2008年05月09日
アカシヤの咲く頃

何時ものの散歩道に、いつの間にかアカシヤの白い花が咲きこぼれ、甘い香りを漂わせています。
白秋の「この道」、清岡卓行の芥川賞受賞作「アカシヤの大連」のアカシヤ、さらにはたぶん西田佐知子の「アカシアの雨が止むとき」のアカシアも、正しくはニセアカシアと呼ばれるマメの科の落葉高木です。本当のアカシアは別名をミモザという春先に黄色い花をつける木で、世界に600種も有るといわれていて、日本で見られるのはフサアカシアやギンヨウアカシアが代表的です。
「アカシヤの大連」で、主人公は中学校の先生から「大連のアカシヤは、俗称でそう呼ばれているので、正確には、にせアカシヤ、いぬアカシヤ、あるいはハリエンジュと呼ばれなければならない・・・」と教わります。大連にも本当のアカシヤがあると聞いて彼は本物を見に行き、にせアカシヤのほうがずっと美しいと思い安心します。
「彼はそのように遠い日のささやかなエピソードを、「にせ」という言葉が不当にも、ある生命の自然な美しさに冠せられていることに対する、一種の義憤を通じて思い起こしていたのであった。」
毎年、“ニセアカシア”の白い花が咲く頃、日本の植民地でもっとも美しいといわれた大連をこよなく愛した、この多感な詩人の若かりしときの心情を思い、まだ見ぬ大連に憧れのつのるむかごなのです。
2008年05月08日
野間の大けやき


妙見・能勢ハイキングの終点は、国の天然記念物野間の大けやきです。
話には聞いていたものの、いままで見る機会がなかったのですが、実際にみると想像を超える迫力で私たちに迫ってきます。
目通りの幹周り約14m、高さ約30m、枝張りの長さ約40mのこの木は、大阪府下ではもちろん第1位、全国で見ても4番目に数えられるそうです。
樹齢約1000年、かつては神社境内にあって、神の憑り代(神木)としてあがめられてきたとか。1000年間、移ろい行く人間の世をこの地に立って見つめ続けてきた老木には、自然の神秘、生命の力が宿っているのを感ぜずにはいられませんでした。
2008年05月07日
能勢で早くも田植え

高齢者には関係ないゴールデンウイークのさなか、青空のもと仲間と能勢妙見山から、本滝寺を経て、のどかな田園風景の中を野間の大ケヤキまで歩きました。
早くも田植えが始まっています。手植え時代と異なる田植え風景ですが、それはそれでひとつの絵になっていました。
帰って近所の農家の方に聞きますと、高槻あたりでは田植えは1月くらい後になるそうです。山間のほうが早いということでしょうか。
2008年05月06日
新緑妙見山

妙見山の展望台から

ケーブルカーから見る能勢の山

若葉のブナ
今日もさわやかな五月晴れです。天気に恵まれたゴールデンウイークでした。
能勢妙見山に観察を兼ねたハイキングをした日も雲ひとつなく風がさわやかでした。
ケーブルカーから、展望台から見る北摂の山は全山新緑に埋まっています。
頂上付近のブナの大木も芽吹き、若葉が木洩れ日に一段と鮮やか映えています。
普通1000m以上の山に生えるブナが、標高660mの妙見山頂上にあるのは珍しく、大阪府の天然記念物になっています。
2008年05月05日
アクアピアのアカメヤナギ(赤芽柳)の巨木

高槻芥川緑地(アクアピア芥川)の北端の池の近くによく目立つ1本の巨木があります。
アカメヤナギ(赤芽柳)です。平野部を流れる大きいな川沿いなどに見られる落葉高木で、新芽が赤いことからこの名があり、葉がまるみがあるので丸葉柳の名もあります。
この木はもともと此処にあったものではなく、芥川岸にあったものが、河川改修時に移植されたそうです。結構費用もかかったことでしょうが、安住の地を得てこの木も喜んでいると思います。
最近今城塚の公園化で、みんなに親しまれていた木が何本も切り倒されました。このアカメガシワの時のような配慮ができなかったのかと残念でなりません。
2008年05月04日
葉桜に立つランドマーク

