2007年12月28日

いいお年を 




今年も残りわずかになりました。
今年の2月21日、何気なくブログ「むかごの高槻」を開設以来あっという間に10ケ月が経ちました。その間、留守にした日を除いて毎日投稿を継続することができたのも、皆様方から頂いた思いもかけぬ3万を超すアクセスに励まされてのことと感謝しています。
一貫したテーマを持たない散漫なブログになってしまいましたが、今後もあまり肩肘張らずに気軽に身辺雑記を綴って行きたいと思っています。引き続きご支援のほどをお願いします。
いつか芦屋川で出合った猪君とともに、これで亥年にお別れします。どちらさまも良いお年をお迎え下さい。
  
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2007年12月27日

八幡の流れ橋 





自転車は降りて渡りましょう


年末近いということもあり八幡市の「四季彩館」で本格的蕎麦うち体験をしてきました。すぐ裏に流れ橋がありました。
木津川に架かり八幡市と久御山町を結ぶ上津屋橋は全長356.5m、幅3.3m、木造の流れ橋としては日本最長です。
この橋は橋げたは橋脚に乗せられているだけで固定されず、水位が上昇するとそのまま浮いて流されるようになっています。橋を丈夫に作って流れないようにするのではなく、流されてしまおうという考え方で、洪水時に上流からの流失物が引っかかってダムを作り堤防が損壊するのを防ぐ効果もあります。
実際に昭和28年に建設以来15回以上も流されていますが、橋げたが下流に流されないように、分割してロープに結ばれています。
車が通らないこの橋をのんびり人や自転車が渡っています。珍しいのどかな風景です。
  
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2007年12月26日

朽木鯖街道③ 


旧造り酒屋



丸八百貨店


朽木鯖街道沿いにある古い建物は、伝統的なものも、当時はモダンだったものも、今となってはいずれも気取らない素朴さがあります。
旧い造り酒屋という建物は質素なトタン屋根のつくりです。
街角の丸八百貨店は、大正13年西洋建築にあこがれたオーナーが、田舎には珍しいモダンな建物を建て百貨店を開業しました。時代は移り廃業となったこの店を村が文化財として登録し、今では地元の婦人たちの手で、休憩や土産品など鯖街道の拠点として営業が復活しています。
朽木の鯖街道はあまり観光化していないありのままの旧街道です。
(鯖街道シリーズは万博イルミネーションで1日中断しました)
  
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2007年12月25日

万博公園でクリスマス気分 


夜の太陽


太陽と月


青い幻想


事故によるエキスポランドの長期休業でこのところ元気のない万博公園ですが、すこしでも活気を取り戻したいとの願いからでしょうか、「万博公園でクリスマス気分を」とクリスマスシーズンの週末夜、万博で初めてのライトアップが登場しました。
太陽の広場を舞台に約4万個の発光ダイオード(LED)などを使い光の世界を演出しました。ルミナリエなどにくらべて規模は大きいとはいえませんが、多数の入場者が夢幻的な夜を楽しんでいました
  
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2007年12月24日

朽木鯖街道② 







朽木鯖街道沿いには、今でも古い建物などが多く残っていてタイムスリップをしたような懐かしさを覚えます。
何の変哲もないような旧郵便局舎は、昭和13年建築で、有名なW.M.ヴォーリーズ(1880~1964 伝道師として来日、近江八幡を拠点に建築技師として多数の名建築を設計、メンソレタームの近江兄弟社を設立するほか教育家としても活躍)の設計といいます。あまりにも特徴のない形なので掲示をよく見ると“伝” ヴォーリーズ氏設計とありました。近江に住んだ著名なヴォーリーズ氏への憧憬の心が伝説を生んだのかも知れません。
郵便局の隣には、珍しい妻入り形式の萱葺き家がありました。いまも住む人がいる気配でした。
  
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2007年12月23日

朽木鯖街道① 







旧朽木村は滋賀県最西端に位置し、西は京都府、北は福井県に接し、東部は比良山地で、西部は安曇川の上・中流域を占めます。若狭国小浜と京を結ぶ近道で通称鯖街道が村を縦断しています。
昔は鯖を運んだかもしれない鯖街道ですが、多分当時なかったであろう鯖寿司の店がやたらと目立っています。
朽木はまた豊富な水に恵まれた村でもあります。中心部市場地区の街道の傍らには江戸時代に整備されたという用水路がみられます。村人はここで洗い物をし、夏には打ち水に、冬は融雪に、防火用水にも用いたそうです。また西方山腹の湧水を樋で導水しサイフォンの原理で各戸に送るための「立樋」が設けられ今も残っています。
  
