2007年10月31日
神秘の池 夜叉ケ池 ① 登山口

岐阜県との県境に近い福井県南端の夜叉ケ池(1099m)は、昔から池に棲む竜神に絡むいくつかの雨乞い伝説や、映画化もされた泉鏡花の妖艶な怪異譚「夜叉ケ池」でもよく知られる神秘的な池として、季節を問わず多くのハイカーが訪れます。北陸道今庄ICから約30分、車を降りると登山口があります。
登山入り口が伝説の夜叉龍を祀る神社の鳥居にもなっており、広場の片隅に見事な桂の巨木があります。
世界中でここ夜叉ケ池だけに住むという国内希少動植物に指定のヤシャゲンゴロウをはじめとし、残された自然を守るために雨の中ボランチアの村人たちが保護を訴えるチラシを配っていました。
2007年10月30日
石清水八幡宮③ 昔松花堂はここでした

男山八幡宮を下って東へ30分ほど歩くと松花堂庭園があります。
もともとは石清水八幡宮の社僧で、文化人として知られた松花堂昭乗ゆかりの地とされており、有名な吉兆(いま問題になっている著名な料亭)の松花堂弁当をいただけることでも知られています。(松花堂弁当は、吉兆の創業者湯木貞一氏が、松花堂昭乗愛用の4つに仕切られた道具箱を、弁当箱に使ったことが始まりです)
男山八幡宮には明治の廃仏毀釈まで僧坊が数多くあり、今でも参道脇の石積みの屋敷跡が多数残っています。昭乗がその一部に小さい方丈を建てたのが松花堂で、その遺構は同じ八幡市の女郎花町に移され現在の松花堂庭園の一部をなしています。松花堂跡は、八幡宮の裏参道の脇にあり、わずかに「史跡 松花堂およびその遺跡」の石碑が建っているだけで荒れ果てています。
この日は月曜日で松花堂庭園はお休み、諦めて八幡宮門前の茶屋で名物走井餅をと思いましたがここもお休み。がっかりしているとき、ちょうど主人が外出から帰ったので、交渉して店を開けてもらい、貸し切りでお薄とお餅を頂いて帰りました。
2007年10月29日
石清水八幡宮② 石清水のいわれ

いまも水が湧き出ている男山の中腹にある石清水。傍らに摂社石清水社が鎮座する
男山八幡宮は、別名石清水八幡宮といわれます。「石清水」は、現在石清水八幡宮の摂社で、もともとここに鎮座していた石清水社に由来します。
男山は3角点の鳩ケ峰で142.5mの小高い山ですが、中腹に石清水社が祭られる「石清水」と近くに「竹生水」と2箇所の井戸があり、今も湧き水をたたえています。京都の地下に溜まっているといわれる巨大な地下水や、小椋池など三川合流の遊水地などの水が複雑な岩盤地形で男山全体が水を含んだ状態になっているのではないかと考えられています。
独立した山の上部に水が湧き出る不思議さに神霊を感じたのが八幡様の起こりとなったのはごく自然なことだったのでしょう。
2007年10月28日
石清水八幡宮①

七五三参りも見える八幡宮本殿

特徴ある信長塀
仲間と京都府歴史的自然環境保全地域に指定されている男山へ観察に行きました。
八幡市にある石清水八幡宮は、平安初期(859年)に僧行教が神託を受けたのを受け、翌年清和天皇の命により創建され、京都の裏鬼門を守る王城守護の神、王権、水運の神として朝廷より厚い信仰を受け、天皇、上皇、法皇などの行幸啓は250余を数えるほか、源氏をはじめ諸武家から武神、弓矢、必勝の神として崇敬されてきました。
11月も近いこの日、お宮参りや、早々と七五三参り人たちもみえて、境内はおめでたい空気に包まれていました。
境内の周囲の壁は、信長塀といわれ、永禄3年(1560)織田信長が桶狭間出陣の時、熱田神宮に必勝祈願をしてみごと大勝し、そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)と同じつくりになっています。
2007年10月27日
北淡震災記念館

トレンチから見る断層地質

左:隆起した逆断層は10kmも続いていた 右:隆起した断層は右へ1.2mずれた
淡路島淡路市(旧北淡町)に阪神・淡路大震災で生じた「野島断層」を当時そのまま保存した北淡震災記念公園があります。地震で生じた野島断層による様々な地表や、地層の変化の様子をそのまま見学することができ、自然の破壊力の大きさにいまさらながら驚かされます。
震災体験館では約40秒間、震度7の揺れを体感することができます。心の準備ができていることや、実際には生じる縦揺れがないことなどで、恐怖感は薄れるとはいうものの、不意にこの揺れがきたらおそらく這い出ることも困難ではないかと思わせる激しいものでした。
2007年10月26日
鳴門海峡「渦の道」