桜まつりの喧騒が嘘のように去った摂津峡桜公園は、すっかり葉桜になっています。
高槻のランドマーク、駅前のツインビルの姿も葉桜の上です。
静かな公園に、幼い孫を連れた老夫婦が、満開の藤棚の下で憩っていました。
2008年05月03日
摂津峡を彩る藤の花


摂津峡沿いの山のあちこちに藤の花が紫の花をつけています。
山に咲いていますがヤマフジではなく、蔓の巻き方向からみて、フジまたはノダフジといわれる種類です。
各地の社寺などにある藤棚ほどの豪華さはないにしても、新緑の山を紫に彩る藤の花を見ると、春から夏へ季節の移り変わりを実感します。
有名な平等院の砂摺りの藤が、今年は大不作で、観光客を失望させないために、事前に情報提供しているという記事が新聞に出ていました。
摂津峡で以前、渓流に映える藤の花を見たことがあり同じ場所へいって見ましたが、今年はそこに花の影はありませんでした。藤にも豊作、不作があるようです。
写真は、桜公園の下辺りの芥川沿いでのものです。
2008年05月02日
新緑摂津峡

ゴールデンウイークの谷間の平日、花見客の喧騒が去った摂津峡は、したたる新緑に包まれて静けさを取り戻しています。
ゆったりした気分で散歩していると、新緑が水面に映えています。見慣れた場所ですがファインダーを通すとはじめて見た景色のような新鮮さでした。
2008年05月01日
甘くはなかった姫路菓子博

90分は短い方

どこが最後尾?人気テーマ館の行列

2千円も取って室内撮影禁止とは?承知せんぞ!!
法事で帰っていた東京の孫娘が世界遺産姫路城を見たいというので、ついでにすぐそばの「ひめじ菓子博」を覗いてみました。乗ったタクシーのドライバーが、菓子博に行くのですかと気の毒そうに言います。帰り客の10人が10人不平たらたらで帰るとのこと、駅で並んで切符を買ってしまっていたのでとにかく入ってみることにしました。
平日というのに入場制限で40分も待たされた上、場内の人気パビリオンは軒並み2~3時間待ち、何とか入れるところは、各地のお菓子屋さんの変わり映えしない陳列を眺めるだけの展示であったり、パティシェに関心があるという孫娘のために入った「お菓子の工場」も製造工程の実演などではなく、たんなる関係業界の商品の展示だけであったりしてまったく期待はずれ。
試食できるわけでもなく、お土産を買うにも販売館に入るのにまた行列。これで入場料2000円はやらずぶったくり、こりゃ詐欺や!といったあとで気がつきました。姫路はサギ(白鷺城)の町でした。
2008年04月30日
大蔵司のケヤキ並木

こいのぼりフェスタの芥川桜堤→真如寺→笠森神社と歩いて、細い路地を目見当つけて歩いていたらどこにいるのか分からなくなり、名神の防音壁に突き当たり、気がつけば大蔵司のあたりへ出ていました。
大蔵司遺跡の表示板がある芥川高校の前から見るケヤキ並木は、新緑に染まり、足元のヒラドツツジが真っ盛りです。
ここから浦堂本町をへて、芝谷東、日吉台口、さらには途中から左折れして寺谷町バス停までの広い道路は、市内でも有数の美しい欅の並木道です。高槻市民の木である欅は、高木となるため管理も大変で、落ち葉や根の張りで近隣住民からの苦情も絶えないなど問題もあるようです。都市の美観の維持も色々と難しいものです。
2008年04月29日
元祖“でんぼ”の神様:笠森(かさのもり)神社


真如寺から標識に従って歩くと10分ほどで、西真上町の笠森(かさのもり)神社に至ります。アパート群に囲まれた神社はどういうわけか門が閉じられていて、毎月5のつく日しか開けないとの表示がありました。鎮守の森といえばどこでも自由に入れて、子供たちの格好の遊び場となるものですが、門を閉じた神社とは珍しいことです。
祭神は宇賀御魂神で、かつての祭神稚武彦命、鴨別命を祖とする笠氏にちなみ社名があり、在地領主の真上氏の尊崇が厚かったといわれます。
また笠と瘡(かさ:皮膚病)の共通の訓読から、皮膚病の神とされ、江戸谷中の瘡の守神社は当社の勧請によるとされます。
門の格子の間から覗くと高さ20mといわれる椋の大木が見えました。
2008年04月28日
真如寺

