2007年03月31日

Nepalは今 (10) エヴェレスト遊覧飛行 


コックピットから望むエヴェレスト


サンスクリットの「ヒマ・アラヤ」(雪の住む処)を語源とするヒマラヤ、カラコルムを含む広義のヒマラヤは8000m級14座、7000m級240座、6000m級1350座を擁する巨大高連峰群で、世界の高峰べストテンの8峰までがNepal国内か国境上にあります。
Nepalツアーのハイライトはもちろん世界最高峰エヴェレスト(8848m)遊覧飛行です。
ネパール語ではサガルマータ、チベットではチョモランマ、西欧風にはエヴェレストの名を持つこの山は、いまでこそ専門家ならかなり容易に登頂できる山となって神秘性は薄れましたが、世界最高峰の威厳は変わりません。少し靄がかかっていたうえ、窓越しとあって写真の出来はいまひとつですが、順番にいれてもらったコックピットからのエヴェレストの雄姿とこれを囲む白銀の峰々はさすが圧倒的な姿でわれわれに迫ってきました。
最終日、160ドル約50分のエヴェレスト遊覧飛行、降り立ったときもらった記念の写真には“I did not climb Mt Everest・・・ but touched it with my heart!”とありました。本当にそんな気分でした。


雲をなびかせて威厳あるエヴェレスト
  
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2007年03月30日

Nepalは今 (9) ダウラギリ遊覧飛行 




ダウラギリ(8167m)


Nepalツアーの目玉は、二つの遊覧飛行、一つはポカラからのダウラギリ(8167m)、もう一つはもちろんカトマンドゥからのエヴェレスト(8848m)飛行です。
前者はポカラからは見えないダウラギリのほか、アンナプルナ南(7219m)、Ⅰ(8091m)、Ⅲ(7556m)、Ⅳ(7525m)、それにポカラから常にアイガーのような美麗な山容を見せている魚の尻尾の名があるマチャプチャレ(6993m)<3月27日記事>の背後に廻る、いわゆるアンナプルナ山脈の遊覧飛行です。
10人乗りの小さい飛行機は頼りなげですがまだ落ちた話はありません。
曇った窓ガラス越しでは、よい写真は撮れませんでしたが、この目でみたヒマラヤは神々しいまでに白く輝いていました。約40分ほどで140ドル、値段だけのことがあるかどうかは別にして神秘のダウラギリを近くに見たことで先ずは満足でした。


左端アンナプルナⅣ(7525m)、中央アンナプルナⅡ(7937m)


遊覧飛行は10人乗りの小型機で
  
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2007年03月29日

Nepalは今 (8) 政情と治安


(兵士の訓練:出国の朝空港内のバスより盗撮)


日本を出るとき最近Nepalは政情も安定していて治安の心配も少ないと聞きました。
現地で目に付いたのは、あちこちに軍隊の兵営地があり、銃を構えた歩哨が立ち、鉄条網の内側で兵士が訓練している姿でした。世界遺産の聖地といわれるところにも武装した兵士がいて、異教徒が立ち入らないように監視しています。訓練の様子や、衛兵を撮影することは厳禁とのことで、カメラをもつ手も緊張しました。
1951年の王政復古まで100年以上もラナ家摂政政治による鎖国と、その後1990年のヒンドゥー教に立脚する立憲君主制新憲法交付までの王権政治の中で、世界の変化にすっかり取り残されたこの国は、今急速に変わろうとしているように見えるものの、政情不安は続き、2001年の謎の王宮内乱射事件など数々の変遷を経て、2006年4月政権と極左の共産党毛沢東主義派(マオイスト)が和平合意しましたが、武器を保持したままマオイストがいくつかのキャンプに隔離され国連の監視下にあるなど、危うく平穏を保っている形になっています。
出国する朝、カトマンドゥズの町はなにやら不穏な空気でした。聞いてみると前夜マオイストが有力なホテルの経営者に暴行を加え、高額の資金を要求したとかで、銀行、商工業者などが一斉に抗議のストを打っているとのこと、門が閉まった銀行の前には大勢の人が集まっています。ストがマオイストへの抗議になるのか理解しにくいところですが、国際線だけがストの対象外で無事出国できたのはなによりの幸運でした。
帰国した翌日、日本の新聞に、ネパールでマオイストとある民族集団との衝突があり、29人が死亡したとの記事が出ていました。

マオイスト騒動の朝、閉ざされた銀行の前に集まる群衆(バスの中から)
  
