2007年09月08日
戦争の愚かさ:タチソ地下壕跡

高槻の史跡というにはあまりにもおろかで悲しい思いをさせるのがこのタ・チ・ソ(高槻地下倉庫)跡です。
太平洋戦争末期、米軍の本土空襲が激しくなり、軍は、国鉄のトンネル会社を引っ張ってきて、硬い岩盤層でできた高槻市成合北部の山を掘ってトンネルを作り、ここに今のJT生命誌研究館のところにあった航空機関係の工場を移設しようとしました。
この工事には多くの地元民、学生などが徴用されたほか、強制連行された多数の朝鮮人が危険な現場に投入され、多くの犠牲者が出たと伝えられています。
一部工作機械の搬入などをしたものの、結局完成を見ぬ前に終戦になりました。
戦後、長いあいだ地下壕の残骸をさらしていて、一時は反戦、平和運動のシンボルとして市内の小学生の見学対象になったりしていましたが、今では立ち入り禁止になり、入り口付近の一角に記念碑が立てられて往時を偲ばせています。




