2010年03月10日
冬の大連格安旅行① 激しく変貌する大連




旅を思い立つきっかけが、いつかなにかで読んで印象が強かったからということがよくあります。3年前のネパールのそれは、井上靖の「星と祭り」でした。
そして今回の大連も、昔読んだ清岡卓行の芥川賞作品「アカシアの大連」に、最近のtvドラマ「坂の上の雲」が加わってのことでした。
もっとも、決め手は2010年記念特別企画と銘打った2泊3日20,100円という格安さでしたが・・・。
日本の近代史に深くかかわる大連を訪ねて降り立ったむかごの目に映ったのは、郷愁を呼ぶ古い大連ではなく、すさまじいまでの建設ラッシュでした。
バスの窓から見る大連は、空き部屋になった住居ビルと瓦礫の山と建設中の高層ビルがどこまでも続き、町は騒音と塵埃に包まれています。
狂気のような高度経済成長の姿は想像をはるかに超えるもので、この国の末恐ろしさを体感する思いでした。
2010年03月06日
地下鉄一日券で京の梅見④京都御苑



京都御苑に立ち寄りました。
出水川近くの梅園はほぼ満開です。植物園と同様に、ここの梅園も、北野天満宮や大阪城のように剪定で枝振りが整えられているわけではなく、高さも不ぞろいですが、それはそれで違った趣を感じさせてくれます。
明治天皇生誕の地祐の井(旧中山邸)には、心細げな1本の紅梅が、丸太町入り口東側には見事な一本の紅梅が満開の花をつけていました。
拝観料800円と600円の地下鉄一日券で合計1400円での京都梅見紀行、いつのまにか万歩計は2万歩を越えていました。
(明日から4~5日間休みます)
2010年03月05日
地下鉄一日券で京の梅見③観修寺


小野駅をはさんで随心院の反対側にあるのが観修寺(かじゅうじ)です。
真言宗山階派大本山のこの寺は昌泰3年(900年)醍醐天皇が創建された古い歴史を持ちます。
庭園は「観修寺氷池園」と呼ばれ、「氷室の池」を中心に周囲の山を借景に取り込んだもので、四季折々の自然の変化と、人口の構成美を兼ね備え名庭として、京都市の指定名勝となっています。
この寺は、春の桜、夏の杜若、蓮、秋の紅葉が有名ですが、梅はさほどではありません。江戸時代に御所から移されたという宸殿横の「臥竜の老梅」が、わずかに古梅の趣を漂わせていました。
2010年03月04日
地下鉄一日券で京の梅見②随心院



醍醐に近い地下鉄小野駅から徒歩数分のところに真言宗善通寺派随心院の小野梅園があります。この寺は小野小町の住居跡にたてられたといわれ、境内には小町ゆかりといわれる化粧井戸や文塚などが残っています。
ここの梅園は遅咲きの八重紅梅が主体で、3月には(今年は28日)薄紅色の古名“はねずいろ”にちなんだ「はねず踊り」が奉納されます。
2010年03月03日
地下鉄一日券で京の梅見①京都植物園



先日京都植物園で小さい忘れ物をしたので届けておいたら見つかったから、すぐ取りに来いといいます。
態々行くからには京都の梅見でもしようと、600円の地下鉄一日券を買いました。
京都植物園の梅園は少々密生気味で、高い場所に花がついていて、近づいて香りを楽しむ風情に欠けるところがあります。
メジロたちにとってはそれが好都合らしく、蜜をもとめて花から花へと巡っていました。
2010年03月02日
心無い盗掘事件


3月1日、グループでポンポン山に自生するフクジュソウを見に行きました。
ここでは昨年末に業者によると思われる大量盗掘事件が発生し、警察が捜査に入るという事件がありました。
2年ほど前からシカの食害を防ぐために地元のボランティアグループが防護網を設けて保護育成を図っている矢先だけに、関係者の怒りも大きいものがあります。
幸い防護策の成果で、フクジュソウの株数も増えつつあるそうで、盗掘による被害も結果的にさほど目立つまでにはならなかったのは何よりでしたが、盗掘跡と名札のある大きな穴には、見学者も一様に眉をひそめていました。
2010年03月01日
だんじり会館



岸和田といえばだんじりというほど、岸和田だんじり祭りは全国的にその名を轟かせています。
およそ300年の伝統を誇るこの祭りは、この地で生まれ育った庶民の手で連綿と受け継がれ育まれてきました。
勇壮で鳴る岸和田だんじり祭りの中でも、ハイライトは勢いよく走りながら曲がり角ごとに直角に向きを変える「やりまわし」です。
正確に「やりまわし」を行うには、それぞれの持ち場を受け持つ各団体の息が合うことが重要となるので、町ごとの仲間意識が非常に高く強いのも岸和田だんじり祭の大きな特長だといいます。
走るだんじりの大屋根(地上約4m)の上でリズミカルに踊る大工方は祭りの華といわれ、これを勤めることは若者の憧れでもあり名誉なことです。
岸和田城に程近いだんじり会館では、憧れの大工方を夢見る子供たちの姿が見られました。
2010年02月27日
岸和田城