あるグループで淡路島へのバスツアーに出かけました。
淡路島を突っきり大鳴門橋を渡ると徳島県、橋の車道下に、大鳴門橋遊歩道「渦の道」が設けられ、入場料500円で、橋の上から鳴門海峡の渦潮を見ることができます。
橋の構造物が邪魔になり、観潮船の上からに比べ、思い通りには写真は撮れませんでしたが、ほぼ大潮の海峡はさすがに迫力ある渦の流れでした。
鳴門海峡を眼下に見る料亭で金6千円也の鯛尽くしの昼食をとりました。結構なものでしたが、海峡の急流で揉まれた天然鯛だったか、あるいは養殖ものだったのか、味音痴のむかごには判別は無理でした。
2007年10月25日
信州秘境の旅 終 志賀高原

秋山郷の紅葉は例年より2週間も遅れていてがっかりでしたが、切明温泉から奥志賀林道を経て、志賀高原の蓮池までの1時間半ほどの車窓は見事なまでの全山紅葉で、すっかり機嫌を直しました。
残念ながら車窓のみの見物でしたが、いつか再訪して気の済むまで写真を撮りたいと思ったことでした。
2007年10月24日
信州秘境の旅 ④ 秋山郷

上左:秋山郷前倉橋 上右:中津川渓谷(信濃川支流)
下左:秋山郷最奥部落(車窓)下右:切明温泉の河原風呂
今回のツアーの目玉、信州最後の秘境と触れ込みの秋山郷は、信濃川の支流中津川沿いに点在する集落で、越後七集落、信濃五集落からなる、平家落人の里といわれる山深い里です。
鳥甲山(2038m)の山懐にひっそりと静まるこの隠れ里も、折からの秘境ブームで、マイクロバスしか通れない細くて長い山道もものかは、大勢の観光客で賑わっていました。
旅行パンフの見事な紅葉の写真に惹かれての秘境の旅でしたが、例年にない紅葉の遅れがなんとも残念でした。
2007年10月23日
信州秘境の旅③ 龍ケ窪水源

新潟県津南町は、信濃川流域の日本有数の河岸段丘地で知られ、山の上に広々とした耕地が広がっていて驚かされます。
ここにある龍ケ窪は日本名水百選にも選ばれている水源で、毎分30トンの湧き水があり、沼の水は一日で入れ替わるというきれいさです。
際までは近づけませんでしたが、ブナの古木にかこまれた龍ケ窪の沼は濃い緑に静まり返っていました。
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2007年10月22日
信州秘境の旅② 野沢温泉

信州秘境のたびのベースキャンプは野沢温泉です。ここはスキーリゾートしても有名です。
野沢温泉は古く鎌倉中期文永9年(1272)の記録にも出る古い温泉で、“麻釜”(おがま)と呼ばれる泉源は、釜漂(熱湯のたぎる淵)ともいわれてきました。
麻釜は毎分500Lの湧出量を誇り、6個の湧出口から90数°~71°の異なる温度の湯がわきだし、茹でものなど住民の料理にも使われています。この朝も温泉卵が茹でられていました。
ここでは13ある外湯めぐりが人気です。ツアー客のなかには一夜で6つも廻った温泉好きがいたのには驚きました。
2007年10月21日
信州秘境の旅① 滝

上:雷滝、別名裏見の滝。左下:八滝 (松川渓谷)
右下:蛇淵の滝(秋山郷)
先週末、“信州最後の秘境秋山郷と紅葉の松川渓谷、外湯の野沢温泉”との触れ込みのバスツアーに参加しました。長かった今年の夏のせいでお目当ての紅葉には2週間ほども早く残念でしたが、“秘境“の景観はベストシーズンにもう一度訪れたいと思わせるものがありました。
いくつかの滝を見ました。松川渓谷の雷滝(別名裏見の滝)、八滝、秋山郷の蛇淵の滝などです。紅葉がもっと進めばなお見事だと思いますがそれなりのものがありました。
2007年10月18日
創造する公園:丹後海と星の見える公園

大阪のNPO法人シニア自然大学が主催する丹後自然塾という2泊3日のイベントにスタッフとして参加してきました。
その地の豊かな自然や人や歴史や産業に触れて身も心もレフレッシュし、自分を見つめなおすきっかけにしようとするのがコンセプトです。
この塾の基地になったのが京都府立「丹後海と星の見える公園」です。バブル時代、大規模リゾート地として取得された未開発の広大な土地が、バブル崩壊後、自然と共生する公園、みんなで創造する公園として甦ろうとしています。
私たちも、野炉の築造、森林鉄道の敷設、四阿建設などの作業に従事し汗を流しました。来年来るときにはどんなものが出来上がっているのか楽しみなことです。
(お断り:明日、明後日休載します)
2007年10月17日
藤布:伝統民俗工芸を守り継ぐ

