2008年08月02日

醤油と熊野古道の町:紀州湯浅 終






碑のある深専寺

昔の修身教科書の「稲むらの火」や、小泉八雲の「LIVINNG GOD]で有名な浜口五陵翁の功績が改めて見直されています。それは安政元年(1854)11月4日・5日(旧暦)連続発生した安政東海地震・安政南海地震のときのことで、舞台は湯浅の隣の広村(現広川町)での出来事でした。
翁は地震直後の海の様子に異変を感じ、高台にある自宅の稲むらに火を放ち、消火に駆けつけてきた村人を津波から守りました。
湯浅の町を歩いていると、ひとつの津波防災の石碑が目に付きました。
「大地震津なミ心え之記」と題されたこの石碑は、同じ安政の大地震(碑文では嘉永7年となっているが、この年は災厄が続いたため安政に改元され、その後安政の大地震といわれるようになった)で、津波で浜や川筋に逃げた人に多数死者が出たこと、150年遡る宝永の地震でも同じだったことを挙げ、大揺れがきたら、火の用心して、すぐにこの寺の前を通って東の天神山へ避難せよ。井戸の水が濁ったり、減ったりするのは地震の前兆だという俗説があるがそんな事実はない。などと具体的に、また仮名の多い平易な文章で庶民に警戒を呼びかけています。
奇しくも安政大地震から150年を経たいま、南海大地震が近いという話の中で、この生々とした碑文は、時代を超えて私たちにも訴えています。
  
Posted by むかご at 07:43Comments(0)TrackBack(0)