2007年07月31日

遠い富士 


7月24日、まだ梅雨明け宣言が出ない信州霧が峰は、雲ひとつない快晴でした。
展望台から遠近の山々がきれいに見渡せます。
左に八ヶ岳連峰に裾野、右に南アルプス連峰、あいだに富士山が浮かんでいます。遠いはずの富士山もこの日は思いがけぬ近さに感じました。
  
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2007年07月30日

白樺の夏 


5月初めはまだ新芽がふきだしたばかりの、信州八千穂高原の白樺林は、先日再訪したときはすっかり夏の景色でした。深い緑のなかに、白い木肌がまぶしいくらいです。
白樺はパイオニアツリーともいわれ、地崩れ、山火事、あるいは廃村などの跡に一斉に芽ばえて真っ先に成長するので、取って代わる樹木が大きくなるまでの期間、樹齢が揃ったきれいな美林が成立する例が多くあります。材として劣るため伐採利用されることも少ないぶんだけ、此処のように観光資源としてお役に立っている場合も見られるようです。
  
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2007年07月29日

地域の夏祭り


昨夜自治会主催の夏祭りが行われました。
約800世帯という大きさに加えて、地元の保育園児の踊り、中学生のブラスバンド、高校生の和太鼓の協賛出演もあって、自治会の域外からの客も多く、盛大なものでした。
自治会を中心にした地元の人々による手作りのこの夏祭り、子供たちを含めて地域の人のつながりを強めて年々盛んになってきているようです。
あいにく途中でにわか雨があり一時水を差されましたが、時間まで賑わいは続いていました。
  
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2007年07月27日

霧が峰のニッコウキスゲ


24日、信州霧が峰へニッコウキスゲを見に訪れました。
遅れている梅雨明けが心配でしたが、この日は地元の人も7月に入って初めてというすばらしい快晴でした。
好天に加えて花の見ごろとあって霧が峰のビーナスラインは車のラッシュ。駐車場に入れない車が道路に連なり大渋滞です。やむを得ず仲間を降ろして、花満開の車山から八島湿原へのトレッキングに送り出し、ドライバー2人は渋滞の道を落ち合い場所までのノロノロ運転となりました。
風景の写真はいずれも渋滞する車の中からか、車外に出て急いで撮ったものですが、それでも草原一面に咲くニッコウキスゲを充分に楽しむことができました。

  
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2007年07月23日

京の夏 ⑥ なんしてはんのどすやろ 


四条大橋東詰めを鴨川沿いに北へすこし、吉井勇の「かにかくに・・・」の歌碑を東へ入ると祇園白川があります。川岸のすだれのかかった茶屋、早春の梅、春の枝垂れ桜、夏の柳と、代表的な京都の撮影スポットです。
雨で水嵩の増した白川の流れの中にアオサギが立っています。小首を茶屋にむけて何かを覗き込んでいる様子です。
きっと祇園祭で賑わう茶屋が気になっているのでしょう。
この記事のタイトルは、ある京言葉を守るグループのメンバーに教えを請いました。即座に10を超える言い回しを挙げてくれました。むつかしいものです。

これで京の夏シリーズを終わります。都合により明日より4日間ほど休載します。
  
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2007年07月22日

京の夏 ⑤ にわか雨 


宵山の午後、天気予報になかったにわか雨に、傘を持つ人も持たない人も大慌てです。
祇園一力から茶席帰りと思われるご婦人が出てきました。
せっかくのおべべが雨に濡れそうです。
すこし裾をからげて足早に急ぎ去りました。
京の街角はにわか雨がそのまま絵になる風景です。
  
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2007年07月21日

京の夏 ④ 菊水鉾 2007.7.20


祇園祭山鉾巡行のハイライトはなんといっても辻回しです。交差点の真ん中辺で、青竹を敷いた上で、豪華な山鉾がきしみながら回転する勇壮な姿に、観客はいっせいに歓声を挙げ拍手をします。
32基の山鉾のうち、菊水鉾だけはこの辻回しを最高の6回行います。このためほかの鉾より頑丈にできてはいますが、それでも傷みが早いそうです。
今年菊水鉾はこの足回りを取り替えました。牛車を思わせる黒塗りの堂々たる車軸と車輪、車輪には「菊水鉾」と金色の彫り込みが輝いていました。
車軸には金色の菊の紋章があります。ちなみに菊水鉾とは、町内に「菊水の井戸」というのがあったことにちなんでいます。
  
