2012年01月20日

学びたい古代の防衛意識:高安山城倉庫跡 


今はレーダ観測所が建つ高安山城跡


高安山城倉庫跡群

信貴山朝護孫子寺に初詣のとき、西信貴ケーブルの山頂駅から旧道を歩きました。
スカイラインを横断し山道を歩きますと、大阪気象台の高安山気象観測レーダーのドームがあります。
この一帯は高安山古城跡で、667年天智天皇が白村江の敗戦後、唐の侵攻を防ぐために築いた対馬の金田城、讃岐の屋島城と共に日本の防衛のために築いた古代の山城の一つとなっています。
奈良側に少し下ったところに、昭和53年、防衛用の穀物や塩などを備蓄する倉庫跡が発見され、古事記、日本書紀に出る倉庫群が存在したことが確認されました。
大きい石が並ぶ倉庫跡を見ていると、古代の人々がこの高い山まで人力で建設資材や備蓄食料を運び上げた苦労がしのばれ、当時の防衛意識の高さに今の日本の状況を重ね合わせて、考え込んだことでした。
  
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2012年01月15日

小正月の戎橋 





">新年会の帰り、しばらくぶりでミナミの戎橋付近へ立ち寄りました。
戎橋の上で人盛りができていたので覗いてみると、難波八阪神社の年頭恒例の綱引き神事の街頭出張パフォーマンス?でした。
この綱引神事は、現在は1月の第3日曜日に行われ、氏子が縄を綯り合わせ八頭八尾の「八岐大蛇」形の綱をつくり、境内でその年の恵方に引き合い、その後、綱を担ぎ、神社の周囲を巡行するそうです。
できるだけ多くの人にこの神事を知ってもらおうと、今年初めて盛り場の戎橋に進出したそうです。
古代の衣装を着けた巫女さんからお神酒をいただき、思いがけない福を授かったおもいでした。


小正月の戎橋筋、心斎橋筋は不景気などどこ吹く風の人出でにぎわっていました。
  
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2012年01月10日

市役所ビルレストランから



高槻市役所庁舎15Fのレストランがリニューアルされて中華料理店となっているというので行ってきました。
2000円のところが事前予約で1500円という特別プランは一応フルコース的で、1時間半ほどかけてゆっくり食事ができお徳用と見ました。
何よりも15階から眺める市内のパノラマ風景が素晴らしく、市外からの気楽なお客さんを招くにはお勧めの場所といえます。
  
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2012年01月07日

信貴山朝護孫子寺 








誘われて、20数年ぶりとなる信貴山朝護孫子寺へ参詣しました。
単に信貴山寺とも呼ばれるこの寺は、寺の由緒によると、「今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。
醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。」とあります。
信貴山といえば張子の虎で有名です。伝承では、寅の年、寅の日、寅の刻に四天王の一である毘沙門天が聖徳太子の前に現れ、その加護によって物部氏に勝利したことから虎の信仰が生まれたといいます。
賑わう初詣客のなかには、今年こそ阪神タイガースが張子の虎に終わらないことを祈願した人も多かったのではないでしょうか。
  
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2012年01月05日

芥川山城址に登る 

年末年始の運動不足を補おうと摂津峡の東に位置する芥川山城跡へ登ってきました。
芥川山城は永正年間(1520頃)に管領細川高国が芥川を見下ろす天然の要害を利用して築城したといわれ、信長、秀吉に先立って畿内に覇を唱えた三好長慶が1553年にこの代に入城し、芥川政権ともいうべき政権を樹立、一時は天下に号令を発するまでになったと伝わります。
頂上付近は広場となっていて、長慶の祠が淋しく立っているほかは、目立つような遺構も見当たりません。南西方向に立つと、摂津峡を隔てて、遠く大阪駅付近の高層ビル群が望まれました。

山頂広場


山頂から大阪駅周辺を望む


原城山集落の手前の登山口から入り、よく整備された登山道の途中で城山集落の棚田や、古い炭焼き窯の跡など見ながらのぼると、約40分で三好山(通称城山)山頂に到ります。