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2007年03月28日

2007年03月27日

Nepalは今 (6) リゾートの風景



ナガルゴット展望台から


今回の旅は“ホテルに泊まるヒマラヤハイキング”ということで、喧騒と埃のカトマンドゥには1泊しかせず、いわゆるリゾート地での宿泊の連泊または3連泊というものでした。
一つはカトマンドゥ郊外標高2000mのナガルコットのクラブヒマラヤリゾート、もう一つはカトマンドゥ西方、飛行機で半時間のポカラ(Pokhra)の秋篠宮もお泊りになったというホテル シャングリラビレッジで、いずれもヒマラヤ山脈の眺望が見事でした。ポカラでは体調を崩し、2日間ホテルにとどまるという、予期せぬゆったり気分を味わいました。


ポカラ、シャングリラ・ヴィレッジからマチャプチャレ(6993m)中央とアンナプルナⅢ(7556m)右
  
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2007年03月26日

Nepalは今 (5) 生き女神:クマリ


クマリの映像(インターネットより)


カトマンドゥの旧王宮広場がルバール広場に生き神クマルが住む館があります。
生き神クマリは、Nepal王国の守護神タレジュ女神や、仏教徒からは密教女神ヴァジラ・デーヴィーが宿るとされる聖少女です。ネワール仏教徒の家柄の正しい幼女の中から32の条件に合致した、血の穢れ、つまり怪我や初潮前の聖性を持つもののみが選ばれます。親に別れて旧王宮にあるクマリの館で起居し、お付きから神としての教育を受けます。一年に13日ほどの祭事のときしか外出を許されません。
カトマンドゥズのクマリは唯一国の運命を予言する力を持ち、国王もその前にひれ伏すといいます。
この写真の寸前2階正面の窓から一瞬間クマリが顔を出しましたが、写真撮影は厳禁です。その額に描かれた第三の目は不可知の彼岸を見つめているとされます。
話を聞いていた後だけに、居合わせた善男善女は旅行者を含めて、有難さに思わず合掌して礼拝したことでした。


中央の窓からクマリが顔を見せた直後の写真




クマリの住む館

  
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2007年03月25日

Nepal は今 (4) 商い


Nepalでは都会でも現代的なショッピングセンターやコンビニにはほとんどお目にかかれません。代わりに目立つのがバザールという庶民向けの市場です。
人通りの多いところでは間口のごく狭い恒久的な店が並んでいますが、ちょっとした広場や道端では、夕方近くになるとどこからか人々が集まってきて、それぞれ路上に食品、衣料、雑貨など様々なもの並べて売りはじめます。野菜や果物などは近郊の農家が余剰の農産物を持ち寄ってくるといいます。
埃のひどいことで有名なカトマンドゥですが、カバーもされていない生鮮食品も現地の人々はいっこう気にしない様子です。
ガイドからはNepalでの買い物は必ず大幅に値切るようにと聞かされましたが、これは慣れない旅行者にはなかなか難しいものです。結局ホテルとか、旅行社がやっている良心的という店で買い物をしましたが、そこでも値切りが原則ですので、損をしたやら得をしたやらわからない割り切れない買い物でした。


海のないNepalでは珍しい魚屋




店頭で骨付きを捌く肉屋




豆類、香辛料を商うのは少女




2階まで全面ディスプレイ



田舎の美容室
  
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2007年03月24日

Nepalは今 (3) 農村:貧か富か


Nepal人は子沢山です。ヒンドゥ-教の教えで、父親は長男が、母親は末の男子のみが親の葬儀を取り仕切る定めなので、親は最低男子を2人産むまで子供をつくり続けます。その大勢の兄弟たちは、長じても原則として同じ住居で住まいします。
急増する人口を養うために、Nepalの人々は森林を伐って、山のてっぺんまで多数の小さい棚田(畑)を開いてゆきます。地力も低く人畜に頼る昔ながらの農法では農民は貧しさから逃れられません。ネパールでは無理な開墾による環境破壊と、都市と農村のいろいろな面での格差の広がりが問題になっています。
旅行者の目を楽しませる見事な棚田、明るく牧歌的な農民の生活、仮にその裏側は過酷なまでに貧しく厳くても、彼らはわれわれ以上に満ちたりた豊かな生き方をしているのかもしれません。



高所・急斜面の農作業は厳しい
標高1300mを超えると水稲に代わってトウモロコリと麦などになる。地力は低く生産性は低い



家畜は貴重な蛋白源
樹木が切りつくされ燃料はもっぱら牛の糞に頼る




ほとんど自給自足、僅かな余剰産物を街の市場へ




牧歌的な農作業
農機が使われることはない




民族衣装の娘たちは明るく耕す

  
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2007年03月23日

Nepalは今(2) 子供の世界

子どもはどこの国でもあどけなく可愛いものです。ここNepalでもそれは変わりませんが、ここでは接する側の外国人の気持ちの中は少し複雑です。
日本人と見るとナマステ(こんにちは)、コンニチワ、ハローなどと親しげに声をかけ、時には纏わりついてくる子供の多くは何かをねだっているというのです。特に日本人に可愛いさのあまりつい何か物をやる旅行者が多く、彼らは(その親も)それを期待(最終的に換金)して、学校にも行かないといいます。Nepalの国にとっては迷惑な話なのです。思いやりが時として他人をスポイルする例です。それでなくても義務教育にもお金がかかるこの国では、就学率は50%くらいと聞きました。
けれどもたいていの子どもは貧富に関係なくみんな可愛く、きれいな目をしています。
貧しい家の子らも、自分たちで考えだした道具で屈託なく遊んでいます。前途にどんな困難があろうとも彼らがたくましく健やかに育って欲しいと願わずにいられませんでした。