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2007年07月20日

京の夏③ 屏風祭 


祇園祭の期間中の7月14日から16日の宵山までの間、各山鉾町の旧家や老舗で、屏風などの所蔵美術品を一般に公開する「屏風祭り」が開かれます。
京の町衆の教養や財力の象徴ともいえるお宝に触れる貴重な機会だけに、山鉾見物とあわせて見逃せない催しです。
写真の室町通のお家では、今宵客人を迎えるのか、座席のしつらえをしています。京の町屋独特の細長い間取りの奥に中庭が見通せます。
屏風祭りは秘蔵の美術品に触れるだけではなく、ふつう見られない、そして姿を消しつつある京の町屋を生きている形で体感することができるのです。
長引く繊維不況のなかで、京の伝統を守りつつ、したたかに家業を守る“老舗力”にもしきりに感嘆する屏風祭りです。  
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2007年07月19日

京の夏 ② 売り切れた粽 


16日は祇園祭山鉾巡行の前夜の「宵山」です。
2時ごろから断続的な雨に見舞われ、浴衣姿の若い男女たちも裾をからげたりして難儀しています。雨のせいで人出もやや鈍く昨年を下回ったと翌日の新聞が報じていました。
好天ならば身動きもできないくらいの混雑で、何とか歩けるだけ今日はましだという話し声が聞こえていましたが、雑踏には変わりなく、祇園祭の賑わいはさすがのものです。
巡行の先頭を切る長刀鉾が、四条通に堂々とした姿で待機しています。みると早々と「ちまき完売しました」のビラが貼っています。時計を見るとまだ4時37分でした。
他の鉾を廻ると売り切れの表示はどこもなく、巫女さんが一生懸命売って(?)いました。
宵山のこの時間での売り切れとは、緊急仕入れをするのか、他の山鉾と相互融通するのかと、変なことが気になりました。

  
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2007年07月18日

京の夏 ① 八坂神社の「宵宮」


舞殿に鎮座する神輿

7月16日祇園祭の宵山見物に出かけました。あいにく2時ごろから激しいにわか雨で見物客も大変です。祇園祭はいうまでもなく、地元で祇園さんと親しまれている八坂神社のお祭りです。
宵山を見ようと混雑する四条烏丸辺にくらべ、ご祭神の八坂神社の雑踏はそれほどでもありません。
本殿前の舞殿には中御座・東御座・西御座の神輿がお出ましになっています。
7月10日に、神輿3基をこの舞殿に移し、神用水清祓、お迎え提灯、神輿洗式などを行い、7月15日の夜は、場内の灯火をすべて消し、浄闇のうちに舞殿に奉安する3基の神輿に神霊を移す「宵宮」の儀が執り行われます。7月17日は神輿渡御で、氏子区域内を巡行し、夜、四条お旅所に着輿し、24日までそこにお留まりになります。
16日は、ご祭神は舞殿の神輿におわしまして、本殿はお留守のはずですが、善男善女のほとんどが本殿にお参りしていました。空のお社に祈願してはたしてご利益があったのでしょうか。
  
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2007年07月17日

災害に備える:人と防災未来センター 



7月としては記録的という台風4号がやっと去ったと思ったら中越沖地震が続き、自分の住む国は文字通り災害列島であることを思い知らされました。
たまたま先日、地域諸団体の方々とともに、神戸にある阪神・淡路震災記念「人と防災未来センター」を見学してきたところです。
ここでは阪神・淡路大震災の惨状と、そこから立ち直った街と市民の歩みなどを様々な展示や資料で解説しています。
なかでも1・17シアターは迫力ある大型映像と音響で震災のすさまじさを再現して、地震の恐ろしさを実感させてくれます。被災者でもある語り部の体験談には涙するひともいました。
行政の指導もあり、今各地のコミュニティーで、自治会など地域団体が連帯しての防災組織つくりが進められています。防災・減災はまず自助努力、近隣の相互協力からという運動です。
日本列島に住む私たちには、なにより自主防災の心構えと不断の備えが必要ということを教えてくれた人と防災未来センターであり、今度の連続災害です。  
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2007年07月16日