真如寺の土塀


排水溝と思っていた家の西側を流れる溝に、真如寺川という立派な名があると知ったのは、ごく最近でした。高槻市バス寺谷町終点のすぐ上を源流とする真如寺川は、途中でコンクリート製となって2kmほど流れ、浦堂で暗渠になってどこかへ流れ去ります。
芥川のこいのぼりフェスタの帰り、この川の名の由来となった真如寺の標識を発見し立ち寄りました。
自性山龍門院と号する浄土宗のこの寺は阿弥陀如来を本尊とします。天文年間(18世紀中ごろ)の芥川の氾濫で記録が失われ、創建の時も定かではないとされますが、歴代高槻藩主の信仰が篤かったと伝えられます。
南側の屋敷門のようなところから境内に入りましたが、西側の山門は閉じられたままで、人の出入りも多くないようです。
その辺を見回しましたが、芥川に注ぐという真如寺川の合流点は分からずじまいでした。
2008年04月27日
芥川「こいのぼりフェスタ1000」始まる


26日、芥川桜堤公園に1000尾の鯉のぼりが泳ぎました。
恒例の「第17回こいのぼりフェスタ1000」の始まりです
昼過ぎ、空に上げられた1000尾の鯉のぼりは、おりからの強い風に吹かれて一斉に力強い滝登りの姿です。
ゴールデンウィークの初日、鯉のぼりに見とれているのはもっぱら大人、大勢のこどもたちはみんな水辺の遊びに夢中でした。
5月5日まで続きます。
2008年04月26日
珍しい野生の桃(出灰地区)


芥川上流、市バス空谷橋を過ぎるあたり,川の両側に桜と違う濃い色の花が点在します。
珍しい野生のモモ(桃)です。野生のモモの群落は珍しく学術的にも貴重なものとされています。
発生の由来はよくわかりませんが、近年数が増えているように見えるのも嬉しいことです。
2008年04月25日
郷愁の風景(中畑地区)

高槻市北部中畑地区を通りかかったおり、田植えの下準備でしょうか、お百姓さんが田圃で藁を焼いていました。
赤い火、立ち上る煙、働く農夫、ふと遠い昔に帰ったようなそんな風景でした。
2008年04月24日
新緑の仙洞御所
サムネイルをクリックで拡大画像になります
北池
松竹梅の庭一部
弁柄色が美しい醒花亭内部
醒花亭
揃った丸石の州浜
紅葉橋
南池とアオサギ
園路
北池から門方向
桂離宮に続いて、京都御苑内の仙洞御所を参観しました。
ここはかつて皇位を退かれた上皇や院などが住まわれた所で、江戸初期の寛永7年(1630)に、後水尾上皇の御所として完成しました。現在ではかつての建物の多くは失われていますが、南北に展開する雄大な庭園が往時をしのばせています。築地塀内北西にある大宮御所は今でも両陛下や外国の元首などが入洛された際の宿舎として使われています。
庭園の中心をなす北池と南池、それを結ぶいくつかの橋、揃った丸い石が敷き詰められた州浜などが、鮮やかな若緑に包まれてひときわ引き立って眺められました。
北池
松竹梅の庭一部
弁柄色が美しい醒花亭内部
醒花亭
揃った丸石の州浜
紅葉橋
南池とアオサギ
園路
北池から門方向桂離宮に続いて、京都御苑内の仙洞御所を参観しました。
ここはかつて皇位を退かれた上皇や院などが住まわれた所で、江戸初期の寛永7年(1630)に、後水尾上皇の御所として完成しました。現在ではかつての建物の多くは失われていますが、南北に展開する雄大な庭園が往時をしのばせています。築地塀内北西にある大宮御所は今でも両陛下や外国の元首などが入洛された際の宿舎として使われています。
庭園の中心をなす北池と南池、それを結ぶいくつかの橋、揃った丸い石が敷き詰められた州浜などが、鮮やかな若緑に包まれてひときわ引き立って眺められました。
2008年04月23日
桂離宮早春
サムネイルをクリックで拡大画面になります。
御成門に続く竹垣
御幸道の橋(斜めの形で遠近感を強調
松琴亭
斬新な市松模様の襖(松琴亭)
笑意軒
中書院と新御殿、桂川の氾濫に備えて高床となっている
鷺が舞う池水
御車寄せのクロモジの塀
春のひと時桂離宮を参観しました。
ドイツの建築家のブルーノ・タウトによって再発見され「永遠なるもの」「涙が自ずから眼に溢れる」建築として賛美された桂離宮は、日本建築の至宝、数奇屋風建築の最高峰とも呼ばれる庭園と建築群です。
何回目かの参観でしたが、何時行っても新しい感動を覚えます。
この素晴らしい庭園がガイド付きで無料というのも嬉しいかぎりです。
今年入った内閣府事務官という肩書きの(そっと訊ねてわかりました)若者の、これが六回目という案内もさわやかで好感が持てました。
いくつか写真を紹介します。
御成門に続く竹垣
御幸道の橋(斜めの形で遠近感を強調
松琴亭
斬新な市松模様の襖(松琴亭)
笑意軒
中書院と新御殿、桂川の氾濫に備えて高床となっている
鷺が舞う池水
御車寄せのクロモジの塀春のひと時桂離宮を参観しました。
ドイツの建築家のブルーノ・タウトによって再発見され「永遠なるもの」「涙が自ずから眼に溢れる」建築として賛美された桂離宮は、日本建築の至宝、数奇屋風建築の最高峰とも呼ばれる庭園と建築群です。
何回目かの参観でしたが、何時行っても新しい感動を覚えます。
この素晴らしい庭園がガイド付きで無料というのも嬉しいかぎりです。
今年入った内閣府事務官という肩書きの(そっと訊ねてわかりました)若者の、これが六回目という案内もさわやかで好感が持てました。
いくつか写真を紹介します。
2008年04月22日
赤坂山の遅い春②

