2008年10月30日
北陸に秋を訪ねて⑩:立山晩秋(2)

朝日は剣頂上から

明け行く大日岳

霜のガンコウラン

朝のミクリが池
天狗平の朝、今日も快晴です。
剣の頂に朝の光が射し始めたと見ると、程なく大日岳の峰も明るくあけてゆきます。
天狗小屋で早い朝食をとり、小屋の車で、室堂へ。草原は一面に霜が降りて、長い霜柱も見えます。
散策の人もまばらなミクリが池は、紺碧の水をたたえて静まり返っていました。
(明日から2日間休みます)
2008年10月29日
北陸に秋を訪ねて⑨:立山晩秋

草紅葉の弥陀ヶ原:後は大日岳

地獄谷の噴煙

小屋の窓から剣岳

富山湾に沈む夕日
午前中にトロッコ列車を済ませて、10月18日午後立山へ回りました。
天狗平の山小屋に予約を入れると、今は紅葉も終わり何もありませんよとの主人の話でしたが承知の上ですと申し込みました。
何回目かの立山で、3年前の10月2日は、紅葉真っ盛りでしたし、数年前は11月3日で一面雪景色でした。その中間ですから何もないのは当然です。
弥陀ヶ原へ降りたのは3時過ぎ、草紅葉の木道を散策して、天狗平に着いたのは5時前、あたりは斜陽に照らされています。
山荘の窓からは、お目当てだった剣岳の威容が望めます。気温が下がったのか、地獄谷の白い噴煙がまっすぐ高く昇って見えました。
投宿すぐに「夕日です」のアナウンス。カメラを構えて富山湾に沈む夕日を狙いましたが、上空は雲ひとつない快晴で夕焼けにもならず、太陽が沈んでゆくだけの単調な日没でがっかりでした。
2008年10月28日
北陸に秋を訪ねて⑧:黒部渓谷トロッコ列車

宇奈月温泉から見る山彦橋

朝の初発は工事関係者専用

手摺りのない橋は野猿専用

峡谷が狭ばまる猿飛峡(欅平)
旅の第一夜は宇奈月温泉、富山県最大の温泉郷も、黒部峡谷上流からの引き湯といいます。
個人旅行とて部屋食となりましたが、味の方はいまひとつでした。
翌朝1番トロッコで、終点欅平へ。少し色づき始めた黒部渓谷に沿って走るトロッコは、それなりのスリルと景観を楽しめますが、それよりもこの難所に、いくつものダムや発電所を建設してきた人々の執念が迫ってくる想いの、片道80分の車上でした。
終点欅平で約2時間散策して、往復運賃1人約4千円、高いか安いか評価が分かれるところですが、一度は行く価値のあるにしても、何回もリピートとなるといかがでしょうか。
2008年10月27日
北陸の秋を訪ねて⑦:大境洞窟住居跡


氷見海岸から見えるはずの立山連峰はあきらめましたが、同じ海岸にある大境洞窟住居跡は、事前の知識がなかっただけに、印象深いものでした。
灘浦海岸に面した縄文中期~近世にいたる洞窟の複合遺跡で、奥行35m、入り口の幅16m、高さ8m。波浪によってできた海食洞で第三紀鮮新世の石灰質岩盤。現在の床面は海面より約4m高くなっています。発掘は大正7年(1918)、洞窟内にある白山社改築の際、多数の人骨、獣骨、土器類などが出土したことから、本格的な調査が行われました。調査の結果、縄文中期から近世までの落盤によって、バームクーヘンのような上下6層の文化層が確認され、ことに弥生時代を中心に20体以上の人骨が発見されました。この発掘によって縄文文化と弥生文化の時間差が分かったほか、縄文期の大型石棒・石庖丁や、弥生人骨の抜歯の風習や顔面装飾(頭骨に赤い塗料のついたもの)が注目を集め、日本の考古学史上に残る遺跡として評価されています。
2008年10月26日
北陸の秋を訪ねて⑥:幻の海上の立山連峰