大阪にラヴェンダー園 


ラヴェンダー園というと真っ先に北海道富良野を思い浮かべますが、大阪にも立派なラヴェンダー園があります。
万博公園中央口から東へ、世界の森の奥は遠くからもそれとわかる一面紫の花です。
地中海沿岸原産のシソ科の半耐寒性落葉低木で、初夏の頃青紫色花を咲かせます。全草に芳香があり花色とともに人気のあるハーブです。
昔から薬用として利用され、北海道などの商業栽培の主目的は水蒸気蒸留による香料を取る精油の抽出ですが、一般には観光農園として知られているようです。
  
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2007年07月15日

変わる樫田 


野中に忽然として出現したシャトー?

高槻の北部地区樫田は、昭和33年に高槻市に編入されるまでは京都府南桑田郡樫田村でした。
標高約400mの盆地の田能を中心に、二料、出灰、中畑、杉生の5村があったのが、明治23年の町村制実施で各村を大字とし、樫船神社(7月11日記事)の樫と田能の田をとり樫田村となりました。
その後自動車交通の発達などにより、村民の高槻市への編入希望が高まり、幾多の困難を乗り越えて、当時難しいとされていた京都と大阪という行政区域を越えての編入合併が実現しました。
この1週間、このブログで樫田地区の歴史と風物を紹介してきました。まだまだ古いよき姿の残る静かな山村ですが、時代は確実にこの地の風景にも変化をもたらしています。
いつの間にか緑の中にけばけばしい色のお城が出現していて驚きました。老人養護施設のようですが、これも時代の流れとして、やがては田園の風景に溶け込んでゆくのかもしれません。
これで8日間続いた高槻北部樫田地区シリーズを終わります。記事は高槻青年会議所編の「ふるさとの風土・高槻」を参考にさせていただきました。

市役所樫田支所前の合併記念碑
  
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2007年07月14日

神社に梵鐘 


田能の部落を過ぎ、亀岡へ通じる樫田トンネルをくぐってしばらく下ると、高槻最北部の杉生です。
高槻にもまだこんな静かな村があるのかと思えるのどかな風景です。
何軒かの集落がある市バスの終点付近から、小高いところにある春日神社の鳥居が見えます。
12日の記事にも取り上げましたが、この近辺の古い村には、今もあちこちに神仏習合の信仰形態の名残が残っています。
春日神社にある鐘楼もその一つです。本殿の裏手に、神社にしては珍しい鐘楼があり、釣鐘には「春日大明神」の銘が彫られています。
小さいお社ですが、境内には神楽殿も残っています。今ではあまり撞かれる事もない様子の釣鐘や、壊れた神楽殿を見ていると、この古い村の人々の暮らしや風習の変化を見る思いがしてきました。
  
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2007年07月13日

中畑に残る茅葺きの家


中畑地区は高槻北部へ通う市バスの終点です。
農作業をしていた老婆に話を聞きました。
昭和33年に高槻市に編入されるまでは京都府に属し、府道枚方・亀岡線ができるまでは、買い物も医者がよいもすべて山越えで歩いて亀岡へ出ていたそうです。
ちょっとした高原になっているこの地区は、水が良く、朝晩の気温の差が大きいことなどで、美味しいお米が収穫できるといいます。
のどかな田園風景ですが、かやぶき屋根にはトタンがかぶさり、圃場や農道の整備がすすむなど、昔の姿とはずいぶん変わっているようです。
ここに一軒だけ茅葺屋根の家がありました。周囲の田んぼはすっかり休耕田になっていて少し寂れた風景ですが、ちゃんと人が住んでいます。