自分で見つけた自然のシーソー遊び
(以下各サムネイルをクリックすれば拡大図が出ます)

干している藁も遊び道具に
山の小学校
身なりから違う良家の子女
働く子供
きれいにお化粧されて  
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2007年03月22日

Nepalは今(1)川岸の火葬場


9日間のネパール旅行を終えて昨日早朝帰国しました。
途中で体調を崩し、2日間はホテルにこもるという不本意な旅となりました。
お目当てのヒマラヤの山脈はホテルからも機上からも楽しめましたが、トレッキングの断念でそこに咲いているはずの花々には、妻の写真で楽しむだけということになりました。
お目当てはNepalの自然でしたが、強く印象に残ったのはむしろ混沌・複雑・貧困のNepalの国、人、暮らしでした。
なかでもガンジス川の源流といわれるカトマンズ市内を流れるパグマティ河岸の火葬場の光景です。ここはまたNepal最大のヒンドゥ教の寺で、世界遺産に指定されているパシュティナート寺院の一角でもあります。
この川の水死者の体を浸し、白い布に着せ替えられて、台上の薪で焼かれます。脱がされた衣服は下流で待ち受ける人がすぐ拾います。
完全に灰だけになった台は、川水が入ったバケツできれいさっぱりと流されて葬儀は終わります。
生と死の見事なまでの単純化。生とは何か、死とは何か、死生感が一変する思いの強烈な印象です。

死者は聖なる河の水に浸される


火葬に立ち会うのは男性だけ。儀式どおり葬られるのは富者のみ


バケツの水と共にすべては流れ去る


すぐ下流で洗濯。一人の人生が終わっても何も変わることはない




(別にNepalの花シリーズをアップしています。むかごの日記 をご覧ください)  
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2007年03月13日

里山は今 


誰にもおなじみの「里山」という言葉は、じつは新しい言葉で、京都大学の四手井綱英教授が初めて使ってから急に広がった言葉といわれています。ちなみに手元の1991年版広辞苑にはまだ載っていません。(実際には江戸時代の古文書に一部の地方で使われていたとの考証があります)
里山とは、普通、農村の集落に隣接し、里人が、雑木を薪炭用に、落ち葉・下枝・下草を堆肥用などに利用にしてきた山を指すとされています。昭和30年代以来の燃料革命や、化学肥料万能時代となって、手が入らなくなった里山の荒廃が今問題になっています。
家から10分、寺谷町バス停すぐのところに、このような里山が点在し、四季折々散歩の目を楽しませてくれます。
落葉したかつての里山は、コナラ、クヌギなどを薪炭用に伐ったあとの株から芽生えた芽が(萌芽更新)成木となっても株立ちのまま放置され、僅かにその昔の里人の生活の跡を見せてくれています。
(お断り:しばらく家を空けますので、2週間ほど休載します)
  
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2007年03月12日

雪のない比良山 


湖北地方へ行った帰り、びわこ大橋の近い、守山市なぎさ公園へ立ち寄りました。
ここは、冬咲きの菜の花畑が広がっていて、例年なら雪を戴いた比良の山並みを背景に一面の菜の花を画面におさめる人気の撮影スポットです。しかし今年は暖冬異変で峰の雪はほとんど見えず寂しい限りです。
夕暮れの堤防を子供たちが元気に駆けてゆきました。
  
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2007年03月11日

獲れた? 


冬の芥川堤(高槻市)を歩いていると、いろいろな鳥がそれぞれのポーズで私たちを楽しませてくれます。この日、ここでは珍しい一羽のカワウ(川鵜)が、得意のもぐり泳法で20~30mほども泳いでは小魚を咥えて水面上に顔を出してきます。そのカワウでも百発百中とはゆかないらしく、獲物無しでもぐりから顔を出した場所が、丁度ダイサギ(大鷺)が首を伸ばしているところでした。
ダイサギは言います「獲れた?」カワウが答えました「あかんわ」。ユーモラスな対話です。

  
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2007年03月10日

可憐な雪割一華


高槻から車で時間ちょっと、デカンショの篠山は案外近いところです。
8日、大阪はよいお天気でしたが、篠山の郊外大山宮は雪が舞っていました。お目当てのユキワリイチゲ:雪割一華は、日が射さないと開花しない性質があり、雪空では蕾んだままでした。後ろ髪を引かれながら諦めてUというリゾート地に昼食に立ち寄りました。
すると思いがけず、そこにもユキワリイチゲの群落があり、折から射してきた冬の陽をあびて見事に花開いていました。花は淡紫色で直径3cmほど、10個以上もある細い花弁に見えるのは萼片です。
カタクリなどと同じようにspring ephemeral (春の儚い命)といわれ、木々の若葉が萌え出る頃までの短い命を精一杯生きています。

  
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2007年03月09日

親はどちら?