唐島越しに見えるはずの立山連峰を案内板で

氷見海岸虻島

雨晴海岸の義経岩(奥州落ちの途中の義経が雨宿りしたとか)
写真でよく見る、富山湾の海上に浮かぶ立山連峰の姿を、一度は自分で撮りたいというのが、長年の悲願でした。
海越しに3000m級の峰々を眺められるのは、能登半島国立公園でも、氷見海岸から高岡市の雨晴海岸にかけての一帯だけで、世界でも希少な景観といいます。
快晴のこの日、高岡二上山から氷見海岸へのドライブはいやがうえにも期待が高まりました。
海岸に着きましたが、立山の方向は霞か雲か何も見えません。地元の人に尋ねると、晴れだからといっていつでも見られるものではないとのこと。
あえなく、島越しならぬ、看板の中の立山連峰をカメラに収める仕儀となりました。
2008年10月25日
北陸の秋を訪ねて⑤ 家持の高岡二上山

二上山の家持像

蛇行する小矢部川

二上山を詠った長歌(万葉歴史館前)

万葉歴史館
天平18年(746)越中の守として、高岡の地に赴任した家持は、都では味わえない大自然の中で数々の秀歌を作ります。
天平勝宝2年(750)3月1日と翌2日、33歳の家持は
「春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ乙女」
「もののふの八十おとめらが汲みまがふ寺井の上の堅香子の花」(堅香子:カタクリ)
などと明るく詠います。名門大伴家の棟梁として、やりきれない気持ちを“悽惆(せいちゅう)の意、歌にあらずは撥ひ難し”と「春愁三首」に託したのは、これから僅か3年の後でした。
北陸の旅で、あまり人の行かない高岡をあえて訪ねたのは、家持が見た高岡の風物に触れたい思いからでした。
能越道を降りて、万葉ロードをたどると、家持が長歌で歌った二上山です。山中に家持の銅像がありますが、もとより想像上の家持像です。山上からは家持も見たであろう蛇行する小矢部川が見えます。山を降りると高岡市万葉歴史館はじめ、家持を顕彰するさまざまな施設などがあり、高岡市民にとって家持の存在が如何に大きいかをうかがわせます。
2008年10月24日
北陸の秋を訪ねて④ SA,PAを楽しむ:小矢部川SA

芭蕉句碑

小矢部市を望む
北陸道が富山県に入ると小矢部川SAがあります。
ここに芭蕉の「義仲の寝覚めの山か月悲し」の句碑があります。
源平の戦いが始まった直後、木曽義仲は越前今庄の燧山に陣を張り、日野川をせき止めて戦いますが、味方の寝返りに会い陣を引きます。
奥の細道の途中、北陸の旅で芭蕉は、この時の義仲の心情を想ってこの句を詠んだといわれます。
この句碑は、昔、芭蕉が何百日もかけて徒歩で歩いた北陸道も、今は車で簡単、快適に旅ができるという道路公団(当時)のアッピールの意味もあるようです。ちなみに義仲反攻のきっかけとなった加越国境倶利伽羅峠はこの小矢部川SAの近くにあります。
旅に病んで大坂の地で最後を迎えた芭蕉は、「義仲公のおそばに」と遺言し、義仲の墓がある大津市の義仲寺に葬られました。又玄の句「木曽殿と背中合わせの寒さかな」はよく知られています。
詳しくは分かりませんが、芭蕉は、何故か波乱、悲劇の朝日将軍の生涯に特別の思い入れを持っていたようです。
2008年10月23日
北陸の秋を訪ねて③ SA,PAを楽しむ:徳光PA


金沢市の手前、徳光PAは裏が松任海浜公園になっています。
ドライバーは使わないでしょうが、海釣り公園も見えます。
季節はずれのハマナスの花びらが、浜のそよ風に揺れていました。
2008年10月22日
北陸の秋を訪ねて②SA,PAを楽しむ:尼御前SA

