2007年09月20日
安満遺跡

高槻八丁畷町の京大農場内に安満遺跡があります。
昭和3年京大付属農場建設の際に発見され、出土した土器などから、北九州で始まった弥生文化と稲作がいち早く畿内に伝わったことが明らかになりました。
東西1200m、南北300mの環濠集落跡で、環濠の南には井堰があって水田がひろがり、東と西は墓地で、とくに東には周溝墓といわれる溝で囲まれた墓が100基以上もあったことがわかりました。
昭和41年からの調査では、木製農具をはじめ多数の木器、石器、土器、金属器が出土し、中でも重厚なつくりの木棺は他に例がないなど、弥生時代の集落、生産地、墓が一定の範囲で良好な状態で残っていることがわかり、平成5年国の史跡に指定された貴重な遺跡です。
平成9年に「青龍3年」の銘がある銅鏡が発見されて話題を呼んだ安満宮山古墳は、この遺跡の北方安満山の中腹にあり、ここ安満に拠点をおいた豪族が被葬されたと考えられています。
安満遺跡は、いま、金網で囲まれて運動場のように広がっています。