二輪草咲く調子ケ滝

調子ケ滝付近から

芽吹くブナ(中腹)

山頂付近
残雪の残る赤坂山(823.8m)ですが、春は着実に訪れつつあります。
すこし登った調子ケ滝のあたりは、散り残った桜と、鮮やかな若緑が、深まる春の景色をなしています。中腹のブナの林も芽吹き始めました。ガスのかかる頂上付近はまだまだ冬木立ですが、それでもところどころに若芽の木も見えて、長かった湖北の冬の終わりを告げています。
2008年04月21日
赤坂山の遅い春




20日、花の山で人気の湖北赤坂山(823.8m)に登ってきました。
麓では桜も散り終えたというのに、頂上付近の山襞には雪も残り、ガスの中激しい寒風にさらされて震い上がりました。
それでも道々に春の花々がやさしく私たちを迎えてくれました。
赤坂山に咲く早春の花々は今日からシリーズで「むかごの日記」に取り上げます。このほうもご覧ください。
2008年04月20日
されどチューリップ


万博公園にチューリップが咲きそろいました。
小学生に好きな花は?と尋ねると多くはチューウリップというのではないでしょうか。春の花壇を彩るチューリップは、チューリップの歌とともに、子供たちにとって、格別にきれいで華やかな花と映っているはずです。
チューリップ:tulip(ユリ科アマナ属)の原産地は中東から中央アジアと考えられており、ヨーロッパには16世紀にトルコから球根がもたらされたとされていますが、このときすでにいくつかの原種の交雑によって園芸種が出来ていたといわれます。
古くからおびただしい品種が作り出され人気を呼びました。中でも有名なのは1634~1637年にオランダで発生したチュリップ投機で、人々は珍しい品種に競って大金を投じ、最後の頃には変わった斑入りの球根1個が最高住宅地の馬車小屋付きの大邸宅を買えるほどの値段がついたといわれます。後世この珍しい品種はモザイク病というウィルスのなせる業であったのがわかったとか。
バブルの熱狂が醒めた後は様々な悲劇が生じるのは洋の東西を問いませんが、オランダはそのときの遺産を生かして、いまもチューリップの世界的な産地であるだけではなく、世界をリードする花卉産業を発展させているので、チューリップバブルもまったくの無駄ではなかったわけです。
チューリップは、開花した後も少しづつ成長し、昼開くときは花弁の内側が伸び、夕刻閉じるとき花弁の外側が伸びることで開閉します。花が最大になり、成長が止まったときは開きっぱなしになります。
自然派の多いむかごの仲間は、概してチューリップは人工的で好みではないといいます。でもこの花壇を見ると、“されどチューリップ”の想いを強くします。