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2007年12月22日

早や積雪、比良山系 


「朽木生き物ふれあいの里」から望む蛇谷ケ峰




安曇川を隔てて望む蛇谷ケ峰


19日、所用もあり滋賀県旧朽木村(現高島市)を訪れました。
比良山地の北端近くに位置する朽木村は、古い歴史と豊かな自然に恵まれたところです。
村の中心部から安曇川を隔てて望む蛇谷ケ峰(901m)の頂上付近は早くも雪化粧です。
ふもとの「朽木生き物ふれあいの里」から登り始めたのが既に午後2時過ぎ、散り敷いた様ざまな落ち葉の形を楽しみながらカツラの谷まで往復3時間足らずの快いウォーキングを楽しみました
  
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2007年12月21日

フェノロサの墓・法明院 





山内にあるフェノロサの墓


境内から望む琵琶湖


法明院は、三井寺(園城寺)山内唯一の律院として、享保八年(1723)に義瑞律師性慶によって開かれました。書院前面の緩傾斜地には、琵琶湖を見下ろすように池泉廻遊式の借景庭園が営まれています。その規模は山内の庭園の中では最大で、山中から発する清水を引いて造った長方形の池を中心に、芝庭が広がっています。
ここは明治の日本美術の研究・収集家だったフェノロサの墓があることでも知られています。
彼は「正倉院御物調査の政府委員」という肩書きを持つて、明治15年(1882)、奈良の法隆寺で800年余秘仏であった夢殿の救世観音を開帳させたことで有名です。
法明院の景色を愛したフェノロサは、ここで得度受戒し、法名諦信として仏に帰依し、没後遺言によりこの地に葬られました。
境内から望む琵琶湖の景色は建造物が林立し、フェノロサの時代とは大きく異なっています。今これを見たとき、なお彼を魅了するだけのものがあるだろうかと考えてしまいました。
  
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2007年12月20日

近江神社はもうお正月 




西大津にある近江神宮は、大津に都を定められた天智天皇をご祭神とします。
この地で漏刻(水時計)を設置して時刻制度を開始したことから時の神様としても知られています。
また小倉百人一首の巻頭を飾る「秋の田の かりほの盧のとまをあらみ 我ころも手は露にぬれつゝ」が天智天皇の御製であるところから、毎年正月に近江神社で行われるかるた開きの儀や、かるた名人位、クィーン位決定戦選も有名です。
朱塗りの楼門には早くも門松がしつらえられて正月気分が漂っていました。
  
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2007年12月19日

社寺林に生きる自然 







近江神宮の参道と脇参道です。
参道の両側にイチイガシの大木が茂っています。イチイガシはカシの仲間のうちでも暖地に生える種類で、滋賀や奈良あたりが北限とされています。
ふつうカシ類のドングリはそのままでは渋みがあって食べられないのですが、イチイガシはなんとか食べられるので、古代の遺跡からも食用にされた形跡が出るそうです。
各地にある社寺林は、自然のままの樹林が残っている点で貴重な自然遺産となっています。
  
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2007年12月18日

ポンポン山への道 




高槻本山寺からポンポン山への道をとるとまもなく近郊では珍しいモミやアカガシの大木が茂る自然林が続きます。
途中に高槻の古木に指定された杉の大木があり、注連縄が張られていて、根元には小さな祠がありました。
今でこそ東海道自然歩道として整備されている登山道ですが、いつのことかこの道を通う村人がこの杉に神性を感じてお祀りをしたのでしょう。
  
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2007年12月17日

本山寺への道 







日本三大毘沙門天の北山本山寺へは、今では高槻摂津峡から続く整備された東海道自然歩道を経て到るのが普通ですが、開祖といわれる役行者が通ったといわれる旧道は、今では山仕事の地元の人かわずかなハイカーだけが通る道になっています。
登山口の原地区にある「従是三十町本山寺」と、途中にある「神峰山寺道」の道標が、往時の往還を偲ばせています。
「神峰山道」の道標に沿って歩いた人の話では、神峰山寺へは辿りついたものの、金網に遮られて寺へは入れなかったといいます。
  
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2007年12月16日

さびもみじ 


家の窓から見える雑木林がきれいに色づいています。
朝日を浴びたコナラ、クヌギ、アベマキなどの雑木が黄褐色に染まって、地味ですが楓などの紅葉、黄葉とはまた異なる美しさを見せています。
いつぞや山を歩いているとき、先輩から雑木林の黄葉を指して“さびもみじ”というと教わりました。
寂び紅葉なのか錆紅葉なのか聞きのがしたのですが、どちらであってもぴったりの語感なので、あえて確かめるまでもないと思っています。
  
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2007年12月15日

ポンポン山に初雪 


頂上から亀岡方面を望む。右に雪雲に覆われた愛宕山


昨14日、川久保からポンポン山へ登りました。
頂上近くでにわかに降り出しました。時雨にしては音が大きいと思ったら霰でした。今年経験した初雪です。頂上から亀岡盆地や能勢の山並みを眺めると低い雪雲が垂れ込めていました。
ハイカーに人気のポンポン山は俗称で、正しくは加茂瀬山といいます。頂上で足を踏み鳴らすと本当にポンポンと響く音がするので、今ではポンポン山のほうが通りがよくなっています。標高も678.9mと一気通貫で覚えやすい数字です。
最近頂上付近の木が伐られて、京都市街、亀岡盆地、高槻市、能勢方面と展望こそよくなりましたが、付近の自然の植栽が失われて少し残念な気持ちです。
  