城門

八陣の庭
南海電車が岸和田に近づくと窓外に岸和田城が望まれます。
この城の歴史は古く、建武期伝承では楠木正成の一族和田氏が、当時「岸」といわれたこの地に城を築いたのがはじまりといわれます。岸和田の地名は、この「岸」と「和田氏」から来たといいます。
秀吉の紀州根来寺征伐のあと、伯父小出英政を城主とし、天守閣を含む城郭の整備が行われ、その後何代か城主が代わり、寛永17年(1640)岡部宣勝が、紀州徳川家に対する抑えの役割として入場し、以来13代続き明治維新を迎えます。
天守閣は文政年間に焼失、明治維新時城郭施設を自ら破壊したため、残っている古い遺構は石垣と堀だけで、今の天守閣は昭和29年に建設された模擬天守閣です。
岸和田城で有名なのは城の正面にある八陣の庭です。
名前だけを聞くと、この庭が防御としての城の構造のひとつかと思うのですが、まったく関係がなく、昭和28年天守閣再建の前に、京都の造園作家重森三玲氏が築いた単なる庭園なのです。八陣の名は、諸葛孔明の八陣法からとったものですが、四方八方から眺められる"ぐるり正面〃の庭で、戦ごとよりも、むしろ平和的な蓬莱山の九山八海になぞらえた青海波の砂紋が描き出されているといわれてます。
2010年02月25日
湖北早春④雪の伊吹山

伊吹山を正面に望む三島池へ立ち寄りました。
米原市の北西旧山東町にあり、周囲約780m、面積3万9000平方、今から700年ほど前に、農業用水池として造られた楕円形の池です。三島神社との関係が深く、昔から鳥獣や魚貝類が保護されてきました。
マガモ自然繁殖の南限地でもあり、四季をつうじて多くの野鳥が訪れることで知られています。
この日、快晴の空に、雪が頂いた伊吹山が輝いて、池の水面に影を映していました。
全走行距離約300kmの早春の近江路は、魅力的な自然で満ちていました。
2010年02月24日
湖北早春③:雪の伊吹山麓

セツブンソウ群落地は深い雪の下

<雪の姉川上流
ついでにということで、湖北町野鳥観察センターから、セツブンソウが咲いているはずの姉川上流の大久保部落へ足を伸ばして驚きました。
地元の方もこんな大雪は珍しいというほどの雪は、セツブンソウの自生地には50-60cmも積んでいたからです。
状況を尋ねると、昨日現在、雪のないところに1輪だけ咲いていたといいます。せっかく来たので1輪でも見て帰りたいというと、地区長でお寺の住職というその方が、親切にも仕事の手を止めて現地まで案内してくれました。
セツブンソウは、今日咲いた花を含めて本当に2輪だけ咲いていました。
雪がほしいザゼンソウに雪がなく、雪が消えないと咲かないセツブンソウは大雪と皮肉なことになりました。それでも、雪の間に2輪だけ咲いている健気な花に出会ったことで十分満足でした。(2月21日)
2010年02月23日
湖北早春②:湖北町へ


ザゼンソウの今津町から、R161を北へとり、奥琵琶湖トンネルを通って湖北町へ回りました。奥琵琶湖を抜けたとたん、銀世界のかなたに三国山、赤坂山の姿が目に飛び込んできました。
湖北町の水鳥公園には、安全でえさが豊富なので、多種、多数の水鳥が集まることで知られています。一帯には今年も300羽ほどのコハクチョウが飛来し、国の天然記念物のオオヒシクイやオオワシも観察できます。
北へ帰った水鳥たちも多く、野鳥観察センターから望む湖畔は少しさみしくなっていて、春が近いことを思わせます。
ここから20kmほど離れた田んぼで昼間餌を食べるコハクチョウの群が北へ帰るのも、今日か明日かということでした。
日本で数千羽しか越冬せず、ここが限越冬地となっているというオオヒシクイの一群が、湖畔の立ち木の元に憩っていました。
2010年02月22日
湖北早春①:今津のザゼンソウ


21日、このところ恒例になってしまった、湖北今津町弘川のザゼンソウを今年も見に行ってきました。
仏像の光背に似た形の苞(佛炎苞)の中に包まれた薄黄色の花穂を、座禅を組む僧侶に見立ててこの名があります。
山地の湿地に成育し、早春1月下旬から開花します。開花時は発熱して周囲の雪を融かして目立ち、花の悪臭とともに、この時期少ない昆虫をおびき寄せます。
自生地の南限ともいわれる今津町のザゼンソウは、地元の人の熱心な活動によって保護されていて、花の季節には、遠方からも、見学の人やカメラマンが大勢訪れ賑わいます。
この日はあいにく雪がなく、泥沼に咲く赤黒い花となって、さえない画像となりました。
それでも、見学も駐車場も無料というのはいまどき珍しく、せめてもの気持ちと、地元の婦人による臨時のお土産屋で、ささやかな買い物をし、同じ今津の老舗のうなぎ屋で昼食をとって帰りました。
2010年02月21日
高源寺


