2008年07月20日

色っぽい地蔵さん 




阪急茨木市駅と市役所の中間点あたりの鉄道高架下にもお地蔵さんがいらっしゃいました。
花筒に昭和38年、北組町内会と刻まれています。阪急電車が高架になったのはずっと後のはずですから、線路脇などにあったお地蔵さんがここへ引っ越してきたものと思われます。
お顔の輪郭がきれいに縁取られ、赤い唇が鮮やかです。少々色っぽい感じのこのお地蔵さんに、真新しい花が供えられていました。
  
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2008年07月19日

新型地蔵さんの謎 




賽の河原で獄卒に責められる子供を地蔵さんが守るという民間信仰が道祖神信仰とも習合した地蔵さんは、昔からあちこちの道端に見られます。最近では地蔵さんや地蔵盆を通じて、希薄になりがちな地域の人々のコミュニケーションをはかるために新しい地蔵さんも生まれているといいます。
それかどうか、通勤の人や買い物客でにぎわう、高槻のランドマーク、アルプラザの北側に、新しいお地蔵さんが祀られています。
現代的な黒御影石の彫刻の上に、石の地蔵さんが鎮座まします。地蔵さんの唇には赤い紅がさされていて、西日本に多い化粧地蔵となっています。
銘版に「相生地蔵尊、2004年3月、相生町自治会」と刻まれています。高槻の住所を調べましたが相生町というのは見当たりませんでした。
急ぎ足の人にほとんど顧みられる事もないこの地蔵さん、どこのどなたかは知れませんが、施主さんの願いはあまり通じていないようです。
  
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2008年07月17日

芥川上流 


出灰:桜木橋から上流を見る


出灰川下流


芥川:空谷橋付近


高槻市を南北に貫いて流れる芥川は、もう少し北へ行けば亀岡という山中に発し、真北には田能川がありますが、水量と流域の大きさからいうと、高槻市北端の中畑地区(明神ケ岳麓)と、京都市西京区西端の小塩山麓に発する川が合流する出灰川が芥川の上流をなすといえます。
初夏には蛍が飛び交う出灰川を挟んで、今は京都市と高槻市に分かれた二つの出灰町があります。昭和33年の高槻市への編入で、取り残された形になった出灰川東南側の小学生は高槻の小学校へ通うという話を聞きました。
人間が引いた境界線などは知らぬげに、豊かな流れの出灰川は、府道出灰バス停付近で田能川と合流し、高槻市原で平地に出るまでは深い渓谷を刻んで流れ下ります。
  
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2008年07月16日

二料川:清流の行く末は? 






山荘の前を流れる二料川のほとりのアジサイはまだ色鮮やかで涼やかです。
高槻では数少ない北へ流れるこの二料川は、茨木市で安威川に合流し、いくつかの支流と合流しながら、摂津市を経て吹田市と東淀川の境界となって阪急相川駅西側で神埼川に流れ込み、大阪西淀川区で海に入ります。
この清らかな流れも、長い旅の末、いまやどぶ川となった神埼川の汚れにまみれることになります。
  
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2008年07月15日

二料山荘の魅力       








高槻市最北部にある二料山荘は、旧造り酒屋の大西家の酒蔵と母屋を改修し、宿泊や研修施設として利用されています。最近では地元の女性だけで運営されています。ここの千円の昼食はお値打ちと聞いて食べに行ってきました。注文を受けてからやおら作り始める感じのお膳は、地元の産品をふんだんに使っていて、女性のもつ細やかさがあふれています。
江戸時代末期の建築といわれる母屋を拝見しました。広々とした和室や茶室、こじんまりしたお庭があり、静かで上品なたたずまいです。家族やグループで予約すれば、雰囲気のあるこのお屋敷を一夜独占できる可能性があります。夏にかけてのお奨めのスポットです。
  
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2008年07月14日

高槻にたった2箇所の駐在さん 




交番は字のとおり、おまわりさんが交代で勤務しますが、駐在所は家族住み込みで地域の安全を守ります。
高槻に2箇所しかないというその駐在所のひとつが、樫田地区にあります。
開設されたのが明治20年4月1日、なんと初代内閣総理大臣に伊藤博文が就任した年とおなじといいますから驚きです。現在の駐在さんは初代から数えて58代目とか、地元でもあまり知られていないこの歴史を知ってもらおうと、地元の方が調べて、58代すべての駐在さんのお名前が所内に張り出されています。どこにでもある駐在さんにこんな歴史があるとは驚きでしたが、過去に遡ってお名前を調べた方がいること、またそれがすべて分かったことは更なる驚きです。このことは、いかにこの駐在さんが地元の方に親しまれてきたかを物語っています。
ちなみに2箇所ある高槻の駐在さんのもうひとつは、原地区で、市バス神峰山口下車左へ橋を渡った右側にあります。ここにも面白い話があるかもしれません。
  
