時計・水落遺跡 





1981年、飛鳥寺寺域の西北、小字水落で漏刻施設の遺構が発見されました。
日本書紀斉明紀6年の条に「皇太子(ひつぎのみこ・中大兄皇子、後の天智天皇)初めて漏尅を造り、民をして時を知らしむ」とあり、ここに4個の水槽を階段状に設けて、サイフォン管によって順次水を流下させ、時刻を知る設備があったことが明らかになりました。
発掘された基礎部分は極めて堅牢なもので、一連の施設は精度の高い高度な技術を駆使したものであったと想像されています。
古代中国では、皇帝が時間と暦を支配する存在と観念されており、この漏尅による時刻の告知と暦の配布は、支配者の権威の象徴として重要な意味を持っていたと考えられます。
同じく日本書紀天智天皇10年の条に、6月10日、「漏尅を新しき台に置く。初めて候時を打つ。鐘鼓を動す。この漏尅は天皇の皇太子にまします時に、初めてみづから製造(つり)りたまふところなり・・・」とあることに符合します。
時の記念日の根拠になった大津の宮の漏尅は、飛鳥の地ではじめて実用にされたものの後継機だったというわけです。
  
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2009年03月16日

明日香路早春④古代の工房跡 






奈良県立万葉文化館建設のために1997年 年から3ケ年にわたり、飛鳥池といわれたため池を発掘した結果、ここが大規模な官営の大工房であることが判明しました。
出土した遺物から、そこには金銀工房やガラス工房、わが国最古の貨幣、富本銭の鋳造所があったことも分かりました。またごみ捨て穴の後からは8千点もの木簡が出土し、その中には天皇の字のあるものがあり、このことをもって天武天皇の時代に初めて従来の大王の代わって天皇の名称が使われたとまではいえないまでも、かなり定着した証ともいえるようです。
写真の方形の石組跡(復元)は、その位置や大きさなどから、工房群から排出された廃棄物を沈殿し、濾過された上澄み液を注ぎ込み、下流の石組みから排水する1種の汚水処理装置であったと見られています。
万葉文化館の内部には、工房の復元模型や、富本銭などの出土品の数々が展示されています。
  
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2009年03月15日

明日香路早春③亀形石造物 




2000年2月、飛鳥寺から南へ5分ほどの酒船石丘陵の裾から亀形石造物が出現しました。石造物は小判型の水槽と、下流側の亀の形に円形の体部と頭、両手足、尻尾を彫り出し、内部を掘り窪めて水槽状とし、口に当たる頭には部分には水が通る穴が穿たれたものとでなり、丘陵の裾側には湧水塔が発見されました。これに先立つ1992年には、丘陵地から日本書紀斉明天皇2年の条にある「宮の東の山に石を累ねて垣とす」に符合すると思われる石垣が発見されています。
一連の石造物は、「狂ぶれ心の渠」といわれた土木工事好きの斉明天皇が築いた建造物の遺構である公算が強くなっています。貴人が禊などの祭祀を行った場所ではないかと見られています。
発掘当時、湧水設備の周辺から豊かに湧き出る水をお茶の伊藤園で分析したところ六甲のおいしい水とほぼ同じ成分で、関係者がこの“斉明水”でコーヒを立てて飲んだとかの話が残っています。この日は管理人が来て、丁寧に樋の掃除をしていました。
  
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2009年03月13日

明日香早春② 




明日香村役場のすぐ北の田んぼの中に伝・板蓋宮跡があります。
この辺は古代明日香の中心部で、発掘結果では岡本宮、板葺宮、飛鳥浄御原宮などいくつかの宮殿が一帯に何度も建てられ、その一部は遺跡として重なっていると見られています。
明日香と飛鳥はどう違うかというと、明日香は地名で、飛鳥はそれより少し広い範囲を示す地域名とされ、国中(くんなか)の東南地域を指すとされます。
日本書紀では飛鳥、万葉では飛鳥(とぶとり・枕詞)明日香と書かれているそうです。
宮跡を復元したという石組みの向こうに、蘇我氏の邸宅があったといわれる甘橿丘が見えます。時の権力者蘇我氏一族は、天皇の宮殿を一望できるこの丘に住まいして、自らの権威を誇っていたことでしょう。
  
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2009年03月10日

明日香路早春① 






早春の明日香路を歩きました。
スタートは定番の石舞台です。蘇我馬子の墓ではないかといわれるこの古墳は、昔は自由に見学できましたが、いつのころから入園に300円要るようになっています。やむなく少し離れた高台から遠望することにしました。
菜の花畑越しに見る石舞台は、変な人工物が目立たないだけ、近くで見るよりも明日香の風景に溶け込んで見えました。
日本書紀に”大臣(馬子)薨せぬ。仍りて桃原墓(ももはらのはか)に葬る。”とあり、この地の古名がが上桃原、下桃原といわれていたことなどから、ここが馬子の墓であったことが有力視されています。石舞台のすぐ上には今も何本かの花桃が植えられていて、つぼみが大きく膨らんでいました。
  
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2009年03月07日

寒緋桜開花 






例によってソメイヨシノの開花予想競争が盛んです。大阪での開花予想は団体によって22日から28日までばらついているようで、近づくにつれて一つに収斂してゆくものと思われます。
その中で一足先に万博公園のカンヒザクラ:寒緋桜(バラ科サクラ属)が濃い緋色の花を開き始めました。台湾、中国南部原産の落葉小高木で琉球列島で野生化し、今では西日本各地で庭木として栽培されています。花期は早く沖縄では1月から、関東地方でも2~3月、1芽から2~3花を出して下向きに開きます。花弁はあまり開かず鐘形になるのが特徴で、散るときは花びらと雄蕊がひっついた形のまま落ちます。花には蜜が多くメジロがよく訪れます。
花が緋紅色をしているので緋寒桜といわれていましたが、彼岸桜と紛らわしいので最近では寒緋桜と呼ばれることが多くなっているようです。手元の図鑑でも古いのは緋寒桜、新しいのは寒緋桜となっていました。別名に台湾桜、緋桜があります。
  
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2009年03月05日

老幼交流  






3年前から、仲間が集まって、セフティーボランティアとして地域の小学校児童の登校時の見守り活動をしています。
昨日、児童会主催のボランティアに対するお礼の会が開かれました。
小学生とは思われない勇壮な和太鼓の演技などを鑑賞した後、児童手作りのかわいい感謝状を受け取りました。
毎朝元気な子供たちと会うことで元気をもらっている私たちのほうがお礼をいいたい気持ちです。
  
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