城山の棚田


炭焼き窯跡


快適な登山道


  
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2012年01月03日

初詣で

今年の正月は、近所のお寺で除夜の鐘をきっちり年が変わる時刻に撞いたあとは、少しはっきりしない天気もあって、欠かせない年始回りのほかは、2日間家に籠っていました。
3日の朝、腹ごなしもあって近所の寺社と山登りに出かけました。


①阿久刀神社 
 高槻に4社ある「延喜式」記載の式内社のひとつで、古い資料では阿刀連(アトノムラジ)を祖とし、芥川の名もこ れに由来するといいます。正月に行われる「茅の輪くぐり」をくぐって、いまさら授かる知恵もないので、せめて知恵の衰えを防ぐようにお祈りしました。


②笠森神社
 阿久刀神社と神服神社との間で神輿の交換があったころ、の御旅所だったといわれます。笠が瘡に通じるというので皮膚病の神ともなっています。
 いぜんお詣りした時は門が閉まっていて、不思議に思ったものでしたが、さすが正月3日はちゃんと門が開いていました。


③真如寺
 家のすぐ前にコンクリート製の少しおおきい溝があり、これに真如寺川という立派な名があるのを知ったのは 引っ越してきて10年もあとのことでした。
 この流れが一旦暗渠になって、やがて芥川に合流するところに川の名の由来となった真如寺があります。
 山門が閉じられているので庫裏の門からはいると自動的にベルがなり、上品な婦人が出てきました。
 許しを請いお詣りさせていただきました。広い境内には銀杏のの古木があり、立派な本堂には参詣者も少ないのか賽銭箱がありませんでした。
 真如寺川の源流近くから来たといいますと、件の婦人はどこから流れてきているか知らないらしく、遠いのですかとおっしゃっていました。  
  
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2012年01月01日

謹賀新年





明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


(写真の紅白カタクリは昨年4月3日愛知県豊田市足助町で撮影しました)  
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2011年12月29日

氷柱の不思議


見事に晴れあがって冷え込んだ29日朝、ふと前日選定した庭のハナミズキを見上げると、枝の切り口に何やら白い水滴のようなものが光っています。
近づいてみると水滴ではなく小さな氷柱でした。
前夜は雨や霧が降った気配はなく、選定した切り口からにじみ出た樹液が凍ったのかとも思い口に含んでみましたが無味無臭で樹液のようでもありません。
この氷柱、どうしてできたのか首をひねってもわからない、歳末の小さな不思議でした。

これで今年は終わります。
1年間ご来訪有難うございました。

いずれさまもよいお年を。

むかご拝
  
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2011年12月27日

御堂筋イルミネーション





大阪光のルネッサンスのうち中ノ島一帯のイルミネーションはクリスマスで終わりましたが、大阪市のシンボル・御堂筋のイチョウを華やかな光で彩る「御堂筋イルミネーション」は、来年1月22日まで続きます。
「御堂筋イルミネーション」は昨年より500m延長して日本最長の約1.9kmで実施され、節電ムードの中にも、被災地の復興への願いを込めた110万個のLEDランプで大阪のメイン道路御堂筋を光の洪水で満たしています。
  
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2011年12月25日

大阪光のルネッサンス



橋下新市長のインタビューの背景にもなっている「大阪光のルネッサンス」が今年も中ノ島一帯で行われました。
節電ムードのためか、昨年に比べてすこし淋しいような気もしますが、人出はかわらず、大勢の市民が光のファンタジーを楽しんでいました。
  
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2011年12月23日

大群衆、年末の運試し



22日夜、御堂筋を南へ向かって歩いていると、堂島あたりの歩道一杯に何列かの行列が出来ていて、ガードマンが大勢整理に当たっていました。
何事ならんと行列の前方まで行って覗いてみてやっと、年末ジャンボ宝くじの売り出し最終日に集まってきた、3億円をあてようとする人の波ということがわかりました。
15本の特等が出たというこの売り場で、果たして今年も出るのかどうか、必死の面持ちの男女に福が来ればいいのですが・・・。
  