尼御前の像

尼御前公園の断崖

北前船の里、加佐ノ岬方面
北陸道、安宅PAの手前に、尼御前SAがあります。いわくありげな名前なので立ち寄りますと、やはりでした。SAの裏に尼御前公園があり、海に面して海蝕された断崖になっています。
そこに建っている女性の像にこんな説明がありました。「その昔、都から逃れて奥州へ向かう義経一行が、途中この地まで来ました。従者の中にいた女の一人が、この先の安宅関の取締りが厳しいことを聞き、主君の手足纏いになることを憂い、この断崖から身を投じたという伝説があり、その名が尼御前であったので、この一帯を尼御前岬と呼ぶようになりました。」
かつての安宅関跡も海進が進み今は沖合いの海中とか、この伝説の断崖も当時のままとは考えられないところですが、あまり気にしないようにしましょう。
2008年10月21日
北陸の秋を訪ねて① SA,PAを楽しむ:杉津PA
17日~19日、北陸の秋を訪ねる旅をしました。行きたいところへ行くため、車を用い、久しぶりに約1,000kmの長距離ドライブとなりました。
旅の始まりは高速道です。途中のSA、PAも土地土地で楽しめる風物があり、たす用がなくてもなるべく立ち寄るようにしました。
敦賀の杉津PAは、眼下に敦賀湾、かなたに敦賀半島が望めます。無風快晴の静かな湾が快適なたびの予感を告げてくれます。
2008年10月16日
?の稲田

摂津峡桜公園から、下方を見ると、不思議な刈り方をした田圃が目に付きました。
方角と高さの関係でよく見えませんが、何かの判じ文字のようです。
しばらく考えていると、I ♡ y (I Love You)の意味だと分かりました
何ために、誰に、見せようとしているのか、また文字の形に刈り取ったのか、田植えのときから形を作っていたのかは分かりません。
単に見る人の首を傾げさせようとしただけのいたずらかもしれません。
ちゃんと刈り取りの時期を失わなければよいがと思わせる、気になる田圃でした。
(明日から4日ほど休みます)
2008年10月15日
東海道関宿




古い鍛冶屋の内部
草津田上ICからの新名神高速道路が開通し、名古屋方面へは名神より便利というので賑わっています。
旧東海道五十三次の内43番目の宿場町であった関宿もずいぶん近くなりました。
関は古代から、交通の要衝であり、古代三関のひとつ「鈴鹿関」が置かれていました。関の名もこの鈴鹿関に由来します。
旧東海道の宿場町のほとんどが旧態をとどめていない中にあって、唯一歴史的な町並みが残ることから、国の重要伝統的建造物郡保存地区に指定されています。
東西追分の間の1.8kmの間には、200軒ほどの古い町家が並び、殷賑を極めたという昔の宿場の雰囲気を感じさせてくれます。
2008年10月12日
釧路:秋色道東の旅 終



啄木の昔から釧路は北海道の旅情をそそる町のひとつです。
釧路川の河口付近は、釧路港となっており、フィッシャーマンズワーフ、魚河岸などが並びます。夜テント張りのろばた焼きが賑わっていました。
釧路川にかかる幣舞橋は、旅行者から見れば何の変哲もありませんが、紙幣が舞うというめでたい橋の名前、欄干にある春夏秋冬を表現する四体の女性像『四季の像』が異国の風情を醸し出しているとか、北海道三大名橋のひとつと称して、地元としては観光資源のひとつに挙げています。
早朝、魚河岸に沖獲りした鮭を積んだ漁船が並んで水揚げを待っています。クレーンで吊り上げられた鮭は、れぞれの仕向け先毎に手際よく選別され出荷されてゆきました。
2008年10月11日
奇景トドワラ:秋色道東の旅⑧



道東野付半島は、海流によって運ばれてきた砂が海流と地形によって弓状に堆積した砂嘴で、長さは28kmもあり、有名な天橋立の数倍の長さになります。
ここにナラワラ、トドワラといわれる奇観があります。
海水の浸入や強い北風のせいで、樹木が立ち枯れし白骨化している現象で、ミズナラの立ち枯れがナラワラ、トドマツのがトドワラといわれています。
立ち寄り時間50分に間に合わせるように、海辺の草原を走るように急いで、それらしい風景の見える木道まで辿り着きました。
そこはトドワラの入り口のようで、さほどの奇観とは思えませんでしたが、赤く色づいた天然記念物のアツケシソウ(厚岸草)に近づくことができたのは拾いものでした。
駐車場に帰って後ろを振りかえると、白く光る海面に、立ち枯れの木の黒い影が浮かんでいました。
2008年10月10日
晴れる裏摩周湖:秋色道東の旅⑦