丹波市青垣町西部にある高源寺は、中国杭州で修行した僧・遠渓が後醍醐天皇より号を得て開山したと伝えられます。
紅葉の名所として知られ、中国から伝えられたという数百本の天目楓が有名です。
さすがに厳寒の時期、参詣の人影もなく静まりかえっていました。
石の地蔵さんがかぶったせっかくの毛糸の帽子も苔むし、ノキシノブのリボンをつけていかにも寒そうでした。
2010年02月20日
春告げ花の里:丹波青垣町のセツブンソウ


セツブンソウ咲く茅葺民家
節分に咲くのでこの名があるセツブンソウを見に、丹波市青垣町へ行ってきました。
篠山からの北西へ、舞鶴若狭道から北近畿豊岡自動車道へはいり、しばらく走ったところにある青垣町は、周りの山に雪をいただいて、すっかり日本海側の気候です。
セツブンソウは有形登録文化財となっている築180年という茅葺民家の石垣下の土手に咲いていました。2月7日にセツブンソウ祭りとしていろいろなイベントがあったという割には、花数が少なく少しさみしい感じですが、気候のせいか例年よそよりも早く開花するといいます。
霜柱が立ち、粉雪もちらつく北の町で、寒風に身を震わせながらセツブンソウは春が近いことを告げていました。
2010年02月18日
覗き見、日本民家集落博物館



服部緑地公園で野鳥観察した後、仲間の一人が園内にある日本民家集落博物館をまだ見ていないといいます。
閉門時間が真近かだったので、とりあえずは、柵外からの見学となりました。
ここは、日本各地の代表的な民家を移築復元し、関連民具と合わせて展示する為に1956年(昭和31年)に日本で最初に設置された野外博物館で、東北から奄美までの代表的な民家11棟が展示されています。
館内の梅の花もほころび始めて、柵の外からでも民家の雰囲気を十分味わえましたが、
初めてというその方は、ちゃんと500円を払って正式に入園したい気持ちを改めて強くした様子でした。
2010年02月17日
余計なお世話?ポンポン山頂上のブルーシート


14日の日曜日、北摂の名山?ポンポン山(正式名加茂勢山、678.9m)の頂上は、昼食をとるハイカーで賑わっていました。
足踏みするとポンポンと音がするのでポンポン山の愛称がついたというこの頂上は、以前は周囲が樹木で囲まれていましたが、何年か前からボランチアを自称するグループの手で、樹木が切り倒され展望が開けるようになっていました。これをよしとする人がいる一方で、自然破壊として非難する人もいました。
この日行って驚いたのは、頂上の真下が平らに造成されて、あろう事か、風除けのつもりなのかブルーシートの囲いまでできていたのです。
東海道自然歩道のメインルートに出現したこのブルーシート、あなたならどうお考えでしょうか。
2010年02月15日
ポンポン山早春



14日、ところどころに斑雪の残るポンポン山にフクジュソウを見に行きました。
昨年12月、業者によると思われる大量盗掘事件が発生し、警察が捜査に入っているとの情報があり心配になっていたからです。
盗掘の跡は落ち葉で覆われていて、被害状況はよくわかりませんでしたが、芽出しが始まったフクジュソウのなかには、1~2輪、開きかけのつぼみも見えてすこしほっとしました。
登山道では、マンサクの黄色い花が春の訪れを告げていました。
2010年02月14日
雪景色かやぶきの里




都の雪景色を見た翌日、雪道のドライブに自信がなくて、いままでためらっていた雪のかやぶきの里(南丹市美山町)へ思い切って行ってきました。
残念なことに、かやぶき屋根の南面の雪はあらかた融けていましたが、日陰や田んぼの雪は残って、裏から見たかやぶきの里はそれなりの雪景色となっていました。
2010年02月11日
古都雪景色⑤ 法然院


金閣寺、北野天満宮、銀閣に雪をみて、哲学の道を通り鹿ケ谷法然院に着いたのはすでに12時、僅かに山門の茅葺屋根にうすっらと雪が残っていました。
谷崎潤一郎や河上肇など著名な文人・学者の墓があり、観光シーズンには参拝者で賑わう山内も今は人影もなく静まり返っていました。
2010年02月10日
古都雪景色④ 銀閣寺

淡雪残る向月台

銀閣は修理中

湯気を立てて融ける雪
京に雪が降った7日、雪景色を求めて金閣から北野天満宮を経て、駆け足で銀閣に着いたのは
11時過ぎ、消えやすい春の雪は、僅かに日陰側に残るだけでした。
折悪しく銀閣(観音殿)は補修中で、一階は柱だけの吹き通しでした。屋根にわずかに残った雪は、白い湯気を立ててみるみる融けてゆきました。
あのまばゆい金閣の拝観料は400円なのに、地味で工事中の銀閣は500円、首を傾げてしまいました。

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