一軒だけ残る茅葺屋根の家
  
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2007年07月12日

野中の鳥居 


白い建物の奥の森が樫船神社


樫船神社(昨日の記事)の参道を下って1キロほど南のたんぼの中にも、樫船神社の鳥居が建っています。今では、途中に建物ができたり、農道付け替えや圃場整備で、社の階段まで見通すことはできませんが、むかしは田能の村人はこの鳥居をくぐって、社が見える一本道の畦を進んで参拝していました。
またこの道は逆に行くと神宮寺に通じていました。神宮寺は名のとおり本地垂迹思想に基づく神仏習合のお寺で、寺所蔵の女体御前本地大日如来は樫船神社の祭神の本地仏とされています。この地区では明治元年の神仏分離令の後も村人によって地区の守り神・守り仏として神仏習合の宗教行事が行われてきたそうです。
その神宮寺も、近年のゴルフ場開発で、少し移転し、いまでは少々味気ない建物になっているのは寂しいことです。  
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2007年07月11日

平家落人伝説(?)の村


高槻北部田能地区にある樫船神社は、この土地の鎮守様です。
鎌倉時代初期の創建と伝えられるこの社殿には、木彫りの神像3体と長さ35mの船の模型が安置されています。
昨日書いたようにこの地区一帯は、昔は高槻へ出るまともな道もなく、交通はもっぱらここから一里半という亀岡でした。この地にはその亀岡にまつわるこんな伝説がありました。“昔々、亀岡盆地は一面の湖だった。神様が来て人の住めるようにしようと、この村の大きい樫の木を切り倒して船を造り、これに乗って湖の周囲を調べ、ここというところで昼夜兼行で岩を削り水の落とし口をつけた。こうしてできた谷が今の保津峡となった。これでよしと、用済みの樫の船をひょいともとの山へ投げ返した。それが今の樫船神社になった”船のお宮さんだから、山の上にあるのに安芸の宮島の海に建っている形の鳥居がこの山中にもあるのだというのです。"神様が岩を削るのに使った鍬は、この村の下の方に置いとかれた、そこがここから亀岡への道筋にある今の鍬山神社となった。“
面白い話ですが、この地区は平家の落人が隠れ住んだ里だという説があり、この船伝説も、身を潜めながらも一族の神への信仰を持ち続けた落人たちが、それをカムフラージュするためにつくった話ではないかというのがむかごの考えですが、いかがでしょうか。  
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2007年07月10日

出灰のわら葺家


昨日の記事のように、高槻ではわら葺の家は滅多に見られなくなっています。
桂の大木(一昨日記事)を通り過ぎて、出灰集落の中ほどまですすむと、出灰川を隔てた山懐にふるいわら葺の家が一軒残っています。
すぐ隣に新しい家が建っていて、どうやら家人はそちらに住んでいるようにみえますが、それでもわら家の軒下に洗濯物が干されていたりして生活感は失われていません。
向かって右隣に桜の古木があって、花の季節には桜とわら家が山里の春を演出してくれます。
  
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2007年07月09日

山里・二料の集落 


昭和52年に出版された高槻の郷土史に、「二料の民家:丹波形のワラ屋根が今も残っている」との説明つきの写真を見て、行ってみました。
高槻市の最北西部に位置する二料地区は、日に僅か3本の市バスで、駅から50分ほどもかかる山中にあります。
細い谷の両側に開かれた水田が続くその先に、谷を挟んで現在23軒という二料の集落がありました。期待はしていませんでしたが、やはりワラ屋根は無くなっていました。けれども元のワラ屋根はみなトタン屋根をかぶせた形で、それなりの雰囲気を残しています。
どの家も立派な構えで、この山里の豊かな歴史を物語っていました。

23軒という小さな集落には立派な屋敷が並ぶ

  
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2007年07月08日

出灰の大桂 


高槻北部出灰(ゆずりは)地区、流れ谷入り口近くに素盞嗚神社が鎮座まします。
その鳥居の横に樹高約30m、樹齢約300年の桂の大木がそびえています。
根元から7本に分かれた見事な姿は、谷沿いなど水の豊かなところによく育ち、株立ちになることが多いというカツラの性質をよく示して、堂々たる御神木ぶりです。
この地区は昭和33年に高槻市と合併するまでは京都府に属し、この桂も京都府の天然記念物に指定されていました。その昔は京都の桂方面の神社が祭礼に使うために、必ずお神酒をもってこの枝をもらいに来たといいます。そんな風習もいつの間にか失せてしまいましたが、いまも大阪府の天然記念物、高槻市の保護樹木として名を留めています。
  
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