今回の摩周湖は裏摩周展望台からです。中標津町と弟子屈町の境に位置するこの展望台は、まだあまり知られてなく、ルートも通常と異なるとあって、人出も少なく、静かに摩周湖を見下ろせるところですが、周囲の立ち木が邪魔をして一目で大パノラマといえないのが残念です。
夜来の雨と霧が晴れ上がって、霧に包まれた神秘の湖「摩周湖」のイメージこそありませんでしたが、切り立ったカルデラ壁で囲まれた深い摩周湖は、表からの展望に負けないものと見ました。
2008年10月09日
知床半島:秋色道東の旅⑥

オシンコシンの滝

知床五湖(一湖)と羅臼岳
2005年7月に世界自然遺産に登録された知床は、ツアーの目玉の筈でしたが、例によって定番のバスコースのロングドライブ、ショートストップでは、奥深いはずの知床の自然に触れるとまではゆかず、少々肩透かしにあった感じでした。
オシンコシンの滝は、よく知られた名前ほどのことはなく、知床五湖も、熊が出没するとかで、一湖のみの散策にとどまりました。
2008年10月08日
風蓮湖:秋色道東の旅⑤


根室半島の付け根にある風蓮湖は、面積は57.5kmの汽水湖で、タンチョウやハクチョウなど水鳥の飛来地として有名です。湖とそれにともなう湿原の重要性から、2005年にラムサール条が指定する湿原に指定されています。
対岸に3つの砂洲よりなる春国岱があり、巨木が生い茂っています。
前面ガラス張りの展望道の駅から眺めると、はるか遠くにタンチョウなのか白い鳥が認められます。湖面から、にわかにおびただしい数の水鳥が舞い上がり、近づく冬を感じさせる景色でした。
2008年10月07日
霧多布湿原:秋色道東の旅④

霧多布湿原と琵琶瀬川

窓岩
釧路から根室への途中に、霧多布湿原を観望する琵琶瀬展望台がりあります。
霧多布湿原は日本第三位の面積をもつ湿原で、「ラムサール条約登録湿地」とされ、国の天然記念物にも指定されています。その名のとおり霧がよくかかる湿原です。
琵琶瀬展望台は、霧多布湿原の南に位置する高台にあり、360度の視界が楽しめます。前方を見ると広大な霧多布湿原の中を琵琶瀬川が蛇行する大パノラマが展開し、振り返ると大平洋の荒々しい景観が待ち受けており、地元では国際級との観光スポットと自称しています。
海岸側からは奇岩のひとつ窓岩が望めます。何年か前までは二つの窓がありメガネのような形をしていましたが、平成5年と6年の大きな地震により、片側が崩れてしまったそうです。
霧で知られる霧多布でしたが、この日は雲ひとつない晴天で、360度の展望をほしいままにできました。
2008年10月06日
釧路湿原:秋色道東の旅③

「釧路湿原」は、紅白歌合戦で水森かおりが歌ったことで、道東を代表する風景として一段と人気が出ています。
昭和62年国内28番目の国立公園に指定された「釧路湿原」は、道東釧路川にそって展開する我が国最大の湿原で、海跡湖や周辺丘陵部を含む26,861haが国立公園区域となっており、我が国では例を見ない広大な水平的景観が広がり、原生的な植生、タンチョウをはじめとする各種の鳥類、昆虫など豊かな原自然が保存されています。
バスが立ち寄った北斗展望台からは、あいにく周囲の立ち木にさえぎられて、パンフレットにある“眼下に広がるサバンナ”のような風景とは行きません。やはりここは僅か15分のショートストップでは、その良さを感じ取ることは無理なようです。改めて一人でゆっくり訪れたいと思わせる釧路湿原でした。
2008年10月05日
近くて遠い北方領土:国後島:秋色道東の旅②

霞に浮かぶ国後島

秋めく羅臼岳
ツアーのコースと順序が異なりますが、昨日の歯舞諸島に続いて、今日は国後島です。
快晴の知床峠から、雲海を隔てて国後島の爺爺岳(1822m)が優美な裾を引いて、くっきり浮かんで見えます。緑のハイマツ越しに、すぐ前にあるような国後島が本当に外国なのか、なかなか実感が湧いてきません。
国後にばかり気をとられていて、ふと後を振り返ると、羅臼岳(1661m)が雄雄しく聳えていました。まさしく日本の山でした。

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