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2011年12月22日

日本最古の城?菟田の高城と天然記念物“八房杉” 


日本最古の城址”莵田の高城”


八房杉

記紀によると神武天皇東征では、直接大和に入るルートをとらず熊野から頭八咫烏の案内で宇陀の穿邑(奈良県宇陀市菟田野町)に到ります。
そして宇陀地方の首長を懐柔し、あるいは逆らうものを討ちます。その時歌われたのが久米歌といわれるもので、
“莵田の高城に 鴫罠張る わが待つや 鴫は障わらず いすくわし 鷹(くじ)ら障やる。……”
と続きます。この莵田の高城跡というのが菟田野町の小高い山に残っています。神武天皇が陣を張ったというので地元では日本最古の城として。石碑を建てています。
その山麓の桜実神社境内には神武天皇が植えたという「八房杉」といわれる杉の巨木があり、国の天然記念物となっています。
  
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2011年12月19日

万博初冬  


落ち葉積む



黄櫨の木の紅葉



満天星(ドウダンツツジ)の紅葉


もみじ祭りも終わった万博公園は、入園者も少なく、散り積んだ落ち葉が冬の訪れと告げていました。
その中で真っ赤な紅葉の黄櫨の木が、淋しくなった公園でひときわ目立っていました。
  
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2011年12月17日

家康には冷たい大阪人?茶臼山 


そっけない石碑



人影もない茶臼山々頂

天王寺公園内の北の端にある茶臼山は昔の荒墓の跡で何気なく見ると普通の低い丘ですが、慶長19年(1614)大阪冬の陣では徳川家康が本陣を置き、翌年の夏の陣では真田幸村ここで戦没し、豊臣家の滅亡を決定的づけた有名な古戦場です。
歴史の転換点にもなったそんな場所でありながら、今この地には史跡茶臼山及河底池(15日記事)と記した石碑があるだけで、一帯は訪れる人影もほとんど見えません。
こんなところにも、太閤贔屓、家康嫌いの大阪人の気持ちが示されているのでしょうか。
  
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2011年12月15日

慶沢園 






大阪市立美術館のとなりにある慶沢園は、住友家茶臼山本邸庭園として、明治41年に木津聿斎の設計、小川治兵衛の作庭により造園が開始された林泉回遊式の近代日本庭園で、大小3つの島が浮かぶ池の周囲の林間を回遊し鑑賞する様式の、全国から名石・名木を集めた広大な庭園は完成までに10年を費やしたといいます。完成後間もない大正10年(1921)に住友家から隣接する茶臼山とともに大阪市に寄贈されたものです。
隣接する天王寺や新世界のにぎやかさから隔絶して、静かな散策を楽しめます。
慶沢園から北へ、茶臼山へ向かう途中の河底池畔から望む通天閣は、TVドラマの舞台にもなる景色です。



  
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2011年12月13日

橋下市政でどうなる大阪の文化 





慶沢園から見る美術館

天王寺公園界隈、美術館、慶沢園、茶臼山などを歩きました。
大阪を象徴するような猥雑な町新世界をぬけると、目の前に対照的な大阪市立美術館の美しい建物がみえます。
この美術館は、美術館の建設を目的として、庭園(慶沢園)とともに大阪市に寄付された旧住友家の本邸があった敷地に昭和11年に建設されました。天王寺公園の中にあって、歴史主義的建築といわれる古典的な風格を持つ建物です。
ところで、大阪府内には公的な美術館はこの市立美術館のほか、国立近代美術館、規模が小さい府立の現代美術センター(いずれも大阪市)があるくらいで東京に比べてきわめて貧弱です。
200億円を超える購入美術品を抱えたまま、いまだに計画にとどまっている市立の近代美術館の行方も橋下市長の誕生で混沌としてきました。大阪府の知事だった橋下さんは、もともと市に後れを取ってきた文化事業には大ナタを振るいましたが、現実に大阪全体の文化を担ってきた大阪市についても同様に扱うのか注目されるところです。
  