藤織は早春の材料伐りに始まりアク炊き(写真左上)などいくつもの工程を経て、機にかけるのは
翌年の春になるとか
上世屋(昨日の記事)を通りかかるとき運よく藤布織保存会の講習会を見学する機会に恵まれました。
藤布は山野に自生する藤の樹皮の繊維を加工して布に織り上げたもので、非常に丈夫で、万葉の昔から庶民の衣料として用いられてきました。江戸中期より木綿の普及により急速に廃れ、ここ丹後半島世屋部落にわずかに伝えられてきた藤織りも、いまでは技術伝承の危機に瀕しています。
講習会はこの技術を守ろうと地元の有志が立ち上げた保存会が主催するもので、全国から受講生が集まって来るといいます。
かつて貧しい農家の主婦が自家用に手間暇をかけて織り上げた藤布は、衣類、畳の縁などに用いられる庶民が使う質素な布でしたが、織る人もいなくなった今では希少な伝統民俗工芸品として価値が高く、茶室の座布団などに重用されているそうです。
2007年10月16日
消え行く原風景

あるイベントで丹後半島で何日かを過ごしてきました。
この地域は、この8月「丹後天橋立大江山国定公園」に指定されたばかりで、海岸、丹後半島中央部の高原景観、大江山山稜部を中心とする山岳景観からなる変化に富んだ公園となっています。
上世屋地区は昔話しに出てくるようなメルヘン的農村風景で知られています。しかしここでも過疎と高齢化がすすみ、部落消滅の恐れが現実となっています。
それでもこの地で、宮津市内の醸造元が原料になる無農薬米作りをしたり、京都の大学生がボランチアで農作業をするなど、荒廃がすすむ里田、里山を守る活動をおこなっています。
2007年10月11日
野見神社の宵宮風景

野見神社の宵宮風景。小染さんなど上方芸能人が来演
(高名なT先生の顔も)
10月7日は高槻野見神社秋祭りの宵宮でした。
祭礼の提灯が下がり、神事のほか演芸大会や信者によるおでんの店も出ていたりして結構賑わっていました。
しかしメインの湯神楽奉納は公開されたのは今年が初めてだとかで、認知度も高くないのか、正月のえべっさんほどの人出はありませんでした。
この湯神楽が来年以降も公開されるならばこの宵宮ももっと盛んになることでしょう。
(お断り:明日から数日間休載します)
2007年10月10日
高槻城主を祀る永井神社

13代220年にわたり高槻藩主であった永井氏の初代藩主、直清(1583~1671)は、将軍秀忠の小姓役から始まる4千3百石の旗本家でしたが、43歳で山城勝竜寺城主となり、各地の建築工事で工事奉行としての彼の才能が発揮され、59歳で高槻城主に来任したときは3万6千石。幕府に重んじられて大阪城代も努めました。
野見神社の攝社としてその境内にある永井神社は、9代藩主直進(なおのぶ)が、初代直清を祭神として勧請創建しました。嘉永元年(1848)11代直輝が造立した拝殿と唐門は、東照宮を倣ったものとして市の有形文化財に指定されています。
2007年10月09日
湯神楽の夜

右上: 野見神社本殿
左下: 高槻戎神社 右下: 護国神社
7日夜、高槻野見神社で秋祭り宵宮の湯神楽が奉納されました(昨日の記事)。
野見神社は、野見宿弥(のみのすくね)とスサノオノミコトを祭神とし、もとは上宮天満宮付近にあった式内社・濃身(のみ)神社が移ってきたものとみられています。
境内には野見神社の本殿のほか、高槻藩主初代永井直清を祀る永井神社や、えべっさんの祭りが盛んな高槻戎神社、ほかに護国神社もあります。
宵宮の提灯はこれら摂社の軒先にも等しく掲げられていました。
2007年10月08日
野見神社の湯神楽

左上:まず本殿で神楽舞奉納 右上:神輿の前に準備された祭壇と釜
左下:釜にお神酒を注ぐ 右下:釜に差し水をする
昨夜、高槻市野見神社の秋祭り宵宮で湯神楽が奉納されました。
隣町の水無瀬神宮の湯神楽は有名ですが、ここ野見神社での湯神楽は今回が初めてだそうです。
本殿で剣と扇をつかった神楽舞が奉納された後、かがり火が燃える境内で湯神楽が始まりました。
きりりとした白装束の巫女さんが、しつらえられた2つの釜に、清めの塩、お神酒、差し水などを入れてかき回します。やがて笹の葉の束を熱湯に浸したと見るや、パッと引き上げて鋭く振り上げ振り下ろすと、白い湯気とともに熱湯の滴が飛び散ります。
この湯の滴がかかると無病息災の願いがかなうといわれます。
本家の水無瀬では昼間の奉納だそうですが、白い湯気と滴が闇に浮きあがって、厳粛なうちにも幻想的なこの夜の湯神楽は参詣者を魅了していました。

クライマックス:飛び散る熱湯




