2008年07月12日
楠公子別れ余話⑤ 正行生母:老いたる母の疑問

四条畷神社

妣神社
このシリーズの発端となった四条畷神社に戻ります。本殿の左にすこし小さい妣神社(みおやじんじゃ)が鎮座します。妣とは、いわずとしれた正成夫人で正行母堂久子のことで、1348年正行戦死後、敗鏡尼と称し河内甘南備の地に草庵(楠妣庵)を結び、一族郎党の菩提を弔い、16年間寂寥の年をすごしたと伝えられます。
ところで有名な唱歌「青葉茂れる」落合直文詩、奥山朝恭曲(この曲は当初学校生徒行軍歌"湊川“として発表されている)の第5節の末尾に”行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん“とあります。子別れのとき正行13歳、当時は若くして子を成すことを考えると、老いたる母とはいかにも可哀そうです。
楠公父子訣別は1336年、正行戦死1348年、その間13年、これに加えて16年生きたとすると合計約30年、子別れのときにすでに老いていたとなれば当時としてはすごい長寿になります。
語呂だけでできたような詩にはご用心です。
偶々見た四条畷神社の桜井子別れの像に始まったこのシリーズ、色々発見もあって自身で結構楽しめました。