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2011年12月11日

ブームの予感:平清盛と若一神社 



JR西大路から少し歩いて西大路八条にあるのが平清盛ゆかりの若一(にゃくいち)神社です。
平清盛は六波羅在住のころ、風光明媚なこの地に西八条御所と呼ばれる別邸を造営します。
1166年、熊野詣でのお告げで、紀州熊野若一王子の御霊を鎮守したのがこの神社の始まりと伝えられます。
以後清盛の勢威が伸び、ついには太政大お手植という大楠があるほか、清盛ゆかりのご神水、祇王の歌碑などがあります。





本殿前では、来年のNHK大河ドラマ「平清盛」を当て込んで何やら改修工事が進められています。
神社の話では、すでにNHKが「歴史秘話ヒストリア」の取材にきたそうです。
来年はこの狭い境内が見物客でごった返すに違いありません。   
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2011年12月09日

東寺と西寺 


史跡西寺跡



西寺跡の碑


京都駅の間近に見える五重塔の東寺(教王護国寺)は有名ですが、西側に東寺と対称に西寺が造営されていたことはあまり知られていません。
平安遷都すぐの796年、朱雀大路の南端にあって平安京の正門であった羅城門を挟んで鎮護国家の官寺として、東に東寺、西に西寺が建立され、朝廷の庇護のもとに当初は両寺とも隆盛を誇りました。
しかし西寺は、律令制度の崩壊や伽藍の焼失などから東寺と比べて早くから衰退の道をたどり、1233年塔も消失してのちは再興されることもなく地中に埋もれてしまいました。今はわずかに講堂跡が土塁として残り、国の史跡に指定されています。

東寺と西寺の中間点羅城門跡


一方823年空海が嵯峨天皇から東寺を賜り、真言密教の根本道場し、弘法大師信仰の高まりにつれて皇室から庶民に至るまで広く信仰を集めました。建立以来1200年の間、幾度となく台風、雷、兵火などにより災害を受けましたが、後宇多天皇、後醍醐天皇、足利尊氏、さらには豊臣家、徳川家の援助、さらには一般民衆の信仰の力によって再建され、真言宗総本山として今日に続く隆盛を保ってきました。
古都京都の文化財として世界遺産に指定されている東寺は、多くの国宝、重文を有して真言信仰の中心であるだけではなく、”弘法さん”といわれる毎月の露店市なども京都を代表する風物詩として市民に親しまれています。


九条通りから東寺南大門


東寺の金堂(左)と講堂




東寺五重塔(高さ55mは日本最高)


  
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2011年12月08日

重文の大学校舎・龍谷大学 

中央本館、右北黌、左南黌

本願寺唐門のすぐ西隣に系列の龍谷大学発祥の地である大宮学舎があります。
美しいイギリス製門扉の正門を入ると、本館をはじめとして「擬洋風建築」といわれる内部が木造、外部が石張りの建物を中心とする明治12年創建の姿をほぼ完全な形で残る建物群が並びます。
国の重要文化財に指定されているこの古い建築群は、いまもなお大学設備として使われているのも珍しく、この美しさを後世にも伝えてほしい貴重な文化財です。


おしゃれな赤レンガの旧守衛所:これも国指定の重文

  
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2011年12月07日

大銀杏黄葉、親鸞750回大遠忌の西本願寺 






平成24年1月16日親鸞聖人の750回忌法要が営まれる西本願寺は御影堂の修復を終えてその日をまっています。
御影堂、阿弥陀堂の前庭の大銀杏は、今まぶしいばかり黄金色に輝いています。
寺の南にある国宝の唐門は、黒塗りに極彩色の四脚門で、牡丹に唐獅子、竹に虎、麒麟に孔雀など数々の彫刻が施され、眺めていたら時間が経つのも忘れてしまうというので別名「日暮らし門」と呼ばれていますが、北小路通りの奥まったところにあり、有名な割には人影もまばらです。






  
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