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2007年12月14日

初冬の甘南備山へ⑥ 生活環境保全林 







甘南備山一帯は、京都府の山城広域振興局の薪甘南備山生活環境保全林として整備され、自然豊かな公園となっています。
園内には展望台、修景池、東屋などがつくられ、植栽された花木も成長していて人工的な部分もありますが、自然林も残っていて、都市近郊で林内のコースを散策しながら自然を満喫できるのが甘南備山の魅力といえるでしょう。
初冬の一日、歴史と自然に恵まれた甘南備山の楽しいハイキングでした。
  
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2007年12月13日

初冬の甘南備山へ⑤ 神南備神社と展望台 





神南備神社




展望台から


甘南備山の頂上近くに神南備神社があります。
古代から神の依りつく山として信仰を集めたこの山に鎮座する神南備神社は、延喜式では山の名のとおり甘南備神社とされていました。天照大神ほか四柱を祭神としますが、薪神社と同じくたたずまいは質素なものです。
すぐ近くの展望台からは、東南方向に木津川を挟んで京田辺市街、城陽、宇治、奈良方面が望まれます。
  
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2007年12月12日

初冬の甘南備山へ④ 


薪神社の右脇から裏道へたどると程なくのどかな田園風景が広がり、甘南備山が望まれます。標高217.5mの小高い山ですが、古代より神の依りつく山として信仰の対象となり、平安宮造営の際には朱雀大路を作る目印にされたともいわれています。
高速道路や新興住宅街もさほど遠くないのに、都市近郊ではあまり見られなくなったリンドウ、ワレモコウ、ツリガネニンジンなどが道端に枯れ残っていて、あたりにはまだ豊かな自然が残っていました。
  
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2007年12月11日

初冬の甘南備山へ③ 薪神社 



一休寺を過ぎて程なく、甘南備山のとっかかり近く、京田辺市薪地区に能楽発祥の地といわれる薪神社があります。境内に「能は薪能即ち金春流に始まり、次に宝生能、観世流は大住に、金剛能は大和に発祥」とする碑があります。近くの一休寺(昨日記事)の山門前に薪能金春禅竹が一休禅師に猿楽の能を演じた薪能金春芝跡が残っています。
金春能の発祥の地にしては、たたずまいはいかにも村のお社という感じで、今日も近くの農婦が鈴にかける布の修理をしている姿が見えるだけでした。
奈良市奈良坂に奈良豆比古神社というのがあって、文化財に指定されている古い能面が多数保存されており、ここでいまも奉納される翁舞こそが能楽の原点であるといわれています。
それにくらべて、この薪神社は発祥の地の碑以外には能に関係するような気配はまったくないのはどうしてだろうかと首をかしげたことでした。
  
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2007年12月10日

初冬の甘南備山へ② 酬恩庵一休寺







JR京田辺駅から約1km、一休禅師ゆかりの酬恩庵一休寺があります。兵火によって失われた妙勝禅寺を康正2年(1456年)一休が再興しました。一休はここで後半の生涯を送り、81歳で大徳寺の住職となったのちもこの寺から通ったといいます。禅師は文明13年(1481年)88歳で入寂し、御廟所に葬られました。
この寺を建てた臨済宗の高僧大応国師を敬慕してやまなかった一休は、荒廃したこの寺を再建することで法祖に報いると考えたことから、酬恩庵の名がついています。
山門近くの石碑には「諸悪莫作 衆禅奉行」(諸の悪をなす莫れ 衆の善を奉行せよ)の一休和尚の書になる七仏通戒の偈が彫られています。
この寺の精進料理や、お土産の一休寺納豆も人気です。
頓知の一休さんのイメージ遠い堂々とした伽藍、参道脇の楓が陽に照らされて、紅葉の名残りを留めていました。
  
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2007年12月09日

初冬の甘南備山へ① 棚倉孫神社




初冬の1日、京田辺市の甘南備山を歩きました。古代から名の通ったこの山は、標高こそわずか217.5mですが、山城地域のどこからでもよく見える位置にあり、様々な歴史に彩られた一角でもあります。
JR京田辺駅から歩いてすぐのところに棚倉孫(たなくらひこ)神社が鎮座します。
甘南備山の山裾に位置するこのお社は、天香古山命を祭神とする延喜式の大社です。
棚倉の名は、昔この地方は渡来人が多く、養蚕が盛んだったので、棚倉とは蚕棚の小屋のことで、養蚕に関連する神様だったのではないかとされています。
  
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