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2008年07月13日

神宮寺:今に残る神仏習合の祭祀 




しばらく他所へ浮気しましたが、高槻へ帰ります。
高槻北部樫田地区にある神宮寺は、天台宗に属し、大日如来坐像を本尊とします。
創建の年月は不明ですが、鎌倉初期、当寺の北西約1kmのある樫船神社の宮寺として造営されたと考えられています。神社と宮寺の組み合わせは、仏が神の形になって衆生を救うという本地垂迹思想によって各地に生まれましたが、明治元年(1868)の、神仏分離令によって急速に廃れました。ところがここ田能地区では今もあちこちにその痕跡をとどめており、とくにこの神宮寺では、9月8日の護摩供養には、いまなお僧職と神職双方を招いて祭祀を執り行うといいます。地域に根ざす伝統信仰・文化の力を感じさせるお話です。
ところでこの神宮寺、見た目にはあまりにも粗末なプレハブ様の本堂で、歴史はともかく、写真で紹介するのを躊躇していましたが、昭和51年ゴルフ場開設で、移転する前はこれよりずっと粗末であったと聞き、安心して取り上げることにしました。
  
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2008年07月12日

楠公子別れ余話⑤ 正行生母:老いたる母の疑問


四条畷神社


妣神社


このシリーズの発端となった四条畷神社に戻ります。本殿の左にすこし小さい妣神社(みおやじんじゃ)が鎮座します。妣とは、いわずとしれた正成夫人で正行母堂久子のことで、1348年正行戦死後、敗鏡尼と称し河内甘南備の地に草庵(楠妣庵)を結び、一族郎党の菩提を弔い、16年間寂寥の年をすごしたと伝えられます。
ところで有名な唱歌「青葉茂れる」落合直文詩、奥山朝恭曲(この曲は当初学校生徒行軍歌"湊川“として発表されている)の第5節の末尾に”行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん“とあります。子別れのとき正行13歳、当時は若くして子を成すことを考えると、老いたる母とはいかにも可哀そうです。
楠公父子訣別は1336年、正行戦死1348年、その間13年、これに加えて16年生きたとすると合計約30年、子別れのときにすでに老いていたとなれば当時としてはすごい長寿になります。
語呂だけでできたような詩にはご用心です。
偶々見た四条畷神社の桜井子別れの像に始まったこのシリーズ、色々発見もあって自身で結構楽しめました。
  
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2008年07月11日

楠公子別れ余話④ 由来定かでない桜井子別れ 







続日本記に摂津国島上郡大原駅とあるのは、奈良時代より整備されてきた主要街道に設置された駅のひとつで、島本町の桜井の駅を指すものと考えられています。この前を通る西国街道は京と山陽道をつなぐ要路として古来栄えた街道ですが桜井の駅の実態についてはよくわかっていません。
太平記に、湊川の戦に臨む正成が、長子正行と別れたのが桜井の駅と記されてより、有名になった桜井の駅ですが、この地がその桜井の駅であったのかは確かでもなく、そもそも話のような子別れの場面が実際あったかも疑問です。仮に桜井の駅が此処としても、おそらく太平記の作者が、京都、湊川、河内の3点を結ぶこの地を想定して子別れの話をつくり上げたとしても不思議ではありません。
大正10年3月3日に、桜井駅跡ということで国史跡の指定がされていますが、(楠木正成伝説地)と括弧書きになっています。この辺が妥当なところでしょうか。
  
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2008年07月10日

楠公子別れ余話③ 英国公使と楠公の忠誠





桜井の駅にある3つ目の石碑は、南面にあるもので、一番古くて明治9年、時の大阪府権知事渡邊 昇の題書による「楠公訣児之處」です。
興味があるのは、裏面に刻まれた英国公使パークスの碑銘です。風化が進み判読が困難な箇所がありますが、“1336年、湊川の戦いを前に、この地で愛児正行と別れた、忠臣楠木正成を称えて”といった意味が読み取れます。
明治9年といえば、ご一新後も間も無くのころ、後の軍国主義時代のようには楠公が賛美されていたとは思われません。この話が英国公私の胸を打ったとすれば、死を決して合戦に赴く楠公に、かの国のノブレス オブリッジの精神を見たということでしょうか
  