近所の畑の縁にもうツクシが顔を出しています。
春の訪れを告げるつくしん坊を見つけることは、幾つになってもなにやら嬉しいものです。
“つくし誰の子 すぎなの子…”誰も知っている囃子言葉ですが、本当にそうなのかなと考えてしまいます。ツクシは恐竜全盛時代に栄えたというシダ類の生き残りで、繁殖のための胞子葉・実茎であるツクシと、栄養茎であるスギナとに分かれて生活しています。ツクシはスギナの子ではなく同一植物が2型の地上茎で分業しているのです。
生え出す時期から見るとツクシはスギナの親になりますが、つくしん坊の名とその形は子供のほうが似つかわしいともいえます。つくしは親とも子ともいえます。鶏が先か卵が先かの類でしょうか・・・。
  
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2007年03月08日

真正・烏鷺の争い 


烏(黒)と鷺(白)が勝負するということから囲碁のことを別の言葉で烏鷺(うろ)の争いといいます。
淀川左岸枚方河川敷近くの浅瀬で、文字通り本当の烏鷺の争いを目撃しました。
大きな魚を捕らえたのはコサギ(小鷺)です。咥えた魚が大きすぎてなかなか飲み込めず、何度も水に打ちつけて何とか小割にしようと試みています。其処へカラスがやってきて、コサギが咥えている魚を横取りしようとしました。コサギは怒ってカラスを撃退します。何回かこんな争いがあって最後にはカラスが諦めて飛び去りました。
詳しい人の話では、魚は例のブラックバスで大きくて骨が固く、コサギにとって相当料理し難い獲物のようです。
図らずも目撃した“烏鷺の争い”、水辺の生存競争も激しいものでした。

あえなく撃退されるカラス)



  
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2007年03月07日

ご利益如何に 


安産祈願で有名な宝塚中山寺の南大門、左右の像の前の柵に、沢山の小さい草鞋が、願い事が書かれた白布と共に結わえ付けられています。
草鞋が歩くことに関係がることからでしょうか、願いごとの多くは足腰の病に関するものでした。
足腰の悩みはとくに女性に多いのか、女性のほうが信心深いのか、あるいはその両方なのか、不思議にも願主の大多数は女性でした。
それにしても願いの切実さに比べて、願いをお受けになる柵の中のお像がそっぽを向いているのが気になりました。無事願い事が届いたのでしょうか。


切実な願い事(拡大図)
  
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2007年03月06日

観音様も梅見 


安産のお寺で有名な中山寺は、高槻から1時間足らず案外近いところにあります。
ここの梅園は大阪より少し遅く今満開で大勢の梅見の客で賑わっていました。
露座の観音さまもやわらかい春の陽をあびて、善男善女といっしょに観梅してござらっしゃいました。
  
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2007年03月05日

失われた古代のロマン


昨日の日曜日、今城塚古墳第10次調査の現地説明会が催されました。
天皇陵級に横穴式石室!と新聞、テレビで大々的に報じられたこともあって、朝から熱心な歴史考古学ファンが長蛇の列をつくりました。
発掘されたのは石組みの基礎で、その上に載っていたはずの肝心の石室が謎の消失を遂げていたことが判明したということですが、1500年前の遺構が再び現代人のまえに姿を現したことはそれなりに興奮ものでした。
でも、今まで友人を案内するたびにこの場所に立って、此処こそは、天皇の墓の真上を土足で踏める日本で唯一の場所だといってきただけに、石室がないとわかったことは少しがっかりでした。
むかごの心の中のロマンがひとつ消えてしまいました。

横穴式石室の石組み基礎


説明会の光景
  
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2007年03月04日

失われゆく田園風景


松ヶ丘を上って上の口のバス停を過ぎると平らな田園風景が広がります。高槻市原地区にも早春の気配が満ちてきました。そこかしこに白や紅の梅がいま満開です。
高槻近郊で最後まで残ったこののどかな田園地帯にも近年住宅化の波が忍び寄ってきています。
紅梅を前景に広々とした田園風景をとイメージしたのですが、どうしてもファインダー内の新しい住宅が気になり、画角を狭く取らざるを得ませんでした。
  
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