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2008年07月09日

楠公子別れ余話② 陸海軍の巨頭が競作 


乃木大将書


東郷元帥書


JR新駅“島本町”ができて、東隣の史跡「桜井の駅」もきれいにはなりましたが、戦前戦中あれほど賛美された大楠公の”七生報国”もすっかり忘れ去られた今は、訪れる人影もまばらで、いくつかの立派な石碑だけが過ぎ去った時代を偲ばせています。
北に建つのは陸軍大将の乃木希典謹書の「楠公父子訣別乃所」、東に建つのは海軍元帥伯爵東郷平八郎謹書の明治天皇御製「子わかれの 松のしづくに袖ぬれて、むかしをしのふ さくらゐのさと」。裏面には「来山陽翁過桜井駅詩」が刻まれています。この狭い場所に陸軍と海軍を代表する2人が揮毫した石碑が建っているのは、当時この地が精神教育上それほどに大事に考えられていたのか、あるいは仲が悪かった陸軍と海軍が単に張り合っていただけなのか、今となってはそのあたりの消息を知るよしもありません。
  
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2008年07月08日

楠公子別れ余話


四条畷神社の像



本家桜井の駅の像


偶々参詣した四条畷神社境内に楠公子別れの像がありました。
はてなと首をかしげたのは、楠公子別れは四条畷ではなく、島本町の「桜井の駅」の筈だったからです。
不思議に思って物好きにも島本町の桜井の駅跡へ行ってみました。驚いたことに、そして当然ながら此処にも同じ石“の彫りこみがありました。
隣に島元町の資料館があり学芸員に尋ねると、しばしあって、資料を手に説明してくれました。それによると、桜井の駅の像は戦前に作られたセメント像で、傷みが激しいので、平成16年岸和田の篤志家が、新しいのを作って取り替えたそうです。そのとき同じものを合計4体つくり、桜井の駅のほか、四条畷神社、千早赤坂村、神戸湊川の楠公ゆかりの地に設置したというのです。
桜井の駅は、本家だけあって土台だけは”公爵近衛文麿”の揮毫が刻まれた昔のままの立派なものだというわけです。
内幕を聞けば納得できたものの、ちょっぴり像の値打ちが下がった想いでした。
  
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2008年07月07日

38年後、万博の今 




大阪万博EXPO70が終わって38年、延べ6000万人の観客で埋まった万博後の公園は、すっかり深い緑の森に包まれています。
会場後に植栽された木々は大木となり、鳥などが運んできた種から芽生えた若木も生長して、場所によっては、自然が作った森の様相を呈しています。
公園の北側にある阪大付属病院の14階から眺めた万博公園は、すっかり落ち着いて38年の歳月の長さを物語っているようです。

(写真は2枚を合成してワイドにしています)  
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2008年07月06日

清涼、川久保渓谷:高槻の奥座敷 




昨日、高槻北東部川久保渓谷を、植物観察をしながら歩きました。
ポンポン山(正しくは加茂勢山)、釈迦岳より発して、下流で水無瀬川となり、島本町で淀川に注ぐこの谷には、また美女谷という優雅な名もあります。
梅雨明けも近く町では猛暑となったこの日でも、渓谷沿いの木陰の道は涼しく、汗をかくこともない別天地でした。
  
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2008年07月05日

秘境・乗鞍五色ケ原 (おまけ) 番所大滝







秘境・乗鞍五色ケ原のレポートは、期せずして滝シリーズになってしまいました。
シリーズ中“たいさんぼく”さんより頂いたコメントに、最近は「滝ブーム」とありました。
五色ケ原の日の泊まりは、乗鞍岳の南へ回って乗鞍高原です。そこには層厚60mの溶岩から豪快に流れ落ちる水量豊かな番所大滝(ばんどころおおたき)がありました。
人里近いこの滝の近くには伝説の残る千間淵もあり、秘境の滝とはまた異なる趣のこの滝を、秘境・乗鞍五色ケ原シリーズのおまけとさせていただきます。
  
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2008年07月04日

秘境・乗鞍五色ケ原 (終) 植生 2008.7.4


ニリンソウ


ムラサキヤシオ


滝ばかりの紹介となりましたが、鳥や、虫や、小動物、もちろん植生も豊かな五色ケ原です。雪解けの跡には遅いニリンソウの群生があり、そこかしこにムラサキヤシオが新緑の森を彩っていました。
新緑の中、大自然を少人数で独占してのトレッキング、いささか高価なガイド料でしたが、それなりのことがあると満足の一日でした。

(五色ケ原に咲く花のいくつかを6月14日~23日の「むかごの日記」で取り上げています。こちらもご覧下さい)
  
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2008年07月03日

秘境・乗鞍五色ケ原⑥ 布引の滝 







4時半過ぎ、最後の滝、布引の滝を見下ろす場所に着きました。
あちこちにある布引の滝ですが、新緑と白樺の白い幹の間から眺めるここの布引の滝は、一日の山歩きの疲れを癒してくれるようでした。
終着点の出会小屋はすぐ近くです。
  
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